記念講演 地域に根ざした医療を考える 〜長野・佐久の実践から〜

色平哲郎 いろひら てつろう 長野厚生連佐久総合病院 医師

2011年10月1日 全国町村会館ホールにて

自己紹介〜はじめに〜

みなさんこんにちは。善光寺から来ましたお坊さんです。(笑)
というのはウソで、お坊さんみたいな仕事をしているお医者さんです。
山村で10年以上この仕事をしていますと多くの方を看取るので、
お医者さんかお坊さんだかよくわからないですね(笑)。

ここで申し上げなければいけないのは、人間の死亡率は100%ということです。
だからこそ、あきらめるのではなく、我々の力をどのように生かすのか
というのが課題ではないかと思っています。

みなさん医師不足で悩んでおられるということですが、佐久病院は悩んで
いないんですね。毎年10人以上は医師が増えております。
これから建て直しを控えて佐久病院は転機に入っています。

住民の方々も、佐久で暮らしていると、「医療は充実している」
という実感でおいでなのでしょう。
全国ニュースでいろいろなことを聞きびっくりしておいでになるようです。

お医者さんの業界では、私のような“伊賀でも甲賀でもない抜け忍のような
変わりもの”(つまり、医師会にも医学会にも所属していない医師)
は少数派なんですね。

医局と言うのは私が卒業したころは、そびえたつ権威でした。
最近は医局は崩壊しているとか言われますが、本当かな? 
というのが私の率直な感想だったのです。

つまりみなさんがお悩みの、医師不足であるとか、医療崩壊とかであることと、
だいぶ違った温度の場所に私は暮らしていることを、
申し上げなければならないわけです。

というと「地域医療を守る」という大きな会でお話しする資格があるのかどうか、
私がみなさんにお話しする内容があるのか、疑問になってきますよね。


若月俊一先生が
佐久に残した農村医学

「サク病院」、実は「サケ病院」と言われています。“農村医学の父”と呼ばれた、
若月俊一先生は外科医としても病院経営者としても優秀な方で、
文章も書けてお話もできる方でした。

最初、若月先生は“ピンク”と呼ばれ、保守的な村人に警戒されたんですね。
警察からも農民からも監視されていました。
そこで若月先生は、地域の方々とお酒を飲むということをされたんですね。

そんな若月先生がいらした、変わった病院ですから、居心地がいいせいか、
どんどん医者が増えていることは申し上げた通りなんです。

それでも、私たちも医師不足で困った時期がありました。今から数十年前。
この時代に医師が不足して山のなかの無医村をなかなか解消できませんでした。
そういうところへ若月先生がなんとか医者を送り込もうと努力を重ねたわけです。
その時にお酒を飲んで語り合って……。

当時は、佐久病院に医師が送り込まれると“アカ”になるのではないかと
みんな警戒したんですね。
そういう時代のなかでなんとか生き残りを考えて60年が経ちました。

今から50年以上前、山のなかでは農民のほとんどに医療保険がなかった。
みなさんの地元でも、郡部の農村漁村には医療保険がなかったのです。
保険があったのは工場で働いている人、公務員の人だけでした。


「予防は治療に勝る」が
佐久病院の基本的な考え方

保険のない人のために医療を提供すると、どうなるかわかります?
赤字になるんです。

私は、学生のころにいろいろな取り組みをしたり、親不幸で海外放浪の旅
に出たりした後、医者になってからは、出会った外国人労働者などの診療もしました。
保険がない人は、医療費が払えないため受診できないので、
病気がこじれてから来るんです。
もう倒れそうになっている。
この人たちのお世話をすると、赤字になります。
だから病院に赤字を作る「悪い研修医」だと言われてました(笑)。

日本人の方が来てくれれば、保険があるからすべて「お客さん」なんです。
お客さんが増えて病院はうれしい、日本では外国人を診察するということは、
外国人には医療保険がない場合が多いので病院に赤字を作ることになるわけです。

こじらせてから来られても病院側もつらいわけです。
若月先生が考えたのは、「予防は治療に勝る」という考え方です。
でもこれは、一般的にお医者さんの発する言葉ではありません。

普通は、お医者さんは病気が多いほど儲かるんです。
大工さんは火事が多いと儲かるんです。
お百姓さんだって、極端な話、飢饉になると儲かるんです。

資本主義でやっている限りお医者さんは患者さんの数が多いほど儲かるわけです。
「保険のない人、生活保護の人はどっかに行ってね」とやっていると儲かるのです。

私の友人にバングラデシュのお医者さんがいます。
バングラデシュに井戸を掘るときれいな水が出るので、子どもが病気にかからない。
それで40も井戸を作った。
そしたら患者が減ると、医師会から文句を言われたというのです。
これはバングラデシュの話です。
でも、若月先生の「予防は治療に勝る」という言葉も、
お医者さんの発想とは思えない変わった言葉です。


農民と対話を続けることで
出来上がった信頼関係

佐久病院はどうして“サケ病院”なんでしょう? 
どうして変わった病院なんでしょうか? 
みなさん、聞いたことはあると思うのですが、佐久病院は、大きな病院で案外、
官僚化しているんです。
ドクターが200人もいるとお互い知り合えませんよね。

佐久病院は農協が作った組織であり、農民たちが作った病院です。
農民たちは病気になりたくないので、例え病院が多少の赤字であっても、
予防医療をやってくれるなら、みんなからお金を集めてくると。
そのような、お金の回し方だけでなく、いつも商売だけではない、
予防活動にも時間を割くような変わったお医者さんがいないかなと探したんですが、
いませんでした。
それで“ピンク”でもしょうがない、という話で
若月先生を雇ってみたら腕がよかったんですね。

当時、農村のあぜ道で血圧を測ったら200を超えている人が結構いました。
塩分をとりすぎているため、多くの人が高血圧なわけです。
しかし田舎で姑や舅に仕えているお嫁さんたちが、
「味噌汁の塩分を減らしなさい」なんて医者に言われてもほとんど不可能です、
ものすごく大変なことです。
減らしたら「誰がやっているんだ!」って、お嫁さんたち怒られるわけですから。

最近は嫁姑の力関係が変わったという話もありますが、以前はそうはいかなかった。
それで若月先生は、口で言うだけでは実践してもらえない、と、
保健医療の教育活動を寸劇を使って行ったんですね。
先生だけでなく、保健師さんもがんばって正しい知識を広めていってくれました。

長野県の老人医療費は、小泉首相が、「長野モデル」と言ったように、
全国で一番安いですよね。どうしてだと思います? 
これは長野の医者がアホだからですよ。
たぶん勉強していないからです。
カルテに「CT」って1行書けば金券になるのに、
「予防」って字しか書けないんです(笑)。

1枚書けば金券、つまりレセプトになりますから。
医療活動はある種の贋金づくりとも言えるので、
患者が納得すればどんどん金になるわけです。
保険者は腹が痛むかもしれないけどね。
でも長野県の医者は、一番安い薬しか知らないんですよ。
だから医療費が安い。


日本の病院の成り立ちを知る

現在、法律上の医療改革プランを見てみると、
全国の大事な病院に対してこれほどの“病院おとりつぶし”
攻撃がかかっているとは……と驚いています。

長野県はまだ良い方なんです。
なぜかというと、農協病院がすごく多いからです。

みなさん自身が戦前の農民組合、産業組合の幹部だったらどうでしょうか? 
農民も漁民もいます。医者がほとんどいない。
盲腸になっても命にかかわる、というような状況です。
戦前の産業組合の指導者だとすると、70、80年前、なけなしのお金で病院を建て、
共済組合を作って医者を雇うんですよ。
戦前戦中だったら、左翼運動もサの字も出せません。
これが今、公的病院になっているものの前身です。

ここでまた、若月先生の言葉を引用します。
(『村で病気とたたかう』若月俊一著/ 岩波新書)

「私ども農協厚生連病院は、かつての『組合病院』であり、今から半世紀近くも前、
昭和の初年、今日の農協の前身である産業組合の諸先輩による農村医療組合運動
の中から自主的に設立されたものである。
当時の無医村的環境と、高い医療費(当時はまだ国民健康保険ができていなかった)
に苦しんでいた農民の窮状を打破すべく、農民自身が立ち上がってできたものである。
かくて『組合病院』が全国的にでき、またそのような運動の中から今日の
国民健康保険制度自身も誕生したという歴史的事実を忘れてはなるまい。
このように、農民の生活に結びついた重要な問題は、国がとりあげないからといっ
て放っておくわけにはいかない。いや、農民の問題は農民自身が農民の組織の力
によって解決しようとすることこそ、基本的姿勢というべきではあるまいか」

若月先生がこれを書かれたのは、今から40年前、皆保険ができて日本が
昇り調子にさしかかったところですが、今、読み返してみて、
戦前と同じ状況に戻りつつあります。
若い時に世界を放浪して気づいたことですが、
地球上のほとんどの地域は医者がいないんです。

そして3・11以前からもともと医師の少なかった東北。
必要なのはみなさんが3つのことにチャレンジできるかどうかです。

まず、お金をあつめて医療機関をつくる。
次に、今は国民皆保険がありますけれども、国民皆保険のもとになったのは、
共済保険です。
みなさん自身が、共済組合的な活動を始めることができますか? 
最後に3つ目。ピンクの医者を雇って来れますか? 
あるいはみなさん自身が医者になりますか? ということですよね。

私はみなさんにアホなことを言っているようでありながら、
昭和初年のあのファシズムの時代に、みなさんの先輩がこういう3つの
チャレンジをくぐりぬけてきた、そういう活動があったということを、
みなさんにお話ししたいと思います。


医療サービスは
ヒューマンエラーを含むアート

医療サービスの特徴は何か、みなさん知っていますか? 
間違いが多いことなんです。
なかなか理解できないと思いますが、これが正解なのです。

ものすごくエラーが多い医療サービスにおいては、何回も何回も綿密に特に
看護師さんがフォローしてくれて、
やっとこさっとこエラーしないようにしているのが実情です。

みなさん、医療のことを知れば知るほどわかってくると思うんですけど、
お医者さんの前に座ったら、ぱっと病名があたるなんて、そんなのないですよ。
占いではないので、よくわからないです(笑)。
とくに私のように山のなかに10年もいると、
へぼ医者もいいとこで、よくわからないのです。

よくわからないんだけど、なんとかやってると、
ちょっとわかるところがあるんですよ。
医療サービスの特徴は、なかなか簡単に成果がでないということです。
そして、後になってわかることが多いということですね。

ウイリアム・オスラーという医師の言葉があります。
「医療は不確実性の科学であり、確率のアートである」。

サイコロをふったときに1の目が出る確率と同じように、
医療がいかに不確実かということです。

今年です、私の先輩の日野原重明先生が100歳になるのは。
日野原先生のお師匠さんがこのオスラーという医師です。
いかに医療というものが不確実な科学か、確率のアートなのか
よくわからないなかで、医療者──看護師も医者ももがいているわけです。
それを、「早く正解を見つけろ」とか言われると困るんですよね。
そういうところをちょっとわかってあげてくださいね。


診療待ち時間の考え方

診療の現場について、待ち時間と診察時間について、みなさん30分、
私の話を聞きたいという人はあんまりいないですよね(笑)。
私ねえ、30分診療ってイヤなんですよね。
30分、医者の話をきくっていうのは、深刻になっているから、
もともとそういうこと自体知りたくないですよね。

だって、がんだって言われて、「ガーン!」ってなって何にもおぼえていない
というのが普通ですから30分なんて話し聞けないですよ(笑)。

もしみなさんが変わった人で、奇特な人で、
私の話を30分聞きたいと申し出たとしましょう。そうするとどうなります? 
3時間待ちの3分診療だとしますよ。
後ろの診察時間を30分にすると前の待ち時間は30時間になるってわかります? 

そうなんです、医師数を10倍にすれば30分診療できます。
今の手薄さで、この医師数でやっていたら、30時間待ちになるんですよ。
30時間待ちになったら、命にかかわるかもしれません(笑)。
外来の待合室のなかをベテラン婦長がいくらぐるぐるまわって診てても、
30時間待ちだと、ちょっと見落としがあるかもしれない。
あぶないですね。3時間くらいだったら、2、3周すればOKですが(笑)。

言ってることわかりますね。
医師数を10倍にするとなると、もう厚労省の問題ではないです、文科省の問題ですよ。
文科省領域で10倍の税金を、投入して医師を育てなさいと言うことになる。
1人の医者を育てるのに数千万円かかるのですから。
私はみなさんの血税を数千万つかって、医者になったのです。
そういう感覚なさすぎますね、今の医科大学。
私があちこちによばれて、こういう話をして、帰ってくるのですよ。
「君たちはどれだけ税金をもらってると思ってるんだ」って。
私が言わないとといけないんですよ。

教授が言わないのですよね。
本当に困った時代です。
いや、みなさんだって、言わなければいけない。
一人ひとりに対して、みなさんは数千万円、
これだけの期待をかけてますよと言ってください。
患者になってしまったら言えないからね。


患者満足度を上げるための“AKA”

患者満足度をあげるためにはどうしたらいいのか。
これはかんたんです。
“AKA”です。知ってますか? 
AKBではないですよ(笑)。

私には、女房と子供3人いるんです。
家族を長持ちさせるコツは何かという色平家の話し合いで、
女房の言いだしたことが“AKA”なんですよ。
今日もちょっと言われてきました。

「あてにしない、期待しない、あきらめる」=AKA。
これ大事なんですよ。
私あてにされてないですからね。期待されてない。
あきらめられてるダンナなんですよ。
こういう人がね、まちがえて、妻に「ありがとう」って、口走るとします。
そうするとすごいですよ、子どもが拍手して、「すごい!」と。
お礼なんて年に1回しか言わないから。
これ大事ですよね。

色平診療所ではどうしてるでしょうか。
まず、診療所に入ってくる前に、外で
「色平先生には、あてにしない、期待しない、あきらめる」
と色平先生に聞こえないように10回、AKAを唱えて入るとどうですか? 
すべてのお医者さんが名医だってわかりますよ。
「迷医」のほうではありませんよ(笑)。

いいですか、私、期待されてないんですよ。
そこで「いやあ治るかもしれないよ」って言うだけですごい名医ですよ。

今の日本人はあきらめる心がない。
早くあきらめたらいいと思います。
昔の日本人はちょっと違っていたようです。
海外の友人が多いから思うのですが、今の日本人はね、
自分が死ぬっていうことを知らない。考えていない。
海外の人は、そういう日本人について、そんな常識も知らないなんて、
はっきり言ってアホだと思っていますよ。
残念ではありますが、人はいずれ死んでしまうのですから。


医師にすべてを求めるのは無理なこと

本田宏先生(済生会栗橋病院)が以前、言っていました。

「手術の腕がブラック・ジャックで、利根川進の頭で、
話術が綾小路きみまろで、イケメンの医者なんて、それはいないんですよ。
テレビに出てくるああいうお医者さんだっていない。
お医者さんは、特に日本語がへただから、
説明されてわからないことがあったらとにかく看護師さんにきいてください」

また、生前親しくさせていただいた加藤周一先生の言葉があります。

「医者が日本語下手だから、誰かに翻訳させないといけない。
翻訳できるのは、村人の言葉と医者の言葉と両方わかっているバイリンガル、
これが看護師さんなわけ。
看護師さんだって、頑張らないといけない」

この言葉通り、医者の言葉はわかりにくいし、何を言っているのかも伝わらない。
日本語が通じると思ってるのが、医者の浅はかさなんです。
通じないの。
「がんですよ」と患者さんに言ったら、
患者さんは「ガーン!」ってなって何にも覚えていないのが普通なの。
だから、その後続けてがんの説明をしても、時間の無駄なんです。

僕だったら、「がんもどきです」って言うよ。
「がんもどきだ」って言われたら、こいつね、ほんとに医者なのかなって、
疑いの心が生まれるでしょ。それが大事です。
自分の体のなかのことなんだから、質問しなくてはいけない。

「先生、がんもどきってなんですか?」

「それはね、がんもどきって言ったら、がんに似ているがんもどきなんだよ」
って言うでしょ。患者さんはわからないわけ。
そして「このお医者さんだめだ」って思うわけです。
そして後で、看護師さんに尋ねる。
つまり、「自分で頑張らないと! 
この医者には任せられない」と思ってもらうこと、これが大事です。

例えば、減塩することを進めるために、「脳卒中で倒れたら、
みなさんの負担になるんです。若い人の負担にならないようにしましょう」
というのを、医者の言葉ではうまく伝えられない。
そこで、若月先生は劇で説明したんです。

理屈ではない、「生の理屈」を振り回すなということです。
若月先生の書かれた『村で病気とたたかう』(若月俊一著/ 岩波新書)
を読みこなすと、今のみなさんの医師不足とかお医者さんが理解がないとか、
お医者さんの日本語が下手だとか、そんなことは当たり前のことだとわかるはずです。
もともとそういう大事なことが医師を教育する課程に入っていないのですから。


医師不足解消の手立ては
医師の輸入か、患者の輸出

医師不足を解決するにはどうしたらいいか知っていますか? 
簡単なんですよ。
医者を輸入すればいいんです。
医者を輸入するか患者を輸出すればいい。海外では常識です。
知らないでしょ(笑)。

みなさん、日本のなかにいるからあまり知らない。
イギリスが医療崩壊したのはなぜだと思います? 
イギリスの医者たちは、あたりまえですけど、英語がうまいでしょ。
で、医療費(の抑制政策)がつらくなったので、カナダに行ってしまったのです。
だから医療崩壊した。
構造が違う、日本の医者は海外に逃げないでしょ。

日本人の医者が愛国者だから、というのはウソで、本当は英語ができないからです。
医者が英語ができないのはラッキーです。
できたらみんな逃げてしまうのだから(笑)。
海外との関係だったら、患者さんも国境を越えて動いてしまうわけです。
これ「メディカルツーリズム」という流行です。
解決策、海外の常識は、医者を輸入するか、患者を輸出するか、のどちらかです。
でも、日本は日本語でケアしていますから、
日本語ができない医療従事者にかかるのは、患者さんたちにとってつらいですよね。


国民皆保険制度50年の意味

国民皆保険制度ができて50年です。ご存知ですか?

50年前に国民皆保険制度が始まったことは画期的なことです。
どういう人が国民皆保険制度から漏れていたのか、
職域保険にはみんな入っていたが、日本全体のなかで取りこぼされたのは
どこらへんだと思います? 
農民と自営業者と女性なんです。

国民皆保険制度はどういう制度でどうやってできてきたのか、
日本が21世紀、国民皆保険制度を持続可能な制度にできるのかどうかについて、
世界中が注目しています。

「日本は敗戦国だっだのに、ここまで高度成長できたのはどうしてなんだろうか、
なんでこんなに豊かになれたのか」とよく聞かれます。
僕は手前みそに「国民皆保険(ナショナル インシュアランス システム)
があるからだ」と説明するのです。
その時彼らはちょっと考える。
「自分たちの国に国民皆保険制度を導入できるかどうか」ってね。

日本の50年前は今のベトナムぐらいの経済規模でした。
そして日本はここ50年で高度成長を遂げました。
でも、今、ここまで豊かな日本でも、50年たって国民皆保険制度を
維持するのが難しくなってきていることをベトナム人に告げたら、
彼らはどう感じるでしょう。


日本の都市部の急激な高齢化に
世界が注目している

現在、世界中で、アメリカとインドを除けば、日本はモデル、最先端です。
日本の高齢化は世界最大、世界中が注目しています。
世界人口会議でも、日本の話題が突出しているんです。

高齢者がここまで増えた社会がどういう風に地域づくりができるのか、
ご老人が増えた国でのマーケティングはどういったものになるかなど、
ドイツをはじめEU諸国もみんな注目しているわけです。

例えば長野県は、日本のなかでは比較的先進的な高齢地域ですが、
佐久病院がある限り、佐久は大丈夫だし、信州も多分大丈夫でしょう。

今日、各地方都市から来たみなさんが現役で頑張れば、
地方はあと10年くらいでこの高齢化問題を抜けられる、
しかし問題は都市近郊です。

埼玉、千葉、神奈川こういうところの、高齢化現象は、人口の母数が
ものすごいですから、パーセントがちょっと上がっただけで大変なことが起こる、
これがどうなるかを世界中が見ています。
そういうことを考え始めるいいチャンスが今です。

そして、「好きなところで好きな人と暮らし続けたい」と言うみなさんの
素朴な願いをかなえるためにも、医療・介護・看護が立ち行かないと、
私たちの老後はありません。
でも、残念ながら医者たちの頭はなかなか変わりません。
そこで、地域のみなさんの努力で変えられるのは介護です。
ちなみに、介護の本だったらマンガの『ヘルプマン!』
(くさか里樹著/講談社刊) がわかりやすくおすすめです。
特に8巻は、日本が抱える介護問題についてきちんと描いています。
ぜひご一読いただきたく。

※『ヘルプマン!』(くさか里樹著/講談社刊)第8巻


生活保護というセーフティーネットの使い方を
若者に教える

ところでみなさんホームレスになったことがありますか?(笑) 
私はあります。
親不孝で家出して、キャバレーでボーイやった後、しばらく路上でした。
もし生活保護を受けなければならなくなった時、どうしたらよいか知っていますか? 
社会保障の最後のとりでは生活保護ですから、「路上生活をしている人」
がどうすれば生活保護を受給できるかを説明します。

ここに生活保護の申請書類があります。
お役所の窓口にお願いしても、申請書類を出してくれないことが多いのです。
でも、そんな時には自分で「保護申請書○○所長殿」と書き、
印鑑を押して出してしまっていいんです。

向こうは、書類を受付けせざるを得ません。
今から10数年前、行政手続法という法律上、「受理」という概念はなくなりました。
だから、行政は申請書が出たら、
必ず受け取って審査を始めなければいけない義務があるんです。

ポイントは住所です。
みなさんが共通一次とか試験を受けていればいるほど、
書類と言うものは全部きちんと空欄をうめなければいけないと思い込んでますよね。
でもここは勇気を持って現住所欄に「なし」と書いてください。

こういうこと、ぜひ、中学校で教えてほしいですね。
「ここにいるみなさんのなかで、不幸にして路上から生活保護を申請
しなければいけないことになった場合──
もちろんそのような状況になってほしくはないですが──、
でももしその時には書き方を教えてあげます」
「自分で書類を作ってもよい」
「現住所に『なし』」と書く」
「役所が受け取らなかったら法律違反」などと。

実は生活保護費の4分の1が市町村の負担なので市町村窓口では申請書を
取りたくないんです。(更に言うと、後日、交付税措置されるんですが)。
不正受給する人も確かにいます。
でも不正のことを言い訳にして、的外れのキャンペーンをうつと、
困窮している若者が餓死してしまいかねません。

路上の人を救いあげるためには、具体的に書き方を教えてあげてください。
『路上からできる生活保護申請ガイド 生活保護申請書付』
(ホームレス総合相談ネットワーク編集/刊)という本が今、
述べたような大事なことをまとめています。

※『路上からできる生活保護申請ガイド 生活保護申請書付』
 
私たちは、困った時どうしたら住宅がもらえるか、食費がもらえるか、
どうやれば橋の下から脱出できるか。死んでは困るんだよって、
若者たちにお伝えしていかねばならない、そんな時代なんです。


「医療労働」2011年11月号掲載
「第2回 地域医療を守る運動全国交流集会」特集/記念講演

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