「異分野」との対話〜分野を超えて出会うこと
京大広報 2005年12月号 http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/issue/kouhou/documents/607.pdf 寸言 「異分野」との対話〜分野を超えて出会うこと〜 色平 哲郎 人口1,300人の鉄道も通っていない信州の山村の診療所長になって,そろそろ十年目を 迎えようとしている。医者仲間は「よくやってるなぁ」と半ば呆れたように言うが,私 にとって高齢化率38%の過疎の村は「医療の最前線」だ。手前味噌を承知でいえば,そ んな村にいるからこそ「日本」がよく見える。そんな意識を持ち続けてこられたのは「 異分野」との出会い,交流を自分なりに大切にしてきたからではないか,と思っている 。 異分野の友人のひとりにノンフィクション作家の山岡淳一郎がいる。彼は「命に値段が つく日」(中公新書ラクレ)の共著者なのだが,たまに山を降りて会うと,刺激的な話 を聞かされる。あるとき彼は「大都市の近郊に信州の山村よりも寂しい村ができている 。21世紀の『楢山節考』の舞台になるな」とボソッと言った。「どこだよ?」と訊ねる と,「ニュータウン」と山岡は答え,次のように言葉を続けた。「60〜70年代に大都市 集中の受け皿としてつくられたニュータウンの団地は,深刻な『ふたつの老い』を抱え 込んでいる。住民の高齢化と建物の老朽化だ。コミュニティーの危機とエレベーターも なく,修繕もままならない建物の疲弊,両方だね。この問題に国は『建て替え推進』で 臨んでいるが,年金生活の住民たちは経済的余裕がない。建て替えに参加できず,強制 的に住戸を買収され,社会の底辺に散っていく。大変な問題になる。」彼の話を聞き, 私のなかで,大都市の周縁と山村との心理的距離感が一気に縮まった。 「医療問題とも密接に絡んでる。一次から三次まで,どんな医療体制を敷くか,だな。 信州の僕の村では過疎の悲哀と引き換えに顔と顔の関係で支えあう『互助の網』が機能 しているから,基幹病院と診療所が「あうんの呼吸」で患者の受け渡しをできる。地域 コミュニティーがあるからね。何とか,ご老人が自分らしく生きる道が残されているが ,ニュータウンで歳をとり,そこから追い出された人たちは,終の棲家をどこに置けば いいか……深刻だね」「スクラップ&ビルドは,経財政的にアウトなのに建設界はその 一点張りさ。いきなり建物を壊すのではなく,維持管理して長く使いつつ,コミュニテ ィの世代交代を進める,もうひとつの突破口を作る必要があるが,都市を経営,熟成す る原理原則が確立されていない。用地頼み。日本に都市計画はない。建築が『近代』を 卒業したと思ったら大間違いだ。大量生産&消費,高速,中央集権の装置としての近代 都市を,人間の生活の側から見直す軸を構築しないと大事になる。土地の需給状況,人 口動態からみて,もう地価が全国的に高騰することなどありえないのだからね。明日の ため『知』は現場にあるんだよ」と,山岡が応える。 異分野の人たちと私が積極的に交流するのは,偏屈な「医師像」に収まりたくない気持 からである。 医学部生だったころ,戦争で日本中が焼け野原になった「原点」を見たいと思い,北京 市内から路線バスを乗り継いで「盧溝橋」に行った。そこでたまたまミュンヘン大学医 学部の女子学生と知り合いになり,互いの国が背負う戦争の歴史について語りあった。 私は,当然のように母校が関与した「七三一部隊」について話した。すると,彼女は, 劇作家のブレヒトを引いて,このような言葉を返してきた。「あなたやわたしが帝国主 義の時代に生まれていたら,そのような蛮行に加担しなかったと明確にいえるかしら。 歴史的な感覚として蛮行を糾弾すべきだけど,それは,いま,ここでの安全が保障され ているから言えること。状況の裏側をしっかり認識しなくちゃ」医学知識で頭がコンク リート詰めになりかけていた私は,その歴史認識の深さに圧倒された。もっと人間を知 りたいと思った。これが異分野へのまなざしの原点かもしれない。 (いろひら てつろう 南相木村診療所長 平成2年医学部卒業)
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