文藝春秋SPECIAL 「看取りの作法 私が出会った思い出の患者たち」

JA長野厚生連 佐久総合病院 地域医療部 地域ケア科医師 色平哲郎

2011年 季刊冬号 1月1日刊 「この国で死ぬということ」収載


山村の診療所長を務めた十二年間は、「出会いと別れ」が光の当て方次第でさまざま
な像を結ぶことを知る日々だった。
三年前に山を下り、街なかの佐久総合病院の「地域ケア科」に籍を置くいまも、
山での経験が医療観の礎になっている。

山の診療所に赴任して間もない頃だった。
九九歳のツルエさん(仮名)が脳梗塞で倒れ、入院設備が整った分院に担ぎ込まれた。
当直医として訪室した。
ツルエさんは病室の入口に背を向け、じっと壁を見つめていた。
声をかけても返事はない。
無表情で、押し黙っている。知ったのは名前だけ……。

しばらく入院していたが、「そろそろですね」とご家族と医療者のあうんの呼吸で、
ツルエさんは退院し、野辺山のご自宅に戻った。
往診に通った。
大きな家の真ん中、居間のベッドに横たわったツルエさんの顔に笑みが戻り、
ことばもひと言、ふた言発した。
知った顔に囲まれて、ホッとしたのだろう。

鴨居の上に掲げた半紙大の額装が、ツルエさんを穏やかに見下ろしていた。
絵か、写真か、賞状か、診療中は特に気にとめることもなかった。
三週間ちかくかけて、お看取りをした。

「ご臨終です」と告げ、「下のお世話」をして体を清め、両手を胸で組んで固定する。
お見送りの処置をしていたとき、えーッ、あれッと思わず、声を上げそうになった。

看取りの場に三々五々、村人が来て、お茶を飲んで故人の思い出話を
ひとくさりして帰っていく。
来る人、来る人、みんな知っている顔だった。
消防団でラッパを吹く男性、役場の気のいい職員、子どもの同級生のお母さん、
佐久病院の職員もいた。

村診療所で予防接種をしている時など知り合いが次々やってくるけれど、
ツルエさんの臨終の席にどうして彼らが集っているのか。
都会育ちの私には皆目見当がつかなかった。

いぶかしそうにしていると、ツルエさんの孫娘が鴨居の額をそっとおろした。

「先生、うちらのばあちゃんの米寿の写真だぁ。みんなで撮っただ」

「これ、全員、親戚なの?」

群衆のまんなかで赤いチャンチャンコを着たツルエさんが、
悠然と微笑みながら座っている。
野辺山に開拓団で入植したツルエさんは、十二人の子どもを産み、
孫、ひ孫、やしゃごは合計七十一人。
その伴侶や子を含めれば優に百人以上の一族が近在に暮らしていた。

村の基礎をつくった「族長」だったのだ。
ツルエさんは。
一族の集合写真は神々しい輝きを放っていた。
共同体とは何か、ツルエさんは自らの死をもって教えてくれた。
と、当時に看取りの場が村人の「弔問外交」のステージだと実感した。
医者が地域でデビューするには、看取りは大切な機会となる。
お茶をすすりながら、みんな医者の一挙一動を見ていた。

はたして自分がうまくデビューできたかどうか、ふりかえれば心もとない……。

シベリア抑留の体験を持つ、元村長の四郎さん(仮名)との別れも、
人と人のつながりの大切さを教えてくれた。
歴史を生きてきた四郎さんとは話が合った。
往診と称して、しばしばお宅に遊びに行った。
その四郎さんを看取った後は、医者としては情けない話だけれど、
虚ろな気分になった。

誰よりも、心にポッカリ大きな穴があいたのは、四郎さんの連れ合いのシズさん
(仮名)だった。
シズさんを一人っきりにしたら、落ち込んでしまうと思い、
その後もたびたびお宅にうかがった。

ある日、シズさんが浸けた野沢菜をつまみなからお茶を飲んでいると、
奥でホコリを被っている木製の器械が目に入った。

何ですか、と問うと、
「機織だょ。
若い時分は、あれでお父さんの着物や、あたしの着物をたんと織っただぃ。
先生に言われて、思い出しただ。
まだー、あったんだねぇ」とシズさん。

「布が織れるなんてすごいですね」

「そうかやぁ。いまどき誰も、見向きもしねーと思ってただょ……」

シズさんは、四十数年ぶりに織機の塵を払い、カッタン、コットン織り始めた。
四郎さんと所帯を持った頃の記憶がよみがえり、
日に日にカッコいいおばあさんに変貌した。

診療所に実習に来る医学生看護学生たちを、どんどんシズさんに会わせた。
病気で小さくなって病院に通うお年寄りも、それぞれの歴史と物語を背負っている。
その生きたモデルをシズさんに感じてほしかった。
何人かの女子医学生はシズさんに弟子入りした。
高齢者の尊厳が、織物には詰まっている。

輝いている生命も、いずれ、消えていく。
その運命に無闇に立ち向かうのではなく、立ち会う。
寄り添い、支える。

人びとと一緒に暮らしながら、生活の一部を担う。
それが地域医療の醍醐味であり、難しさでもある。

=====
inserted by FC2 system