『狂狷の人』も医師にしておかないと皆保険は成り立たない

人ひと 色平哲郎 IROHIRA Tetsuro

JA長野厚生連・佐久総合病院医師  日本医事新報 2011年1月15日


1960年横浜市生まれ。東大中退後、京大医学部入学、90年卒。
98年南相木村国保直営診療所長、2008年より佐久総合病院地域ケア科医長。
NPO「佐久地域国際連帯市民の会(アイザック)」事務局長。京大非常勤講師。

写真キャプション:
講義のため訪れた韓国・延世大学のキャンパスで家族と(2010年3月) 


世界各国への国民皆保険導入を目指すWHOから、バンコクで1月下旬に
開く会議で講演してほしいと依頼があった。

「50年前に日本が皆保険を実現したことについて世界が注目していると
言うんだよね」。
しかしなぜ信州の一医師にすぎない自分に依頼が、、、と不思議に思いつつも
色平さんはWHOの苦悩を理解する。
「皆保険を実現する上で大変なのは農村を巻き込むこと。
農民にいかに理解してもらい西洋医を送るかが最大の課題なんです」

日本が皆保険を達成できた背景には、戦前「産業組合」と呼ばれた
協同組合の存在があった。
協同組合が頑張ってお金を集め医師を雇ったからこそ、農村でも
「保険あって医療なし」にならずに済んだ。
皆保険実現のためには、農村や島に行き、医療技術を「商品化」せず
「協同化」する医師がいなければならない。
色平さんは、農協の組織である厚生連の病院に身を置く意義と
WHOから声がかかる理由はそこにあると感じている。

「協同組合は地理的・社会的へき地で仕事をする非営利組織。
そういう組織で働くことに面白みを感じているんです。
『好きな人と好きなところで暮らし続けたい』『予防は治療に勝る』
そんな素朴な願いを持つ民衆を、医療技術で支えることが僕の願いなんです」



長野の南相木村国保直営診療所の初代所長として10年、
その後は佐久総合病院の地域ケア科医長として農村を回る日々。

東大理Tを中退し1年間「失踪」、医師を目指して京大医学部に入学した後も
人類学的関心でアジアなどを放浪していた「風の人」が信州の「土の人」たち
と共に暮らすきっかけとなったのは、バングラデシュ出身のスマナ・バルア氏
(愛称バブさん)とのフィリピン・レイテ島での出会いだった。

同じ医学生なのに人間として人間のケアができるバブさんに衝撃を受け、
バブさんの勧めもあって佐久総合病院を研修先に選んだ。

佐久では行政から見放された外国籍HIV感染者らのための医療相談室を、
若月俊一院長(当時)の支持で開設。
NPO「アイザック」も立ち上げ感染者救済に乗り出し、
95年にタイ政府から表彰を受けた。

利口な人ならやらないようなことをつい心意気でやってしまう性格。
しかし、そんな「アホなやつ」も医療には必要だと語る。

「孔子は中庸の徳のある人がいいと言ったけど、ちゃんと読むと後段があって、
中庸の人、聖人はほとんどいないから、次善の策としては
『狂狷(きょうけん)の人』とつきあえと言っている。
『狂狷の人』とは無鉄砲でへそ曲がりの人。
そういうやつも医師にしておかないと、皆保険は成り立たないんです」

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