25年の反省

(脱原発/脱CO2のエネルギー政策を  「世界」11月号掲載 田中優)

私が原発運動に関わってから25年経つ。
つまり25年前のチェルノブイリ原発事故が、
私の原発に反対する運動のきっかけになっている。
私自身にあまり変わりはないが、周囲の扱いは大きく変わった。
福島第一原発の事故が起これば「それ以前から一貫して反対していた」
と持ち上げられ、そして今また「偏った意見を持つ人」
の扱いに戻りつつある。

そんな評価とは別に、自分で考える評価もある。
この25年間反対してきたものの、現に原発事故は起こり、
現に今なお「たいして心配はない」などと伝えられるまま、
多くの人たちが被曝を強いられている。
端的に言ってしまえば、私たちの運動が成功していたなら
原発はすでに止まっていて、事故は起きていなかったはずだ。
もちろん自分を含めて小さな市民の脱原発運動を、過大評価するつもりはない。
しかし、私たちの運動が成功していないことを素直に反省してみたい。

私が自ら反省すべきだと思う点は3つある。
1つ目は「危機感に頼り過ぎた」ことだ。
25年前、チェルノブイリ原発事故の際に私たちは、
「今度はこの原発が危ない、今日か明日か」というような運動をしていた。
確かに危機感はきっかけとしては大切だが、持続しない。
長く続かない以上、持続できる運動に移行しなければいけなかった。
しかし当時の運動は、危機感で人々を引っ張るばかりで、
持続できる運動にはなっていなかった。

2つ目は「身近な問題につなげられなかった」ことだ。
ゴミ問題でいえば、「毎日出るゴミ」を手にするたび、考えることになる。
ゴミ問題は日常生活に身近だから、と思うかもしれない。
しかし、電気だって「毎日スイッチを入れるたび、考えることになる」はずだ。
それはいかにリアリティーを持たせるかの問題だ。
空中戦のような専門的な論議にせず、今起きていることと密接に関係する
現実からの提起こそが必要なのだと思う。

3つ目は「仕組みの問題につなげられなかった」ことだ。
実は原発には、それを推進する仕組みがある。
利益が得られ、周囲を潤す利益共同体の固い結束が、
政/官/財/学/メディアを貫いて形成されている。
この仕組みが変わらないまま、脱原発が実現することなどあり得ないことなのだ。

本論ではこの仕組みから問題を読み解き、これからの運動を提起したい。



「原発を止める」と「自然エネルギー利用」は別の話

「原発に頼らない社会にするために、自然エネルギーの利用を」
とよく言われる。
しかしこの論理は、2つの別な話が含まれている。
反対解釈すれば明瞭だ。
「自然エネルギーが利用可能なものでなければ、原発は必要なもの」となっている。
つまり「原発は現状では必要不可欠なもの」であり、
「自然エネルギーの代替可能性を立証しなければならない」という認識の上に
成り立ってしまっている論理なのだ。
電気の需給問題の上に自然エネルギーの論議を上乗せしてしまっている。
この2つの議論を分けて考えてみよう。

まずは「原発は現状では必要不可欠なもの」という、
「原発は必要悪」とする認識だ。
「原発には確かに問題があるが、今の生活を捨てられない以上、
使わざるを得ない」という理屈である。
しかしそれには、ひとつだけ前提がある。
「今の電気消費は減らせないとしたら」という前提だ。
もし減らせるものならば、「原発は必要悪」の『必要』が取れてしまうことになる。
「原発が悪」なら、止めればいいだけの話だ。
そこで自然エネルギーの議論は後回しにして、まずは電気の需給問題を考えてみよう。



第1定理 電気消費ピークは夏場/平日/日中午後1時から3時、
     気温が32.3度Cを超えたときにだけ出る

電気には一大欠点がある。
「電気は貯められない」のだ。
バッテリーに貯めることはできるが、寿命は短く、寒さに弱く、
充電時間が長く取り出せる電気量が少なく、装置が大きい。
需要家側には可能であっても、供給側に使えるものではない。
供給側に使える大規模なものとして揚水発電所があるが、
コストが高い上に環境負荷が大きく、電力の統計では発電設備に
カウントしているので、ここでは取り上げない。
電気が貯められない以上、発電施設は必ず電力消費量の最大ピーク
をまかなえるように造られることになる。

さて、その電力消費の最大ピークだが、北海道を除いて夏場の平日、
日中に発生する。
東京電力でいえば、ビジネスが活発化している日中の午後1時から3時
の時間帯で、なおかつ冷房需要が大きくなる酷暑の日に限られている。
電気が貯められない以上、電力消費の最大ピークに合わせて発電所を
建設する必要がある。
1日の電力消費は、社会活動が活性化している日中に高く、
夜間に低い大きな波を描いている。
ではその最大消費ピークは毎日発生しているのだろうか。
実際には発生していない。
全国の電力消費の3分の1を占める東京電力のデータで見ても、
年間で最大ピークと呼べるほどの大きな消費は、1年間(24時間かける
365日=8760時間)の中で、わずか10時間程度しか発生していない。
2011年夏場のデータから、今年は少なめにピークを見積もって
4500万キロワットを超えた部分を選んでも、10時間ほどでしかない。
しかもそのピークには明らかな定理がある。
2011年でいえば、「夏場、平日、日中午後1時から3時にかけて、
気温が32.3度Cを超えたとき」に限られているのだ。
その消費ピークは、天気予報を見ていれば簡単に予測できる。
そのときだけ大規模需要家にお昼休みを1、2時間ずらしてもらえばいい。

世界的に見ても、日本の電力消費の波の上下は大きすぎる。
ピークに合わせて発電所を建設するため、稼働する率は下がる。
その結果、年間の発電所の負荷率(ほぼ稼働率に近い)は6割程度しかない。
ドイツや北欧と比べて10%以上も低い。
消費の波の上下をなだらかにすることを「負荷の平準化」という。
それに失敗しているのだ。
ピークの電気料金を高くするなり、市場で毎時間ごとの電気を売買する
ことで、需給による価格コントロールを効かせれば、
消費の上下の波はなだらかなものにすることができる。
発電所の負荷率を向上させてドイツ/北欧並みにするなら、
現在の発電設備の25%を不要にできる。
原子力の発電設備に対する比率は20%を下回っているのだから、
それだけでも原発は不要にできる。



第2定理 ピーク消費は事業者が作る

さらにもうひとつの定理がある。
「誰がピーク時に電気を消費しているのか」についての第2定理だ。
よく言われる「お盆休みに冷房かけてビールを飲んで、
テレビで高校野球を観ているからピークが出る」というのは正しくない。
電力需要の大部分は民需の中の家庭ではなく、大規模事業者や産業、
業務用の事業者の消費であるからだ。
福島第一原発震災のあった2011年の5月の時点で見てみよう。
家庭の電気消費は日本の電力消費全体のわずか23.4%に過ぎず、
残りの日本全体の電力消費の4分の3は、事業者の消費が占めている。

「家庭が節電すれば、新たな発電所を建設せずにすむ」というような
言われ方もまた正しくない。
家庭の電力消費は、朝、仕事に出かける前と、
夕方、仕事から帰ってからの時間帯に消費ピークがあり、「平日、日中
午後1時から3時にかけて」は最も電気を消費しない時間帯に当たっている。
なぜなら留守宅が圧倒的に多いためだ。
その時間帯の家庭の電力消費は冷蔵庫が多くを占めている。
したがって家庭は冷蔵庫の中身を腐らせない限り、ピーク消費を下げられない。

日中の電力消費のほとんどを占めているのは事業系の消費だ。
これには理由がある。
事業系の電気料金は、特別な「選択約款」を選ばない限り
(実際に契約しているのは数%でしかない)、最大消費量で
基本料金が決まり、各時ごとの電気料金は一定になる。
最初の1キロワットは基本料金と合計するから高くなるが、
以降「使えば使うほど安くなる」仕組みとなっている。
その結果、事業者が製品1個当たりの電気料金を安くしたいと考えるなら、
消費の多い月にはもっと消費を増やした方が安くなる。
基本料金を変えないように最大消費量に注意する必要はあるものの、
消費を促す電気料金となっているのだ。

この料金を「使えば使うほど安く」から、「節電すればするほど安く」、
言いかえれば「使えば使うほど高く」なる仕組みにすれば、
この消費の伸びは下げられる。



第3定理 ピーク消費の約半分はエアコンが作る

夏場の消費ピークを作るのはエアコンの消費だ。
冬ピークとなっている北海道を除けば、
夏場のピークの約半分はエアコンが作っている。
家庭のものでないことはすでに述べた通りで、
この消費のほとんどが業務用や事業系によるものだ。
エアコンの省エネは大きく進んでいるものの、
事業系では「使えば使うほど安くなる電気料金」が災いして、
わずか3年で元がとれる省エネ装置すら導入されていない。
ここでも「節電すればするほど安く」の仕組みの導入に効果がある。

しかしエアコンの消費には、別な解決策もある。
アメリカで広く導入されている、「ピークが伸びそうな時には、
電力会社から一方的に5分だけ切らせてもらう仕組み」だ。
日本以外の合理的な電力会社では、新たに発電所を建てるよりも、
消費ピークを減らしてもらったほうが経済的に利益になる。
だからピーク時に5分だけエアコンを切らせてもらう代わりに
電気料金を割り引くのだ。
5分だけエアコンを切られても、ほとんど誰も気づくことがない。

実はこの実験を、1986年から92年にかけて九州電力が実行している。
その結果、夏場のエアコン消費のピークを12%も削減することに成功している。
しかしなぜか電力会社は実行しないでいる。
それならもっと簡単な解決策もある。
すべてのエアコンのリモコンに回路を内蔵させればいいのだ。
九州電力の実験データに合わせて、15分の冷房と3分の送風の回路を
組み入れれば、それでエアコンのピーク消費を12%も削減できる。



ピークを下げれば原発は不要

電気消費量のピークを下げると、発電所は不要にできる。
その方法は難しくない。
ピーク消費は第1定理により、「夏場、平日、日中午後1時から3時に
かけて、気温が32.3度Cを超えたとき」となっているのだから、
その時にだけ事業系の電気料金を高くするか、各時間帯の電気を
株式市場のような市場で売買させ、市場原理で減らせばいい。

第2の定理「ピーク消費は事業者が作る」のだから、
事業者の電気料金を家庭と同様に「使えば使うほど高く」、
別な言い方をすれば「節電すればするほど安く」なる仕組みにすればいい。

第3定理「ピーク消費の約半分はエアコンが作る」のだから、
ピーク消費時のエアコン利用をコントロールさせてもらうなり、
エアコンのリモコン装置にひとつ回路を組み込むなりすればいい。

ここまでで電力消費ピークの、少なくとも半分は減らすことができるだろう。
事業者がまだ導入していない省エネ型の照明器具、エアコン、冷蔵庫、
その他装置などでは、この10年間に最低で半分以下、
ものによっては10分の1程度まで省エネしている。
その事業者の電気消費が全体の76.6%を占め、
ピーク消費量の約9割を占めている。
これを半分以下にするなら、20%を下回っている原発の発電設備全体に対する
比率で考えても、あるいは発電量全体に対する比率30%で考えても、
原発は全く必要がなくなる。
「減原発」も「縮原発」も実態を理解していない。
電力の需給から分析すれば、原発は徐々にでなくても、
個別のアメニティーを犠牲にしなくても即座に止めることができる。
新たな発電設備は要しないのだから、「自然エネルギーの代替可能性」
を立証する必要はない。
自然エネルギーという言葉すら使わなくとも、即刻の脱原発は可能なのだ。



電力会社が節電を進めない理由

日本の電力会社が進めている電力消費ピーク対策は、
「ピークを減らす努力をする」のではなく、
「ピークに対応できる発電所を建設」しようとする、真逆の方向だ。
電力会社は常に発電所の新設を選択してきた。
電力会社は消費の節減より、発電所の新設に熱心なのだ。
これにも理由がある。

日本の家庭/事業者を含めた電気料金の総額は、
「総括原価方式」という仕組みによって決められている。
電気料金総額は、「必要になった費用」に「適正な利潤」を加えた額で決められる。
その「適正な利潤」は、「発電/送電施設などの固定費」に3%
上乗せして徴収できることになっている。
現状の3%という数字はその時々の経済状況によって決められるが、
計算式自体に変わりはない。
民間企業である電力会社が利潤を増加させたいとなると、
この「適正な利潤」額を増やそうとすることになるが、そのためには
「発電/送電施設などの固定費を大きくする」ことが必要になる。

これが節電より発電所の建設を優先させている理由だ。
節電して発電所の建設を抑制したのでは利潤額が大きくならない。
だから、たとえば都庁が予算組みしたような、わずか500億円の天然ガスの
コンバインドサイクル発電所を電力会社がつくっても利益は上がらない。
原発のような、効率が悪く、コストの高い発電所を建設しなければ
利潤額は大きくならないのだ。
原発を推進する理由はここにある。

実際に、2011年夏の最大消費は8月18日の4922万キロワットだった。
しかしこの数字は東京電力が予想した最大値5020万キロワットより、
約100万キロワットも少ない。
しかも東電の供給余力は、すべての原発を除いても5079万キロワット
あったのだから、この2011年の夏ですら、
原発が存在しなくても電力は全く不足しなかった。

他の先進国では発電所の建設より、電力需要の抑制を優先する。
なぜならそのほうが経済的に有利だからだ。
他の先進国で進められている仕組みを「デマンドサイド/マネジメント」という。
電力需要に合わせて発電所を増設するより、発電所の容量に合わせて
需要を抑制したほうが利益が大きくなるからだ。
たとえばアメリカ、カリフォルニアの「SMUD」という電力会社では、
管内の家庭が省エネ型冷蔵庫を購入すると、約3万円の助成をする。
白熱球を蛍光灯に買い替えたいといえばタダでくれる。
なぜこんなことをするかと言えば、新たに5000億円の原発を
建てるより、4000億円助成して省エネしてもらってピークを下げて
発電所建設を抑制したほうが、1000億円の経済的利益を生むからだ。
エアコンを電力会社から強制的に停める代わり、電気料金を引き下げるのも、
デマンドサイド/マネジメントのひとつだ。
日本でデマンドサイド/マネジメントが進められない理由は、
無駄を助長し、不合理を拡大する仕組みである「総括原価方式」にあるのだ。



業界挙げて原発を推進する理由

菅総理が辞めて新たに野田総理が選出されて以来、
産業界を中心に原発を再度「見直す」動きが活発化してきている。
この背景にも「総括原価方式」の仕組みがある。
総括原価方式の原価の中に、さまざまなものが認められているからだ。

第1に問題なのは「広告宣伝費」だろう。
そもそも下水道や清掃のコマーシャルがないように、
独占事業は広告をする必要がない。
その中で電力会社だけが広告宣伝費を原価に認められる仕組みになっている。
電力業界の広告宣伝費には諸説あるが、
少なくとも2000億円程度は出されていると推定されている。
その額は、広告宣伝費支出第1位のトヨタ自動車の倍になる。
この広告宣伝費で成り立っているのが、テレビ/ラジオ/新聞などのメディアだ。
メディアが押し並べて原発に対して甘い批判しかしないのも
根拠があると言えるだろう。
「原発を批判する報道をするなら、明日から広告宣伝費を出さない」
と言われてしまえば黙らざるを得なくなるからだ。

第2に問題なのが「金利」だ。
電力会社は日本で最も信用力が高い企業だ。
したがって電力会社の借り入れる金利は最も安くなるはずだ。
ところが電力会社は、優良企業の平均金利である
「長期プライムレート」で借り入れている。
金融機関は、電力会社から高い金利で儲けさせてもらうことになる。
しかもその金利もまた原価に加えられる。
その金融機関は電力会社の最大の株主にずらりと名を連ねている。
東京電力で見ても、信託投信、生命保険、銀行などが大株主だ。
先日行なわれた世論調査では、脱原発を希望した市民が82%であった
のに対して、同時期に行なわれた東京電力の株主総会では、
実に89%が原発の維持/推進の原案を支持した。
ここから言えることは、市民の100%が原発反対となったとしても
原発は止まらないということだ。
今回の株主総会では、金融機関が貸し込んでいる投資がパーになってしまう
「東電の倒産」が閣僚からささやかれた。
そのため金融機関は原案を支持せざるを得なかった面があるにせよ、
民意と乖離した異常な判断だ。

第3の問題は、ゼネコンにとって最大発注元が電力会社であり、
しかも利害が一致してしまっている点だ。
高額の発電/送電施設が建設された場合、ゼネコンの利益が大きくなるだけ
でなく、電力会社の上乗せできる利潤額も大きくなるからだ。
電力料金の不都合なコスト負担は、常に家庭に負わされる。
家庭は電気消費全体の23.4%しか消費していないのに、
電力料金負担の30%を強いられている。

第4に、学問の世界の独立も脅かされている点だ。
すでに大学は最高学府というより就職予備校と化しているとはいえ、
学術世界の中心ではある。
その研究費に対して、電力会社は多額の費用を送り、
味方になる学者を増やしている。
多くの学者がすでに自己規制するようになり、
原子力に正面切って反対しないのもこの結果だ。

第5に、結果として、電力会社は大きな政治力を持った。
たとえば知事選に誰かが立候補したとしよう。
票を集めなければ当選しない以上、どうしても票集めが必要だ。
その時、電力会社と「政策協定」を結んで応援してもらえば大きな力になる。
「原子力に反対しません」と電力会社と協定を結べば、電力会社、
金融機関、メディア、ゼネコンの支持が得られ、学者が応援するのだとしたら、
当然電力会社の意のままになる。



仕組みを変えなければ原発は止められない

2011年8月下旬、「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する
特別措置法(再生エネ法)」が成立した。
この法案が市民の期待する通りに機能した場合、太陽光ほかの再生可能エネルギー
で発電した電力の全量買い取りが、認められることになる。
施行は2012年7月だが、それまでに定められる買取範囲や価格などが適切なもの
になるかとうか、不安を残したままだ。
しかしそれ以上に心配なことがある。
再生可能エネルギーが多くの市民に反対されるものになりはしないか、という心配だ。

日本では他の先進国では当たり前の、「発送電の分離」ができていない。
送電線は電力会社の持ち物であり、アクセスを制限することで恣意的な運用が
可能となってしまっている。
本来、送電線は公共財として誰もがアクセスできるものだ。
送電線網と蓄電設備は電気のプールとして機能し、
プールに入れる電気は定額で買い取られる。
すると発電コストが高すぎる原発は自然に淘汰される。
逆にCO2排出量の少ない自然エネルギー由来の電気は高く買い上げられる
ことになり、地域内に新たな事業と雇用を生みだす。

発送電分離が前提となった再生エネルギーの買取であればそうなるが、
発送電分離がないままの現状では、今の高コストの原発を含めた電気価格に、
さらに再生可能エネルギーの買い取り価格が上乗せされることになる。
しかもその前に「石油高騰の燃料費」「福島第一原発事故の賠償」が加算され、
そこに再生可能エネルギー負担が上乗せされるのだ。
その結果、再生可能エネルギーは電気料金を高くするものとして、
不当にも嫌悪されることになりかねない。
対策には順序が重要なのだ。
発送電分離が先でなければ高コストの原発が温存されることになってしまう。

仕組みが原発を維持させている。
国内経済に余分で不当な負担をかけながら。
電力会社は「送電線の独占」「総括原価方式」「金利」「広告宣伝費」
「学術界への研究費」「政治家への圧力」という仕組みを通じて、
主要な業界を支配してしまっている。
そのやり方は世界の巨大企業が自ら利益を稼ぐのと異なって、日本の電力会社
は周囲の業界を儲けさせることで、自ら業界に君臨できる仕組みになっている。
この構造を変えずに原発に反対したとしても原発は必ず復活する。
私たちは運動することで、たとえば老朽化した原発を少しは止められるかもしれない。
しかし利益の構造が変わらない以上、それ以上の原発推進を招くだろう。

いつか必ず巨大地震の起こる日本では、再度大きな事故を起こす可能性は極めて高い。
私たちは仕組みに目を向け、その仕組みを変える努力をしなければならない。

(脱原発/脱CO2のエネルギー政策を  「世界」11月号掲載 田中優)

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