「TPP参加は医療を守り育てる世界の潮流に逆行する」
OPINION オピニオン 「日本医事新報」 2011年8月27日

色平哲郎  長野県厚生連佐久総合病院  地域医療部地域ケア科医長

KeyWord
TPP  自由診療・混合診療  日米構造協議  年次改革要望書  国民皆保険制度


・ドサクサまぎれの暴論

東日本大震災の被災者の救済はおろか、原発事故「人災」収束の見通しも立たない
なか、日本経団連は4月19日に発表した「わが国の通商戦略に関する提言」で、
早期のTPP(環太平洋経済連携協定)参加を訴えた。

ドサクサまぎれの暴論であろう。

大震災で東北地方は地震・津波と原発「人災」による放射能汚染、風評被害
という複合的なダメージを受け、農牧水産業は壊滅的被害を受けている。

TPP参加は、そこにとどめを刺し、食料安全保障を根底から覆すばかりではない。
医療という人間の命を支える礎をも破壊してしまう恐れが十分すぎるほどにあるのだ。

ノンフィクション作家の山岡淳一郎氏は、「大震災に見舞われ、国家の再建が
求められている日本がTPPに加わることは、暴風雨のなかで窓を開け放つに等しい」
(『TPPが暮らしを壊す─雇用、食生活、保険・医療の危機』〔家の光協会〕)
と述べる(山岡氏の最新刊『国民皆保険が危ない』〔平凡社新書〕も参照)。

TPPに参加すれば、「自由診療」の拡大に伴い国民皆保険制度が崩れていくこと、
火を見るより明らかだ。

医療側が勝手に値段をつけられる自由診療と公的な保険診療を組み合わせた
「混合診療」が拡大し、患者の経済力による医療格差が開いていく。

震災が起きる以前から、皆保険制度は、医療費膨張による財政悪化と医療への
市場原理導入という2つの危機に直面していた。

ここでTPPに参加し、「ヒト、モノ、カネ」が太平洋を越えてどっと医療分野に
なだれ込む、あるいは流出するようになれば、医療の土台は崩れるだろう。


・交渉からの離脱は困難

ふり返れば、1989-90年の日米構造協議あたりから、
米国は日本に医療市場開放を執拗に迫ってきた。

2008年の「年次改革要望書」には「医療制度改革について米国業界と意見交換し、
その意見を十分に考慮」「米国製薬業界の代表を中医協(中央社会保険医療協議会)
の薬価専門部会の委員に選任」などといった屈辱的な要求が盛り込まれた。

政府内には「医療はTPPの対象から外れる」「まず交渉に参加し、
都合が悪ければ入らなければいい」との声もあるらしい。
が、日米の力関係を考えれば、いったん始めた交渉から離脱するのは不可能に近い。

TPPの発信源はグローバル化した国際資本だ。
推進者は、多国籍化した企業であり、土地に根ざして生きていこう
とする人びとではない。

国境を越えて膨張したがる「怪物」と、われわれ一般国民の利害とが
一致し得ると考えるのはあまりに楽天的なのではないか。


・原発と同じ「企業の論理」

私は、鉄道も国道もない人口千人の村で長く診療所長を務めた。
たとえ人の数は少なくても、信州の山の村は国土の「要」の役を果たしている。

山村は、都会人が飲む水の源を守っており、田畑は食料自給だけでなく、
独特の保水力で国土を保全している。
TPPへの参加はそうした国土の背骨に人を住めなくする。
そのしっぺ返しは地方だけでなく、都会で生活する企業人にも間違いなく及ぶ。
原発事故で無計画な停電にあたふたしたどころではない。
万一、都市で食料や医療サービスがストップしたら、地獄絵が繰り広げられるだろう。

経団連の幹部も、一人ひとり胸に手をあてて考えれば、第一次産業や医療を潰して、
国家が安定的に栄えるなどとは思わないだろう。
ところが、集団になるとなぜか目先の利益にとらわれて「波に乗り遅れるな」
「国を開け」と躁状態になってしまう。

活断層だらけで地震が多発する日本に、気がつけば54基もの原発が
つくられたことと、基本的には同じ「企業の論理」に取り込まれてしまうのだ。

企業人は小さく凝り固まらないでいただきたい。
企業人が、企業活動を通して日本を大切に考えるのなら、もう一度、
真っさらな気持ちで、自分の身のまわりの愛する人や地域、
仲間たちの未来を考えてほしい。
ほんとうにTPPに参加しなくてはいけないのか、
原発を稼働させ続けなければいけないのか、と…。


・皆保険制度は「日本の宝」

最近は米国や中国でも国民皆保険制度を導入する動きが出てきた。
世界最速の高齢化が進む日本こそ、50年間維持してきたこの制度を
守り育てねばならない。

私は今年1月、バンコクで開催されたWHOの1000人規模の国際会議に招かれた。
今年が日本の国民皆保険が開始されてから50年目にあたる節目の年だからである。
日本がまだ貧しかった時代(現在のヴェトナム程度の経済レベル)に始められた
制度が世界で1、2を競う経済大国となった状態でも持続可能なのかどうか、今、
世界から注目を浴びている。

また、世界最速、世界最大規模で高齢化が進む日本社会の将来はどうなるのか、
高齢者の住みやすい街づくりができるのか、
人口の多いアジアの国々が見習うべき国の姿を実現できるのか─
と、日本の高齢化問題も世界から注目されている。

国民皆保険制度は「日本の宝」と言われ、世界中から羨望の的となっている。
今、世界50カ国が皆保険を導入しており、韓国は22年前、台湾は18年前、
タイでも10年前から皆保険を導入した。
ただ、皆保険の制度だけをつくっても、アジア・アフリカの農村部や島では
医療にかかることができない。
WHOも、へき地(農村や山村)で働く人材を世界中で育てなければ皆保険は
導入できないことを理解するようになった。

TPPにはそんな国民皆保険制度を根底から崩す「仕掛け」が入っている。
TPP参加は、医療を守り育てようとする世界の潮流に逆行する。

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