暮らしとTPP(下)地域医療
     信濃毎日新聞 2011年12月9日

市場化で「格差」拡大の恐れ


関税の撤廃だけでなく、さまざまな分野の非関税障壁が交渉の対象となる
環太平洋連携協定(TPP)は、医療にも影響を及ぼす可能性がある。
米国はこれまで日本に対し、病院経営への営利法人の参入や、保険適用の診察
と適用外の診察を併用する「混合診療」の原則解禁を求めてきた。
現時点で医療制度はTPPの交渉項目に入っていないが、政府は
「議論される可能性は排除されない」との見方を示している。
医療に市場化の道が開けば、地域医療の崩壊につながりかねないとの懸念も出ている。


佐久総合病院(佐久市)の医師、色平(いろひら)哲郎さん(51)は
「営利法人が経営する病院が、好待遇で医師を呼び込むようなことになると、
地方の病院には今以上に医者が来なくなり、
ぎりぎりの状態にある地域医療は崩壊する」と話す。
病院が営利に傾斜すれば、産科や小児科、救急など、採算をとるのが難しい
部門の切り捨てが進む恐れもある。

市場経済のグローバル化は、経済的な格差だけでなく、
医療の格差ももたらしてきた。
海外では、医師が恵まれた待遇や環境を求めて、地方から都市、あるいは
他の国に出てしまい、医療の確保が困難になっている地域が珍しくないという。

日本では現在、保険に将来組み込むことを前提に国が認めた一部の
先進的な医療行為を除き、原則として混合診療は認められていない。
保険が適用されない診療を受けると、
保険適用の検査や入院の費用もすべて自己負担になる。
例えば、保険適用の検査・入院費用に20万円、適用外の抗がん剤治療に
20万円かかった場合、現制度では計40万円が全額自己負担だ。

一方、混合診療が認められると、保険適用の検査・入院費用は3割
(6万円)の負担に。
抗がん剤治療の20万円と合わせて26万円に自己負担額は減る。
患者の選択の幅が広がるとして、混合診療の解禁を求める声も少なくない。
背景には、医薬品の承認審査に時間がかかり、海外で広く使われている薬が
国内では保険適用になっていない「ドラッグ・ラグ」への不満もある。


では、混合診療の何が問題なのか。

保険診療の料金や薬の価格(薬価)は国が一律に定めている。
これに対し、保険外の診療料金や薬の値段は、病院や製薬会社が独自に決められる。
混合診療が認められると、「利益を上げるために、先進医療の保険適用を
求めなくなる病院や製薬会社が出てくる可能性がある」と色平さん。
その結果、保険では受けられない診療が拡大していけば、
公的医療保険制度の土台が揺らぐ。

色平さんは「公的保険を縮小させて、医療保険の分野で外資系保険会社の
ビジネスチャンスを広げることが米国の狙いだ」と指摘する。
公的保険適用外の診療が増えれば、民間医療保険へのニーズは高まる。
ただ、民間医療保険に加入できるだけの所得がない人もいる。
医療分野への市場原理の導入は、地方の医療過疎化や、公的保険制度の崩壊を招き、
住んでいる場所や所得による医療の格差を限りなく広げてしまう恐れがある、
と色平さんは言う。

一方、医師で日本福祉大副学長の二木立(にきりゅう)さんは、
混合診療の解禁や営利法人の病院経営への参入には法改正が必要だと指摘。
「TPPに参加しても日本の医療制度の仕組み自体が大きく揺らぐ可能性は低い」
とみる。
ただ、「経済特区に限定するような形で営利法人の参入や混合診療が認められた場合、
一部の医師や医療機関が利益優先の行動を取りかねない心配はある」と話している。

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見直しの圧力さらに?  =薬価制度=

米国はTPPの貿易目標の一つとして
「医薬品の効率的な流通の妨げとなり得る障壁の最小化」を掲げている。
このため、TPPの交渉では、薬価の算定方法をはじめ、
日本の医薬品流通の仕組みについて、見直しや規制緩和の圧力が強まる可能性がある。

日本では、公的医療保険の対象となる薬の価格は、国が薬価基準として定め、
ほぼ2年おきに改定している。
米国は以前から日本に対し、予想販売量を大きく超えた医薬品の基準価格を
引き下げるルールの廃止や、外国での平均価格と比較して
価格を調整する制度の見直しを要求してきた。
また、試行的に導入している新薬創出加算(一定の要件を満たす
特許期間中の新薬の薬価を下げない制度)の恒久化も求めている。
いずれも、資本力や開発力に優れた米国の製薬企業がより大きな利益を
得る環境を整えることが狙い。
要求を受け入れれば、薬価の引き上げにつながる可能性がある。

米国と韓国の自由貿易協定(FTA)には、
医薬品や医療機器の承認を申請した企業の要請に応じて、
薬価などを検討する独立機関を設置することが盛り込まれた。
これによって企業側の意向が反映されやすくなったと見られている。

日本の薬価制度については、製薬企業の新薬開発力を高めるためにも
見直しが必要だとする意見が、国内の製薬業界からも出ている。
日本福祉大副学長の二木立さんは、医薬品に関する米国の要求は、
日本の一部製薬企業の利害とも一致する面があると指摘。
TPP交渉参加による自由化推進の掛け声を追い風に、日米双方の業界の圧力で、
薬価を含めた医療制度の見直しが進んでしまうことを警戒する。

このほか、米国は日本に対して、血液製剤の輸入規制の緩和なども求めている。
佐久総合病院の医師、色平哲郎さんは
「安易な規制緩和は薬害を引き起こしかねない」と話している。

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