68 平成の大合併に消えた福祉のまち・鷹巣
     日経メディカル 2012年1月31日 色平哲郎

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/201201/523422.html

 かつて秋田県に「鷹巣町」という、住民参加の福祉のまちづくりで
 一世を風靡した自治体があったことを覚えておられるだろうか。

 1991年に高齢者福祉の充実を掲げた岩川徹氏が町長に当選して以来、
 3期12年、鷹巣町は全国トップの高齢者福祉の水準を維持した。

 94年オープンの「ケアタウンたかのす」は、その輝きの象徴だった。
 完全個室の定員80人の老人保健施設を核とし、
 周辺にデイサービスやケアつき住宅、補助器具センターなどを
 配した複合施設群が集積されていた。
 入居者の要介護度の平均は4を超え、重篤な症状の人もどんどん受け入れた。
 高水準を保つため、マンパワーを惜しみなく注ぎ込んだ。
 2002年末の職員の数は、医師1、看護師7、介護職員49、相談員3、
 療法士4、栄養士5……と、パートの職員も加えると実に90人。
 介護職は三交代制で、「1人夜勤」は存在しなかった。

 ケアタウンの運営母体は「たかのす福祉公社」で、町の準直営だった。
 介護保険収入だけでは人件費を賄えないので、
 人口2万2000人の鷹巣町の、一般会計予算約90億円のうち、
 老健のために毎年1億円を使っていた。
 町長の英断と裁量権があってこその高福祉だった。

 ところが、2003年の町長選挙で、岩川氏は落選する。
 「福祉のまち」に誇りを持っていたはずの町民が、
 高レベルの社会福祉に「ノー」を突きつけ、
 対立候補が主張する「市町村合併」に伴う「特例債」での
 公共事業や、「身の丈福祉」を選んだのである。
 当時この選挙結果は、介護や医療に関わる者に「鷹巣ショック」をもたらした。

 その後、鷹巣町は2005年に他の3つの町と広域合併し、「北秋田市」となった。
 「ケアタウンたかのす」の運営母体は、市の社会福祉協議会に変わっている。

 鷹巣町の軌跡を振りかえるにつけ、地方自治体の首長と、
 医療や福祉の関係はどうあるべきか、改めて考えさせられる。
 経済が右肩上がりで、都市部から剰余金(儲け)を地方へ還元できたころは、
 医療機関も自律性と自立性を保ち、首長との関係は、つかず離れずでよかった。

 しかし、平成の大合併を経て、国の地方交付税で7割近く賄われる特例債も
 結局は借金であることが明らかになった。地方財政が逼迫すればするほど、
 行政側から医療や福祉への「期待」(を込めた介入?)の度合いは大きくなる。
 だからといって、リーダーシップのある首長に依存してしまうようのも危険だ。
 民意の風向き次第で、鷹巣町のように大逆転現象が生じかねない。

 本来、医療や福祉は、政権や選挙に関係なく、
 社会的な共通資産として維持されねばならない。
 そのためには官に頼るだけではなく、「協」の役割、
 つまり「お互いさま」「おかげさまで」といった
 住民自身の力量がますます重要になってくるのではないか。
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