国民全員のチーム医療 世界に誇る「国民皆保険」を守ろう!
     特集TPPのいらない暮らし
          

TPPは健康に悪い、弱者にむごい、地域をこわす

医師色平哲郎さんは、信州の山村、人口1200人の南相木(みなみあいき)村
で診療所長を10年務め、現在は広域合併で人口10万人になった長野県佐久市の
「佐久総合病院」に勤務する内科医です。
佐久総合病院といえば、地域医療のモデルといわれるほど、農村や地域の
医療で先進的な取り組みをしていることで知られています。

色平さんは、TPPが騒がれ始めた時期、メディアが農業問題ばかりに
フォーカスした記事を報じていたころ、いちはやく、TPP参加の医療面
での大きなリスクについて、警鐘を鳴らしてきました。

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JA長野厚生連・佐久総合病院地域医療部地域ケア科医長

色平哲郎(いろひらてつろう)さん

内科医。1960年神奈川県生まれ。東京大学工学部中退後、世界を放浪。
京都大学医学部卒。JA長野厚生連佐久総合病院に入り、南相木村診療所長
として地域医療に従事、その後現職。
京都大学大学院医学研究科非常勤講師も務めた。
世界こども財団評議員。著書に「大往生の条件」など。


TPP参加がもたらす医療破壊に、
私たちはどう対応したらいいのかをお聞きしました。



TPPは、日本の宝「国民皆保険」をこわす

私たちは、健康保険証1枚あれば、いつでも、どこでも医療機関にかかれます。
普段から国民みんなが保険料を支払って、公的医療保険に加入しているからです。

この国民皆保険制度ができて50年です。日本人はこの、みんなで支え合う
「国民皆保険」を、水や空気のように当たり前のことと感じています。
しかし、世界には米国のように、先進国といわれながら国民の6人に1人
が医療保険に加入できず、まともな医療を受けられない国もあります。

50年前に国民皆保険制度が始まったことは画期的なことだったのです。
「日本は敗戦のあと、どうしてあれほどの高度成長が可能になったのか」
と、外国の方からよく聞かれます。
私は手前みそに「国民皆保険があったからだ」と説明します。
その時、彼らはちょっと考えます。
「自分たちの国に、国民皆保険制度を導入できるかどうか」って。
それほど、この皆保険制度は世界的に見て、貴重で大事な宝物なのです。
 
ところが、皆保険の達成から50年たったいま、その仕組みが大きな曲がり角
に差しかかっています。
ご存知のように、「少ない現役世代が多数の高齢者を支える負担」が増すなか、
内外二つの圧力で崩れかけているのです。

内側からの圧力は、無保険者の増加。
しかしこれは、今日のテーマから外れるので立ち入りません。
 
問題は、「自由化」を求める外圧、すなわちTPP(環太平洋連携協定)。
源は米国で、貿易完全自由化に同調し、医療分野にも米国式の性急に
「もうける」パターンを押し込もうとする圧力がかかっているのです。
 
もしそうなると、保険料を納めながら医療を受けられないという詐欺まがい
のことが起こりうることも考えられます。
お金持ちは際限なく医療を受け、貧乏人は治療を受けられなくなる。
そんな世界が現実になるのです。

どうしてそうなるのでしょう?


混合診療が全面解禁されると

TPPで、もっとも危惧されるのが「混合診療」の全面解禁です。
混合診療とは、医療する側が値段をつける「自由診療」と診療報酬に
もとづく「保険診療」を混ぜた診療のこと。
TPPでこれが全面解禁されれば、医療機関は保険がきく診療を控えめ
(ゼロもありうる)にし、儲かる自由診療にシフトすることはあきらかです。
 
そして、「少しでも条件の良いところで開業しよう」と医者は農山村から
都会に出て行くでしょう。
コストに見合わない救急医療や産科、小児科は閉鎖に追い込まれます。
今でさえ、山間部は医療過疎で、医師としては薄氷を踏む思いなのです。
 
そのいい例がお隣、韓国です。米韓FTA(2国間のTPPと考えていい)
によって、韓国では急速に医療・医薬品分野の自由化が進められており、
その象徴が仁川(インチョン)で建設中のアメリカ資本の大病院です。
ベッド数600床、すべて個室で、治療費は健康保険で定められた医療費
の6〜7倍です。
自由診療の値段は病院が決め、医薬品の価格や検査料は病院側の言い値
になるのです。
 
知人の大学教授はアメリカで生活した時の歯科にまつわる苦い思い出
をこう話してくれました。

「歯が痛くなると飛行機に乗って日本に帰って治療し、
また戻っていました。
ウソのような話ですが、飛行機代よりもアメリカの歯医者は高いのです」
 
米カリフォルニア州のデンタルクリニックのHPによると、
抜歯1本117ドル(8892円)、麻酔185ドル(1万4062円)、
銀の詰め物116ドル(8816円)と、日本の保険医療の3〜10倍です。

「アメリカは自由診療なので治療費が高いのです。
日本でも公的保険適用外のインプラント治療が盛んに進められるでしょう。
インプラント専門の歯科医が増え、低所得者層は虫歯の治療が受けにくくなる。
自由診療で虫歯の治療すら高くて払えないという事態が生じるでしょう」
(同教授)

風邪や高血圧などでは病院が診てくれない─
そんな時代になるかもしれません。


農民がつくった佐久総合病院

だいぶ暗い話が続きました。
では、アメリカのような“医療後進国”にならないようにするには
どうしたらいいのでしょうか。
TPP参加となるとかなり難しいことですが、ヒントはいくつかあります。
その一つが、私が勤務する佐久総合病院の成り立ちです。

私は講演の始めに「みなさんこんにちは。
善光寺から来ましたお坊さんです(笑)」と挨拶します。

もちろんそれはウソで、お坊さんみたいな仕事をしているお医者さんです。
山村で10年以上この仕事をしていますと、多くの方を看取るので、
お医者さんなんだか、お坊さんだかよくわからない。

さて、いま多くの地方が医師不足で悩んでいますが、
佐久病院は悩んでいないんですね。
毎年10人以上は医師が増えています。
住民の方々も、佐久で暮らしていると、「医療は充実している」という実感
がありますので、全国ニュースで医師不足や医療崩壊が報じられると
びっくりしています。
つまり私は、医師不足や医療崩壊といったことと、だいぶ違った温度
の場所に暮らしているのです。
それが佐久病院という医療機関の希有なところでしょうか。
 
佐久病院の二代目院長は “農村医学の父”と呼ばれた若月俊一先生です。
病院の経営者は農民の皆さんで構成する「協同組合(農協)」です。
つまり、農民の方が自ら出資して病院を建てたんですね。
ということは、農民が医師を雇っているわけです。

初め、若月先生は“ピンク”と呼ばれ、保守的な村人に警戒されたようです。
警察からも農民からも監視されていました。
そこで若月先生は、地域の方々とお酒を飲むことから始めて
地域の中に溶け込んでいきました。
そんなことから、佐久病院は“サケ病院”とも呼ばれ、居心地がいいせいか、
どんどん医者が増えていきました。
 
佐久病院は農民たちが作った病院です。
身体が資本の農民たちは病気になりたくないので、たとえ病院が
多少の赤字であっても、予防医療をやってくれるなら、
みんなからお金を集めてくると。
治療だけではなく、予防活動にも時間を割くような変わったお医者さん
がいないかなと探したんですが、いませんでした。
それで“ピンク”でもしょうがない、ということで若月先生を雇ってみたら、
これがたいそう腕がよかったんですね。

当時、村のあぜ道で血圧を測ったら200を超えている人が結構いました。
塩分をとりすぎているため、多くの人が高血圧なわけです。
しかし田舎で姑や舅に仕えているお嫁さんたちが、
「味噌汁の塩分を減らしなさい」なんて医者に言われても、
実行するのはほとんど不可能です。
ものすごく大変なこと。
減らしたら「誰がやっているんだ!」って、お嫁さんたちは怒られるわけですから。

そこで若月先生は、口で言うだけでは実践してもらえないと、
保健医療の教育活動を寸劇を使って行ったんですね。
先生だけでなく、保健師さんもがんばって正しい知識を広めていってくれました。
 
こうした医師と看護師や保健師、そして農民の皆さんとの協働に
よって佐久病院は地域医療の歴史を刻んできたわけです。


お金持ちより、「こころ持ち」
 
私が家族5人で10年間暮らした長野県南相木村は、65歳以上が40パーセント。
世界に先駆けて高齢化が進む「地球人類の近未来」
を垣間見るような村での生活でした。

でもこの村で医療に取り組んだことで私は、
実に大切な人間観を身に付けたと思います。
 
それは村の方々が、けっして金持ちではないけれど、豊かな
「こころ持ち」であること。
それに引き替え都会育ちの自分は心貧しい人間だと感じたことです。
これが私の医師としての出発点となりました。
私は村によって育てられたのです。

私の好きな玉井袈裟男の詩集「風のノート」にこんな句があります。

「風は遠くから理想を含んでやってくるもの/
土はそこにあって生命を生み出し育むもの/
君が風性の人ならば土を求めて吹く風になれ」

農民は「土の人」。
村の医者は「風の人」。
患者さんを的確に診るにはまず彼らの暮らしを知らなければならない。
若月先生の教え通りでした。

南相木村には毎年、100人以上の医学生・看護学生が実習に来てくれました。
村人もまたこうした若者を心から受け入れ、「おしん」のような苦労話や、
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」のような往年の辛い日々を話してやるのでした。
ここで地域医療のなんたるかを学んだ彼らが、これからの日本の医
療を背負って立つことを、祈るような思いで見つめています。


3つのことをやる!
 
若い時に世界を放浪して気づいたことですが、
地球上のほとんどの地域は医者がいないんです。
 
そして3・11以前からもともと医師の少なかった東北。
充分な医療を受けるために必要なのは、みなさんが次の3つのことにチャレンジ
できるかどうかです。
 
まず、お金をあつめて医療機関をつくる。
 
次に、今は国民皆保険がありますが、国民皆保険のもとになったのは、
共済保険です。
みなさん自身が、共済組合的な活動を始めることができますか?

最後に3つ目。
進歩的、急進的なピンクの医者を雇ってこれますか? 
あるいはみなさん自身が医者になりますか?

どうでしょう。

私はみなさんにアホなことを言っているようでありながら、
昭和初年のあのファシズムの時代に、みなさんの先輩がこういう
3つのチャレンジをくぐりぬけてきたことをお話し、
TPPなんて怖くないと、いっしょに胸を張りたいのです。

地域の高齢化が急速に進む地方では、特殊な高度医療よりも
「好きな人と好きな所で暮らし続けられることを支える医療と仕組み」
が大切です。
たぶん、私のいる佐久は大丈夫です。
切りぬけられるでしょう。
問題は首都圏です。
かつて佐久の農民が立ち上がったように、
みんなで動いてなんとかしなければなりません。

いま世界中の人が憧れる「皆保険」。
みなさん一人ひとりがTPP問題をきっかけに、考え始めることを願っています。

【パルシステム生協・セカンドリーグ支援室発行誌
「のんびる」2012年2月号掲載記事】

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佐久総合病院全景 写真提供:佐久総合病院

「村の医師は風の人」と語る色平医師。 写真撮影:写真工房 坂本

南相木村には毎年100人ほどの研修生がやってきました。 写真提供:色平哲郎

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