色平哲郎の「医のふるさと」 日経メディカル ブログ61〜66

ブログの紹介  今の医療はどこかおかしい。
制度と慣行に振り回され、大事な何かがなおざりにされている。
そもそも医療とは何か? 医者とはなんなのか?
世界を放浪後、故若月俊一氏に憧れ佐久総合病院の門を叩き、
10年以上にわたって地域医療を実践する異色の医者が、
信州の奥山から「医の原点」を問いかける。

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61 追悼 辻本好子さん

日経メディカル 2011年6月30日 色平哲郎

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/201106/520488.html 

 NPO法人ささえあい医療人権センターCOML(コムル)の
 理事長・辻本好子さんが、先日、胃癌で亡くなった。
 享年62。もっと、もっと、生きて、活躍してほしかった。

 辻本さんは、「賢い患者になりましょう」を合言葉に、
 医療を消費者視点でとらえる活動を始めたパイオニアだ。
 子育て中に市民グループのボランティアとして患者の悩み相談を
 受けたのをきっかけに、1990年にコムルを創設した。

 不安を抱える患者や家族を支えるために常設の電話相談を始め、
 医師たちとどう接したらいいかを一緒に考えた。
 「患者は医療の消費者。お任せにせず、自分で判断しよう」と呼びかけ、
 医療の在り方や治療法を学ぶ「患者塾」、
 患者の目で医療機関を評価する「病院探検隊」などの活動を展開した。

 私にとっては、大阪の頼もしいアネゴだった。
 ある飲み屋さんの壁に、彼女と私のツーショット写真が掛けてある。
 なぜ、そうなったのか・・・酔っぱらっていてよく覚えていないのだが、
 十数年前に亡くなられた阪大名誉教授の中川米造先生の話をした記憶がある。
 阪大、滋賀医大を拠点に中川教授は、
 医療と社会、教育、哲学など幅広い領域で発信された。

 このとき、彼女から聞いたエピソードがある。
 中川教授は亡くなる直前に、「医療はほどほどのものと思え」
 「患者こそ医療の主人公」という言葉を
 改めて彼女に伝え直したのだという。
 中川教授は、彼女に後を託したのだろう。

 実は、盃を重ねていたとき既に、彼女は病魔に侵されていた。
 「癌治療の後、私、回復にとっても時間がかかったのよ。
 だからこそ、患者の立場から先生のご遺志をしっかり受け止めて、
 周囲に伝える努力をしたい」と彼女は言い切った。
 その声は、酩酊していた私の耳の奥にもしっかり残った。

 ここでいくつか、辻本語録を引いてみたい。

 「患者が医療の主人公になるために、できることは自分たちで努力し、
 どうしてもできないことだけ専門家の助けを借りよう」

 「果たすべき患者の責務もあるはずだ」

 「国民皆保険の恩恵に浴し続けて50年、
 私たち患者は受け身のままに甘えきってきた」

 「患者と医療者がそれぞれの立場と役割の違いを認め合い、
 尊重しあって、協働する」

 「何より医療が不確実性と限界性を伴っている現実を
 もう少し患者が理解し、期待と依存の呪縛から立ち上がること。
 その上で一人ひとりがそれぞれに“どういう医療を受けたいか?”を
 意識して、言語化すること。
 さらには医療者と協力関係を築く一方の担い手となるべく、
 コミュニケーション能力を身につけるための努力をする。
 こうした自らの医療ニーズを見つめ直すことと、果たすべき責務を
 考えることから、患者の自立の第一歩がスタートすると思います」

 彼女は「医者にかかる10カ条」を次のように掲げていた。

1.  伝えたいことはメモして準備
2.  対話の始まりはあいさつから
3.  よりよい関係づくりはあなたにも責任が
4.  自覚症状と病歴はあなたの伝える大切な情報
5.  これからの見通しを聞きましょう
6.  その後の変化も伝える努力を
7.  大事なことはメモをとって確認
8.  納得できないときは何度でも質問を
9.  医療にも不確実なことや限界はある
10. 治療方針を決めるのはあなたです

 彼女の言葉をこうして再録することは、
 私にもバトンが渡されたということなのだろうか。

 辻本姉、安らかにお眠りください。

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62 ものごとには順番があるはずだ

日経メディカル 2011年7月22日 色平哲郎

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/blog/irohira/201107/520830.html

 東日本大震災の被災地では、
 各地の首長や行政職員、民間企業の社員、
 学生などさまざまな方々が「現場力」を発揮し、
 必死に再起しようとしておられる。

 ところが、東京の政官財の中枢にいる人たちは、
 被災地の苦しみなど、まるで他人事のように
 好き勝手なことを言っている。
 リーダーシップをはき違えた人たちの言動は、
 復興への足かせになるのではないか。
 被災地にとって、まず必要なのは、
 明日の生活を立てるために仕事を再開する「復旧」だ。
 その先に「復興」が見えてくる。

 ものごとには順番があるはずだが、
 メルトダウンを起こしつつある東京の中枢は、この順番が分からない。

 例えば、輸出産業界は、この期に及んでも
 「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)」の参加を急げという。
 5月17日、政府は震災を踏まえて政策課題を組み直す
 「政策推進指針」を閣議決定した。
 同指針は、「国家戦略の再設計」と「財政・社会保障の持続可能性」の
 二本柱で構成されており、
 今後3年程度で「復興に必要な財源確保と
 社会保障・税一体改革を実行」すると明記し、
 消費税の引き上げを含む税制抜本改革を強調した。

 TPPについては、「交渉参加の判断時期を総合的に検討する」
 という表現で、先送りにした。農林水産業が壊滅的被害を受けた
 被災地を思えば、その復旧は日本全体の「食糧安全保障」に
 かかわるだけに、この決定は当然であろう。

 しかし、閣議決定に先立って、読売新聞(5月15日)は、
 「TPP参加で復興に弾みを」と社説に掲げた。
 「日本は貿易自由化に備えながら、震災復興も後押しする
 経済活性化策を打ち出すべきだ。TPPへの参加がその軸になる」と記している。
 また、日本経団連の「経済Trend」4月号は、
 「TPP交渉への早期参加が日本の未来を切り拓く」との特集を組んだ。

 大震災は、私たちに農業や漁業の大切さを改めて教えてくれた。
 そこには何代にもわたって、津波の脅威と闘いながら生業を営んできた
 人びとの歴史と、文化と、何よりも安全で、おいしい食べ物があった。

 この豊かな生業をどう取り戻すかが、最優先ではないのか。
 食という人間の基本をおろそかにして、通商もへったくれもあったものではない。
 健康の基本は食べ物なのだ。

 JAグループは、震災を踏まえて、「農業復権」に向けた提言をまとめた。
 そこでは、「TPP交渉への参加を検討する動きがあるが、これは被災地の
 農林水産業従事者の気持ちをくじくことになり、復興の足かせとなる。
 ただちに中止すべきだ」と指摘している。当然であろう。
 TPP推進派は、火事場泥棒のようなことをしないでいただきたい。

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63 「国民全員でのチーム医療」

日経メディカル 2011年8月30日  色平哲郎

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/201108/521276.html

今年は国民皆保険の達成からちょうど半世紀。
医学雑誌「Lancet」は、9月に「日本特集号」を刊行するという。

そんな節目の年に東日本大震災が起きた。
被災地での医療が、DMATチームによる緊急対応段階から、慢性期対応、
介護と連携したケア、原発事故による内部被ばく問題などへ拡がっていく中で、
医療の制度基盤である国民皆保険の存在意義は一段と高まっている。

もし皆保険制度が機能していなかったら、
未曾有の災害で被災された方々の生命はどうなっていたか・・・
と想像すると背筋が寒くなる。

一方、50年の歴史を歩んできた皆保険制度がさまざまな危機に
直面していることも事実である。
すべての政党が「皆保険の堅持」を掲げているにもかかわらず、
財源措置などをめぐっては対立が生じている。
世界に認められた「宝」の存続が危ぶまれている。

ノンフィクション作家・山岡淳一郎氏の『国民皆保険が危ない」(平凡社新書)は、
ふだん見落とされがちな医療保険の「光と影」を再認識するのに格好の近著だ。

著者は、皆保険を崩そうとする圧力として、
「無保険者の増加に象徴される制度内矛盾の拡大」と
「医療の自由化を押し進める国際化」の二つを挙げている。

少子高齢化の進行により、多数の高齢者を少ない現役世代が支えている中で、
長引く不況や非正規労働者の増加により、財源の不足が問題になっている。

特に、国民健康保険(国保)は深刻で、2009年度は2633億円の
赤字となった。そのため、保険料が高くなって払えなくなり、
やむを得ず無保険者になる加入者が出てきている。

国保はかつて、農林水産業者や自営業者の受け皿とみられていたが、
それは過去の話だ。
厚生労働省の「平成21年度国保調査」によれば、国保加入者の実に4分の3を、
派遣労働者などの非正規雇用者と無職者が占めている。

そして、そこに市場主義に基づいて医療の自由化を目指す
「医療の国際化」圧力が加わる。
この象徴が「医療ツーリズム」だ。

外国人に自由診療を行うことで、日本人にも自由診療が広がり、
その結果として公的保険しか持たない日本人への対応が手薄になり、
医療格差が広がるのではないかと懸念されている。

著者はこう述べている。

(国保の)財源不足が深刻だというのなら、富裕層の負担を増やし、
福祉目的税の導入を考えねばならないだろう。
赤字の国保と国保をいくつ集めても財政基盤は強化されない。
広域化で統合を図るなら、国保と被用者保険の垣根を取り払い、
一体化しなくては意味がない。
だが、組合健保や共済組合は国保との合併に反発する。
そうした利害の対立を、同じ土俵で議論するための言葉と思想を、
この国は失ってしまった。
(207ページ)

著者が国保を重視し、皆保険の「原点」とみるのは、
その歴史的な成り立ちによる。
1958年に、「新国民健康保険法」が施行されたときの考え方はこうだ。

(皆保険達成時に)国保という大きな網を全国にかけて覆い、
そのなかの健康保険や共済は例外として認め、
最終的にすべての国民を国保でカバーする発想に立ったのだ。
ここが国民皆保険の歴史的立脚点である。
だから国保が『最後の砦』なのだ。
事業を遂行するために国の財政責任が明確にされ、
新国保は未加入者を救う制度として再スタートした。
(172ページ)

では、日本の皆保険制度が抱える問題をどう解決したらよいのか。
著者は、フランス、ドイツ、英国、デンマークなど、
ヨーロッパ諸国との制度を比較して、
各国の医療保険制度改革には共通点があると指摘する。

それは、制度の活性化のためには市場や競争の刺激を
取り入れながらも、根底の「社会連帯」は崩さないことだ。
たとえ利害が対立する者同士であっても、社会連帯の
基盤はゆるがない、という。

皆保険制度は、私なりに言いかえれば「国民全員でのチーム医療」だ。
チーム医療だというのに、一番体調の悪い人々を置き去りに
してしまっては本末転倒。
全員がいずれ患者となる運命なのだから、
歩みはゆっくりでいいだろう。

皆保険達成から半世紀。
日本の「宝」を再認識するために本書をお勧めする。

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64 東日本大震災と生活保護

日経メディカル 2011年9月28日  色平哲郎
 
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/201109/521796.html

 先日、宮城県南三陸町の公立志津川病院を訪ねた。
 空っぽの5階建て鉄筋コンクリートの巨大な塊を前に、絶句した。

 南三陸町の死者・行方不明者は901人で、
 町民の約20人に1人に当たる。
 宮城県全体では、234万人の県民のうち、死者・行方不明者は1万1574人。
 県民の200人に1人が、震災で死亡もしくは行方不明になっている。
 亡くなられた方々のご冥福をお祈りする
 (死者・行方不明者の統計は9月27日付のもの。
 宮城県の人口は3月1日付の概況、南三陸町の人口は2月末のもの)。

 東日本大震災のダメージが、社会全体に拡がっている。
 被災地での医療や介護のサービス提供は、従前想像していた以上に困難だ。
 震災で死者・行方不明者が約4000人に上った宮城県石巻市では、
 介護保険担当者が「人口動態が不安定で、どこに誰がいるのかをつかむのも難しい。
 3年先まで見通すのは無理だ」と胸中を吐露している(朝日新聞9月19日朝刊)。

 被災地では、高齢者のみならず、あらゆる世代で人が動いている。
 住民基本台帳と実際に住んでいる人の「突き合わせ」が難題なのだ。
 今年度は、介護保険を運営する市町村が3年に1度、
 事業計画を練り直す時期に当たっている。
 だがしかし、とてもプランニングできる状況ではない。

 原発事故で人口の約4割が県外に避難した福島県浪江町だが、
 4?7月だけで要介護認定の新たな申請が235件に及び、昨年1年分を超えたという。
 異常事態の連続で、高齢者の健康状態は急激に悪化している。

 浪江町のほかにも多くの自治体が、今年度までの計画の
 暫定延長を認めるよう国に求めている。
 被災地での介護保険事業は、3年ごとの見直しという枠をいったん外し、
 単年度ごとに自治体の一般会計や、国の補助金を財源に充てる措置が必要だろう。

 医療の供給側も危機的状況だ。

 南相馬市の緊急時避難準備区域(福島第一原発から半径20?30キロ圏内)では、
 病院の常勤医師数が46人から27人に激減している。
 開業医を含めると医師数は、さらに減ったとみられる。
 南相馬市のこの区域には5病院あるが、そのうち
 3つの病院が短期の入院患者だけを受け入れている。
 南相馬市立総合病院は、入院・手術とも再開したものの、
 震災前に12人いた医師は7人に減ったままだ。産婦人科は休診中である
 (朝日新聞8月30日付朝刊)。

 被災者は、医療費の自己負担を免除されているが、
 それが周知されていないケースもある。
 被災者は、全国47都道府県の自治体に散っている。
 直接的な被害を受けていない自治体の中には医療費免除を知らず、
 トラブルが生じているところもあるという。

 さらに被災地の危機は、社会の底辺にしわ寄せされている。
 長引く不況に震災が追い打ちをかけ、失職者が急増中だ。
 厚生労働省の調査では、岩手・宮城・福島の3県で、震災の影響で
 失業した労働者が7万人に上ると見込まれている。
 政府は今年の5月に、被災した求職者の失業手当の給付期間を
 特例で120日延長したが、今月末から10月にかけて給付期間の
 打ち切りが始まるため、経済的に困窮する労働者が出ることが懸念されていた
 (毎日新聞9月6日付朝刊)。

 そこで、小宮山洋子厚生労働相は9月27日の記者会見で、
 被災した3県の沿岸部在住の求職者の失業手当の給付期間を、
 さらに90日間延長すると発表した(朝日新聞9月27日付)。
 しかし、それも今年いっぱいまでであり、長期的な視点に立った
 被災者の生活支援が求められている。

 こうした震災ダメージの連鎖的拡大を食い止めるのは、
 社会のセーフティーネットだ。
 日本のセーフティーネットとは、いうまでもなく生活保護である。
 財政赤字を理由に、震災で路頭に迷う人の生活保護申請を
 受け付けないわけにはいくまい。将来にツケを回さないために、
 今目の前にある生命の危機を放置するとしたら、憲法違反に問われる。

 ところが、生活保護は、本人の恥ずかしさや不正受給への社会的な批判
 などもあって、経済的に逼迫していても申請できない人がいる。
 自治体は、財政赤字を増やすまいと申請者に「門前払い」を食らわす。
 申請したい人には、いくつもの壁がある。
 その突破法を、四コマ漫画を駆使して分かりやすく説明した本がある。
 『路上からできる生活保護申請ガイド(改訂版)』
 (ホームレス総合相談ネットワーク)だ。

 これは申請者のみならず、支援する側の人間にも役に立つ。
 自治体の福祉事務所は、「保護申請書」をなかなか渡そうとしない。
 この本には、その申請書類が切り取って使えるように付いている。
 これまで、ノウハウとしてもったいぶって語られていたことが、
 すぐに実践できるレベルで解説されている。画期的な手引書であろう。

 政治家が権力闘争に明け暮れたため、震災復興は遅れがちだ。
 その分、市民が、知恵をしぼって現実に対応するしかない。
 今ここで、苦しんでいる人を助けあげることこそ、
 広い意味での医療の原点ではないだろうか。

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65 TPP参加は「開国」ではなく「壊国」

日経メディカル 2011年10月25日 色平哲郎

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/201110/522164.html

 このブログでも環太平洋経済連携協定(TPP)参加への
 警鐘を鳴らし続けてきたが、野田政権が11月にハワイで開催される
 アジア太平洋経済協力会議(APEC)でのTPPの参加交渉に
 前向きであるという報道を見るにつけ、ますます危機感が募ってきた
 (関連記事:2011.7.22「ものごとには順番があるはずだ」
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/blog/irohira/201107/520830.html)。

 地方の農山村地域で医療・福祉に携わっていると、
 野田佳彦首相や前原誠司民主党政調会長の
 積極姿勢は、正気の沙汰とは思えない。

 「自由貿易主義」の象徴ともいえるTPPは、
 日本国の社会システムを大きく改悪する可能性が高い。
 経団連などからは、一足先に米国と自由貿易協定(FTA)を結んだ韓国を
 うらやむ声が聞こえてくるが、韓国はさらなる格差社会へと突き進んでいる。

 たとえば米韓FTAによって、韓国の医療・医薬品分野の
 自由化が急速に進められようとしている。
 韓国でも国民皆保険制度が機能しているが、FTAの締結によって
 経済特区では「保険適用外」の規定が認められ、
 高額の治療費で診療が行われる大型病院の建設が進められる見込みだ。

 経済特区の一つである仁川では現在、600床規模の
 ニューヨーク基督長老会病院(NYP Hospital)が建設されている。
 病室はすべて個室で、医療費を病院経営者が決められる。
 この病院は、韓国の健康保険で定められた医療費の
 6ー7倍を請求するといわれる。また、従来、病院は
 出資者や債権者には利益配当ができなかったが、
 特区ではできるようにもなったという。

 さらに、医薬品の認定も国から独立した機関が
 担う仕組みに変更された。
 米国との協議機関を新たに設置し、
 そこで認証が行われる方向だ。

 このほかに、外資の医療保険分野への進出も懸念されており、
 韓国の公的医療保険制度は、危殆に瀕している。
 韓国政府は、米国との交渉中に一貫して
 教育と医療分野での開放はしないと断言してきた。
 しかし、経済特区で例外として自由診療を認め、
 営利病院の設立を許可したことで事実上、
 公的健康保険の基本的構図を崩したといえるだろう。

 日本の外務省は、TPP交渉の現状について、
 医療は交渉分野には含まれておらず、
 混合診療や医療への企業参入は議論の対象外だとしている。
 だが、ひとたび交渉のテーブルにつけば、皆保険制度の堤が
 崩されるのは火を見るより明らかだろう。

 一部には、交渉に参加して、日本の国益に反することになればTPPの
 枠組みから抜ければいいとの意見もあるが、全くのナンセンスだ。
 TPPへの交渉入りは、米国の議会承認を経て初めて可能となる。
 「不利だから抜けます」と簡単に足抜けできるものではない。
 交渉の輪に入ることは、TPP参加と同義なのだ。

 米国のオバマ政権が日本にTPP参加をしきりに促すのは、
 来年の大統領選挙に向けた有利な手土産がほしいからだ。
 日本への輸出を増やし、雇用状況を上向きにして
 貿易赤字を減らして、大統領選を有利に進めたいのである。

 しかし、関税が撤廃されたところで、輸出産業の大口である自動車メーカーは
 既に米国内の現地生産に切り替えており、ほとんどメリットはない。
 逆に米国の大規模農場や人件費の安い東南アジアから
 農産物が大量に流れ込み、物価を押し下げ、日本はデフレが続く。
 国内産業の空洞化に歯止めはかからない。

 前原誠司氏ら推進派は、「後継者も無く、衰退した農業を守るために
 輸出産業を犠牲にするな」と言う。
 しかし世界では人口が急増しており、いまや食料自給率は安全保障の面からも
 軍事力に匹敵する重要な問題だということをご存知ないのだろうか。
 TPP参加の前に、若い世代が進んで参加できるように
 農業を立て直していかねばなるまい。

 今は、農業、医療・保険、金融・投資、労働、教育など、
 自由化の大波にさらされる公的分野のあり方を立ち止まって考え、
 国民的合意の形成を図るときであろう。
 新たな行動を起こすのは、それからでよいはずだ。

 もしかすると、来年の米国の大統領選さえ終わってしまえば、
 TPPが話題になることもないのかもしれないが。

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66 「認知症患者」という呼称

日経メディカル 2011年11月29日 色平哲郎

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/blog/irohira/201111/522604.html

 東日本大震災の被災地で、「認知症の人」たちが急激な環境変化に苦しんでいる。

 グループホームなどの施設本体が地震や津波で壊れたり、
 原発事故で避難したりで、「引っ越し」を余儀なくされ、
 新しい環境になかなか適応できないでいるのだ。

 認知症の人は、最近の記憶が薄らいでいる。
 トイレの位置、部屋の間取りなどを体感でどうにか覚えている状態だ。
 しかし、場所が変わってしまうとまたゼロに戻る。
 時間や周囲との関係がどんどん曖昧になって、不安が高じる。
 自分が壊れそうな不安にさいなまれる。
 認知症の人は、同じことを何度も尋ねる傾向があるが、
 これは不安感や焦燥感の表れなのだという。

 被災地では、ただでさえ少ない介護者が激減していて、
 認知症への対応が緊急の課題になっている。

 認知症の有病率は、65歳以上で平均14.4%、85-89歳では3人に1人の
 割合だという(厚生労働省科学研究費補助金総合研究報告書
 「認知症の実態把握に向けた総合的研究」)。
 これだけ一般化すれば、特殊な病気とはいえまい。
 私もあなたも、いずれは認知症になっていく可能性は高い。

 自分も認知症になるのだと思えば、「認知症患者」
 などと突き放した表現はしにくくなるのではないか。
 何より患者扱いして対応していると、当人の症状が和らがない。
 医学的な対処に万全を期すことはもちろん重要だが、
 まずはその人の存在、人格を認めることだ。

 認知症の高齢者の訪問診療を行っている木之下徹医師(こだまクリニック院長)は、
 2011年2月に開かれた「第二回ターミナルケア研究会」で、こう語っている。


 「認知症に伴っておこる幻覚、妄想、攻撃的な言動などを指すBPSDは、
 いまだに“問題行動”あるいは“異常行動”というスティグマ
 で捉えられがちです。

 私も家族から『静かにする薬を処方してくれ』と言われることがしばしばです。
 しかし、よくよく聞いてみると、便秘のせいだったりするわけです。
 あるいは、対応が刺々しくなることで、ご本人がますますエスカレートする。
 この悪循環が回り始めると、泥沼になってしまう。

 訪問診療を通じて観察を重ねると、
 だれでもそういう環境に置かれたら、
 そういう症状が出ても無理はない、と思えてしまう。
 そういうプロセスの腑分けなくして、いきなり、“問題行動”
 あるいは“異常行動”と考えるのは危険だと思う訳です。

 私が今、気になっているのは認知症“患者”という呼び方です。
 海外では既に用語を変更する動きがあります。それらの論文によると
 “患者”という言葉は、人間性を狭める意味を帯びた
 スティグマ的表現だと言うのです。
 平等な価値を有する人間性全体を示す“人”という言葉に
 改める国がふえてきました。
 日本でももうそろそろそういう用語を、
 『痴呆』のみならず、見直すべき時期かもしれません」


 認知症の人とは、会話が途絶えがちになるが、
 話をすることで脳が活性化され、不安感も徐々に薄らいでいく。
 認知症の人には、ゆっくり、分かりやすく話す。
 一度に複数のことを話しかけてはいけない。
 コミュニケーションには忍耐とコツが肝要だ。
 これを体得するには、まず、相手を「人」と認めることから
 始めないといけないのではなかろうか。

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