「地域の力」でTPPを打ち返そう・鼎談から抜粋  「世界」2011年4月号掲載

いろひら・てつろう 1960年神奈川県生まれ。 
佐久総合病院地域ケア科医長。 元長野県南相木村診療所長。 
東大中退後、世界を放浪、京大医学部に入学。 京都大学大学院医学研究科非常勤講師。 
(一般財団法人)世界こども財団評議員。 『大往生の条件』ほか。 
・・・ =国民皆保険制度崩壊の危機= 榊田 医療分野に関しては、TPP参加が混合診療の全面解禁 につながる可能性があると指摘されていますね。 

色平 「日本の宝」である国民皆保険制度が、内からと外から、 二つの危機に直面しています。 
内からのものは財政赤字、国保の滞納・未納、あるいは「無保険者」の増加、 外からは、今回のTPP、あるいは医療ツーリズム等で象徴される グローバル化でしょうか。 
内橋克人さんが指摘されていますが、TPPには「前史」があります。 
1997年のMAI(多国間投資協定)に反対し、OECDを世界中の NGOが取り囲んだ時のことを私はよく覚えています。 
TPPへの参加によって、日本の医療に市場原理至上主義が持ち込まれ、 最終的には国民皆保険の崩壊につながりかねない面があると懸念されます。
 私・色平は政府に対し、TPPの検討にあたり、国民皆保険を「自由化」 にさらさないよう強く求めます。 
「混合診療」に関しては、すでにコントロールされた形での解禁はなされています。 全面解禁にする必要はありません。 
現行制度を十分に運用することで、かなりの事態に対応可能です。 

榊田 TPPに直接さらされる、農協病院でもある佐久病院、 また農山村の生活ぶり・高齢化の現状は? 

色平 私の病院は、「協同組合」が運営しています。 
農民たち自らが出資して病院を建てた、ということは、 「農民が医師を雇っている」ということです。 
若月俊一院長の「予防は治療に勝る」という実践でも有名です。 私が家族5人で10年間暮らした南相木村には、国道も鉄道もありません。 
村民1000人のうち、65歳以上がなんと40% そして、日本の農山村につづき、日本の「都市の高齢化」が進行中です 
このような事態は、史上初めて、しかも最大速度、最大規模の高齢化現象となり、 世界の注目の的です。 
図らずも、「地球人類の近未来」を垣間見る、そんな村での生活となりました。 
お隣の韓国・台湾を加え、「大東亜共栄圏」ならぬ「大東亜共”老”圏」、 という笑えないお話もございます。 
山の村で医療にとりくんだ際、周囲の方々が「心持ち」である、一方、 都会育ちの私が、心貧しい人間だ、と感じました。 
「おたがいさま、おかげさまで」、あるいはまた「金持ちより、心持ち」 「すきなひとと、すきなところで、くらしつづけたい」、 
そんなおだやかな山村に、毎年、100人以上の医学生・看護学生が 実習に来てくれました。 
村人もまた、孫のような若者たちに、よろこんで、「おしん」の時代の 苦労ばなし、宮澤賢治の「雨ニモマケズ」の体験を語っていました。 
日本の宝、「国民皆保険」は、今年、誕生50年の節目。 選挙では、全政党が、「皆保険堅持」を訴えています。 
内なる危機に加え、外からは、TPPや医療ツーリズムなど「市場原理主義」の圧力。 
内外2つの大波で、皆保険が崩壊の危機に瀕していること、とても心配です。 
一部の人の「ぬけがけ」が、貴重な制度資本を崩壊させます! 
いま世界中の人々があこがれる「皆保険」、この持続可能性について、 国民一人ひとりが、今回のTPP問題をきっかけに考え始めることに期待を もっています。 

鈴木 私も二年近くアメリカに住んだ経験があるのですが、 実はアメリカ人がいちばん日本の皆保険制度を羨ましがっているんですよ。 
我々はそれを逆にアメリカのようにしてしまっていいのか、ということですよね。 

・・・ =都市住民にとってのTPP= 

榊田 農家の人と話していて思ったのは、自給的農家や兼業農家の人たちは、 10年後の自分たちの食糧について、自分は畑があるから作れると具体的に 描けているんですよ。 
だからTPPが来ようが来まいが何とかなる。 イメージがまったく描けないのは、生産の術(すべ)が何もない都市部の 住民だと思うのです。
 いちばん深刻なはずの都市住民が、 いちばんこの問題に関してノーテンキになっているところが、非常に恐ろしい。 

色平 医師もそうです。 ちょっと腕に自信のある医師は混合診療に賛成なんです。  

榊田 やっぱりそうなんですね。 

色平 鈴木さんと結城さんが農業についておっしゃっていることは正論です。 揶揄して申し上げているのではなく本当にその通り。 
ですが、原点へ戻ると、国民一般が感じているのは、 自分の暮らしの今後が不安だということです。 農民だけの問題ではない。 
全政党が日本の宝である国民皆保険を堅持すると明言している。 ところがやっていることはそれとまるで反対です。 
アメリカの言う「公正貿易」とはリバタリアンを指しているとか。 TPPは、小泉以上の市場原理主義、ということもわかってきた。 
アメリカが「国家輸出計画」で数年後までに雇用を二〇〇万人増やすということは、 こちらの雇用が減るということ。 
おためごかしもいいところです。 
でも、一般の都市住民の方にそういうところに少しでも関心を持ってもらえるように、 
あるいは「大東亜共”老”圏」とも言うべき、一緒に老いていく韓国・台湾の高齢化 のスピード
―台湾はフィリピンから17万人の介護士を入れている―を考えるとき、 今回のTPPは農業だけの問題ではないどころか、 
農業の問題だとすることで揚げ足をとられかねない。 国民の老後の問題でもあり、都市住民がまともにかぶる問題だと捉えたほうがいい。 
「多死社会」でもあります。年間110万人以上が亡くなり、 毎年2万人ずつ増えているので、170万人のピーク時まであと30年かけて増える。 
これをどう考えるのか。 

榊田 いま山村部で起きていることは、10年後、20年後の都市の問題に なってきますね。 

色平 コモンズを欠く以上、都市部のほうがより深刻です。 

榊田 都市部の人間がそれに危機感を感じているかどうかという問題は非常に 大きいですね。 

色平 『ヘルプマン!』をご存知ですか?  
回り道かもしないけれども、コミック『ヘルプマン!』(くさか里樹著、講談社)、 とりわけその第八巻を読めばTPPが読み解けるんです。 
日本の家族像、自分の老後がどうなるかについて、ロゴスでは通じない部分を笑い、 泣きながら感じ取ることができます。 
たとえばこの座談会を読んだ人が次のステップに進むためには、正論だけでは難しい。 
ケア・リテラシーを育てる教科書が『ヘルプマン!』だろうし、 農業についてのリテラシーを育てる一歩になる仕掛けをどこに準備するか というふうに、
一つひとつ考えていったほうがいい。 10年後の医療はまだ何とかなる。 
10年後の介護は大変です。 第一に、医療と介護の連携不足。 第二に、介護の受け皿不足。 第三に、家族の姿が変わっていることに気づいていない。
家庭介護力が低下する一方、高齢者の単身世帯や老々介護が増えている。これも押し付けられた本人たちだけが悩んでいるようなケースが多いことでしょう。 
第四に、地域の支え合いの低下に気づけていない。 自分で気づけるかどうかが今回のTPP問題のいちばんのキーポイントになっている。 
「問いを共有してもらって、相手に考えてもらう」 というダイアローグの形にしないといけないのでは。 

榊田 それはなかなか難しいですね。 

色平 私は、農業は本丸の一つだけれども、一種のフェイントで、 実は労働市場、知的所有権と医療保険、医薬品、医療機器、 娯楽産業が本丸なのではないかと感じています。 
さらに言うと意識産業、つまりメディアそのものがターゲットなのではないか。 エンツェンスベルガーが言うように、
意識産業とは、どんな種類のものであろうと、 現に存在する支配関係を永遠のものにするという課題を持つ。 
だからメディア=意識産業は、意識を搾取するために、 ひたすら意識を誘導し続けなければならない。 
日本の政治家がおかしいだけではなく、全国紙が「発症」しているのだから。 
今こそ、地域を核にして打ち返すという、 自分の頭で考える市民が出てくるかどうかが問われるのだと思います。 
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