日経メディカル ブログ 色平哲郎の「医のふるさと」47〜53

ブログの紹介  今の医療はどこかおかしい。
制度と慣行に振り回され、大事な何かがなおざりにされている。
そもそも医療とは何か? 医者とはなんなのか? 
世界を放浪後、故若月俊一氏に憧れ佐久総合病院の門を叩き、
10年以上にわたって地域医療を実践する異色の医者が、
信州の奥山から「医の原点」を問いかける。

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47 たった3人?いや、なんと3人も合格!

日経メディカル 10年4月26日 色平哲郎

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/201004/515003.html

 今年の2月に行われた看護師国家試験で、EPA(経済連携協定)の枠で来日し、
 国内の医療機関で研修を受けていた看護師候補生のうち
 3人(インドネシア人2人、フィリピン人1人)が合格した。

 漢字文化圏以外の国で生まれ育った人が
 日本の看護師国家試験をパスしたことは「すごい」と思う。
 よくぞ、あの難解な漢字をマスターしたものだ。
 254人の受験者のうち、合格したのはわずか3人。超難関だ。

 一方で、残る251人は来年の試験に合格しなければ
 3年間の滞在期限が切れるため、帰国しなくてはならない。
 おそらく、大勢の看護師候補生が母国に帰ることになるだろう。

 この現実をどう考えるか。
 人手不足の医療現場からは、
 「一定の看護技術を持っている人を帰国させるのは惜しい」
 「大量の不合格者を帰したらEPAによる看護師受け入れの存続が危ぶまれる」
 などの声が聞こえる。

 岡田克也外務大臣は、1月に都内で
 インドネシア・フィリピンの両外相と会談した折に、
 「難解な漢字が多用されている国家試験の改善を検討する」
 と伝えている。外国人受験者の試験のハードルを下げる方向へ進みそうだ。

 しかし、試験を易しくすればことは丸く収まるのだろうか。
 医療現場での患者、医師、他の看護師、介護士、その他一緒に働く人との
 コミュニケーションが取れなければ大変な事態となる。

 看護師国家試験には日本人受験者の9割が受かっている。
 もし、外国人にだけ易しい特別枠を設けるとしたら、
 彼らは「下働き」を押し付けられるおそれもある。

 そもそもEPAは、看護師や介護士の受け入れのためにある制度ではない。
 包括的な経済連携を目指すとしており、
 そこに医療・介護分野での人材の受け入れが組み込まれた。
 中には「出稼ぎ」気分で来日する人もいないではない。
 受け入れる日本側の医療機関の待遇や考え方もバラバラだ。

 もう一度、それぞれのニーズと制度の運用を
 すり合わせる必要があるのではないだろうか。

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48 日本の健康長寿、秘訣は「ソーシャル・キャピタル」にあり

日経メディカル 10年5月25日 色平哲郎

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/201005/515288.html
 
 先日、ハーバード大学公衆衛生大学院教授のイチロー・カワチ氏の講演を聞いた。
 タイトルは、ずばり「日本人はなぜ長寿なのか?」。
 社会疫学を専攻するカワチ教授ならではの分析は新鮮だった。

 カワチ教授は、日米豪を比較し、日本人の塩分摂取の高さや過剰な
 アルコール摂取、喫煙率の高さ、高いストレスや過重労働を指摘し、
 食生活や生活習慣が必ずしも長寿の理由ではないのだろう、と推測する。
 保険制度が長寿に影響を与えているとはいえ、決定的要因ではないという。
 あれこれ要因を探った結果、行きついたのが社会的要因としての
 「ソーシャル・キャピタル」という概念だった。

 ソーシャル・キャピタルとは直訳すれば「社会資本」となろうが、
 ダムや道路、橋といったインフラの意味ではなく、
 人間関係やグループ間の信頼、規範、ネットワークといったソフトな資本、
 つまり人と人とのつながりを指し、近年は「社会関係資本」と訳すようだ。

 日本での例を挙げると、村祭り、盆踊り、寄り合いなどの行事がある。
 これらの根底には「情けは人の為ならず」「持ちつ持たれつ」「お互いさま」
 「おかげさまで」といった日本的な価値観がある。

 これは、私が暮らしている長野県佐久地方の人間関係のありようと重なる。
 ソフトウェア、ヒューマンウェアとしてのソーシャル・キャピタルは、
 確かに長寿県である信州にまだ色濃く残されている。

 佐久総合病院の同僚の長(ちょう)純一医師は、顔が見える関係、かかわり合いの
 ソーシャル・キャピタルが残る、そんな農山村地域での認知症について、
 次のように述べる。

 「村では多少認知症が始まっていても、
 ずっと生活の環境が変わらないため
 普通に暮らせているお年寄りが多い。
 認知症と認識されないで『歳だ』くらいで暮らせている。
 あるいは多少のことならば周囲が支えてくれるため、生活上不都合はない。
 このレベルの方が病院という異なった環境に入ると、
 環境変化が大きいこともあり、一気にせん妄などの認知症が目立つ」

 (「母なる農村」をどう守るか==若月俊一のラストメッセージを継承する==
 JA長野厚生連佐久総合病院刊「農村医療の原点V」収載)

 かたや都会では、認知症で鍵や金銭の管理ができなくなった高齢者は、
 地域の中で暮らし続けられなくなっているのではないか、と長医師は推測する。

 ムラは何かと窮屈で、人間関係を束縛する面もなくはない。
 だが、そのかかわり合いこそが健康長寿を支えているとしたら、
 このソーシャル・キャピタルは無視できない。

 日本はソーシャル・キャピタルという言葉が生まれるずっと前から
 人々のつながりを大事にしてきた。
 これをどう生かしていくかを医療者だけでなく、
 社会全体で考える必要があるのではなかろうか。
 かつて大塚久雄が解体すべき対象としてとらえた共同体的なるもの、
 それがいま健康長寿への鍵として見直されている。

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49 2010年6月26日、若月俊一生誕百周年の日に

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/201006/515761.html

日経メディカル 10年6月26日 色平哲郎

  私が勤務する佐久総合病院は、毎年夏に『農村医学夏季大学講座』を開いてきた。
 今年は7月30・31日の開催で、始まって今年で50周年、ちょうど半世紀となった。

 講座の創始者である若月俊一は、「農民の健康を守り、農村医療を高めるためには、
 私たちはいかなる理論と実践方法を打ち立てるべきか、皆様と一緒に討議し、
 問題を見出し、解決の方向へ前進させたい」と開講時に記している。
 今年は、その若月生誕百周年でもある。

 開講された昭和30年代半ばは、古い農村生活が尾を引いており、
 衣食住の問題が主で「農村生活改善運動」や「農民体操」が取り上げられた。
 その後、経済発展とともに「主婦農業」「農薬中毒」
 「農業機械の安全対策」などが論じられた。
 最近は、「介護」「福祉」が論じられるようになっている。

 夏季大学講座の歩みは、そのまま農村医学・農村医療の歴史でもあるのだが、
 今年は佐久病院にとって大きな転換期に当たっている。
 3年後の基幹医療センター設立に向けた再構築が本格化し、
 50代の伊澤敏が新院長に就任した。

 いささかローカルな話題で恐縮だが、外部から長年佐久地域で
 「ライバル」と見られてきた佐久病院と佐久市立国保浅間総合病院の間で、
 「連携」の機運が高まってきたのも「転換」の一つ。

 5月の佐久病院祭には、浅間病院の村島隆太郎院長が来てくださった。
 伊澤院長は、以下のように述べて村島院長をお迎えした。

 「浅間病院の院長さんがいらっしゃるのは、病院の歴史始まって以来の、
 画期的なことなんです。競争も大切だが、医師不足の中でお互いの
 得意なところを生かしながら、スクラムを組んでいくことが地域のためになる」

 地方の医師不足、医療崩壊が深刻化する中、病院と病院が
 垣根を取り払って手を結ぶ。
 「農民とともに」を合言葉に医療に携わった若月は、
 この変化をどう眺めていることだろうか。

 なお、講座の詳細については、『第50回農村医学夏季大学事務局』の
 ホームページをご参照いだきたい。

http://www.valley.ne.jp/~sakuchp/gyouji/daigaku/summer10/summer10.htm

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50 リヒテルズ直子さんの「オランダ通信」

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/201007/516085.html

日経メディカルブログ  10年7月23日  色平哲郎


 先日、オランダ在住の教育研究家・リヒテルズ直子さんが一時帰国した折、
 お目にかかった。

 リヒテルズさんは、九大大学院を卒業後、マレーシアのマラヤ大学に留学。
 その後、国境を越えた開発援助に携わるオランダ人の伴侶と巡り合い、
 ケニア、コスタリカ、そしてボリビアで暮らした後、オランダに居を定めている。
 リヒテルズさんは「オランダ通信」という
 ホームページを持っており、さまざまなテーマでブログを執筆している。
 いずれも一読の価値あるブログだ。

http://www.naokonet.com/ 

 リヒテルズさんによると、オランダでは小学校のころから一人ひとりが
 「ユニーク」、つまり「他に代わりのいない」存在だと教えられる。
 個人が個人として尊重されなければならない、
 個人の尊厳を傷つけられそうになったらきちんと意思表示しなくてはいけない、
 と諭されるそうだ。

 民族や宗教の違いを含めて、個人を大切にすることが「民主主義」の原点にある。
 だからこそオランダは、16世紀以来、近代へ向けた「市民社会」を営々と
 築いてこられた、ともいえそうだ。

 リヒテルズさんのブログの一つ、「オランダ 人と社会と教育と」では、
 オランダで6月に行なわれた日本の衆議院に当たる「第二院」の
 選挙の結果について論じている。

http://hollandvannaoko.blogspot.com/ 

 四期続いた中道右派のキリスト教民主連盟(CDA)が
 大幅に議席を減らす一方で、イスラム排斥を辞さない極右政党(PVV)が
 大きく議席を伸ばしたという。
 移民に対する「寛容な伝統」とは相容れない結果となった。

 その理由の一つは、「高齢化の進行による社会保障制度の行きづまり」だという。
 好況期でも危ぶまれていた高齢化問題が、不況でさらに深刻化。
 その影響を大きく受ける低所得者層は先行きに不安を募らせており、そのことが
 先住オランダ人とイスラム系移民との対立につながっているようだ。

 移民が少ない日本にも、関係のない話とはいえない。
 社会保障の格差拡大は、所得階層間、そして世代間の対立感情を生む。
 参院選で敗北した民主党政権は、どこへ向かって進もうとしているのか。
 「生活が第一」という大方針はどうなったのか。

 「医療を成長産業に」のかけ声の下、「混合診療」の解禁や
 メディカルツーリズムの振興を進める動きがある。
 だが、それらは日本が営々と継承してきた「国民皆保険」の
 伝統を突き崩す危険性をはらんでいるのではないだろうか。

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51 「川のふるさと」

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/201008/516462.html

日経メディカルブログ  10年8月30日  色平哲郎


 猛暑の夏は、特に「水」のありがたさが身にしみる。
 信州の佐久でも連日30度を超え、高齢者の熱中症対策は他人事では
 なくなってきた。
 小まめに水分を摂るのが大切なのは言うまでもない。

 海のない信州は川への愛着が深い。
 天竜川、木曽川、信濃川の「水源地」があり、それぞれが地下水脈でつながって、
 湧き水や小さな泉が信州全域に分布している。
 日本の「川のふるさと」といえようか。

 その川の多くがコンクリートで固められ、生命を育む管としての柔軟さと
 しなやかさを失った。
 人体に例えれば動脈硬化のようなものだろうか。
 一人の人間の血管の総延長は、毛細血管まで含めると
 約9万キロにもなるという。地球二周分だ。

 河川を地球の血管だとすると、今至るところで巨大ダム建設による
 「血栓」が生じている。
 経済を発展させるための「電源開発」や「治水開発」で
 上流と下流、右岸と左岸、国家間の水争いが起き始めている。
 最も懸念されているのが中国の大規模ダム建設だ。

 朝日新聞(8月15日付)は次のように伝えている。

 「チベットからインド、バングラデシュに流れるブラマプトラ川。
 『上流で中国がダムを建設中』とインド紙が1面トップで報じたのは、
 昨年10月のことだ。
 人工衛星で着工が確認された。
 中国側は、5基のダム建設計画が進んでいることを認め、電力需要の増加に
 対応する水力発電用のダムで、常時放水するためか流域に影響はないと説明した。

 しかし、中国側の思惑次第で水量をコントロールされてしまうのではないか、
 とインド側は懸念を募らせる。
 1962年に、国境紛争で戦った両国。
 インド国内の研究者からは『中国が水という武器を手にした』
 という論調さえ出てきた。

 懸念はダムにとどまらない。
 インドのエネルギー資源研究所の水問題担当、アショク・ジェントリー部長は
 『中国はブラマプトラ川の水を、自国へ引き込もうとしているのではないか』と話す
」



 河川の専門家によれば、河川開発は5%に留めるべきで、
 大きくても15%までだという。
 100%近く開発された黄河は、いまや渤海に「塩」しか送り込んでいないそうだ。
 人間の血液なら「人工腎臓」という浄化法もあろうが、自然相手ではそうもいくまい
。

 チベット高原という大水源地帯を中国は抱えている。
 ここは別名「アジアのウォーター・タワー(給水塔)」。
 黄河、長江など巨大国内河川に加え、メコン、サルウィーン、
 さらにガンジス支流のブラマプトラ、そしてインダスなど多くの国際河川を抱える、
 そんなアジアの「川のふるさと」がチベット高原である。

 中国は「南水北調」という計画を進めており、南部の豊富な水を
 水不足の北部へ送る大事業に乗り出した。
 今のところ国内河川しか取水対象にしてはいないが、
 国際河川に手を伸ばす可能性がゼロとはいえないのではないか。

 日本人は、長い間、「水と安全はタダ」と思い込んできたが、
 世界は水による国際紛争の一歩手前まで来ている。
 これは対岸の火事ではすまない。
 日本は大量の食物輸入を通じて、世界の水需要と密接につながっている。
 作物を栽培するには大量の水が必要だ。
 日本に穀物を輸出する国々で水紛争が起きたら、真っ先に日本を直撃する。

 また、水問題は水源と量と質だけではない。
 水道は上水道だけではなく、血管も動脈だけではない。
 「下流」での大問題として、地球人類の38%、実に26億人の自宅に
 厠(かわや)がない、という保健以前の課題を21世紀に積み残してしまっている。

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52 「『健康格差社会』を生き抜く」  日経メディカル 10年9月28日 色平
哲郎

http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/mem/pub/blog/irohira/201009/516783.html

地域に密着した医療現場にいると、コミュニティーでの支え合いが
生命のありようを左右することをしばしば実感する。
例えば、同僚の長(ちょう)純一医師は、
「大都市よりも人間関係が濃密な山間部の方が認知症が進みにくい、
そんな印象がある」と指摘している。

自然環境も影響しているのかもしれないが、なべて農村のほうが
高齢者でも畑仕事やら何やらで、体を動かして自らの「役割」を果たす機会が多い。
多少認知症が進行しても「火事さえ出さなきゃいいよ」と
周囲が見守るケースもあるだろう。

日本福祉大学社会福祉学部教授の近藤克則氏の『「健康格差社会」を生き抜く』
(朝日新書)は、社会疫学の視点から、コミュニティーの力を
明らかにしようとした労作だ。
「ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)」の大切さが実証的に語られている。

「ソーシャル・キャピタル」とは、直訳すると「社会資本」となるが、
ダムや道路、橋といったインフラのことではなく、
人間関係やグループ間の信頼、規範、ネットワークといったソフトな資本、
つまり人と人とのつながりを指す(関連記事:2010.5.25
「日本の健康長寿、秘訣は『ソーシャル・キャピタル』」にあり」)。

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/201005/515288.html 

著者はまず、要介護認定を受けていない約3万3000人の高齢者の
「身体・心理・社会的な状況」を4年間追跡した調査によって、
「健康格差社会」の実態を浮き彫りにする。
この調査では、高所得の人ほど「よく眠る」、「明るく、うつが少ない」
「要介護リスクや虐待が少ない」など、健康状態がよいことが分かった。

また、介護保険を利用している高齢者約2万8000人を4年間追跡した調査によれば、
高所得で保険料が高い人たちの死亡率11.2%に対し、最低所得層
(生活保護受給世帯)では34.6%と、男性は3倍以上も死亡率が高いという。

「先進国」の日本でも人間の生存権にかかわる「健康格差」が拡大している。
だったら、必死に「勝ち組」に加わる努力をすればいいのか?
近藤氏はこう述べている。

「格差(不平等)の大きな社会は、競争社会の「勝ち組」といわれる人たちにも
大きなストレスをもたらす。そのことによって、社会の底辺層だけでなく
国民全体の不健康をもたらすという『相対所得仮説』を支持する実証研究が増え、
2009年には日本のデータでもそれを実証した論文が相次いで発表されている」
(同書、233ページ)

「ソーシャル・キャピタルが豊かな国や地域ほど経済成長率が高く、合計特殊出生率
(一人の女性が一生の間に産む子どもの数の推計値)が高く、犯罪や虐待が少なく、そ
こに暮らす人びとの健康度もよい現象がみられる」(同書、135ページ)

能力の高い者、努力した者に高い報酬を、との主張は
人間の経済的欲望を肯定する点では正しい。
しかし、経済的価値観のみに重点を置く社会は、
内部に不健康というリスクを抱え込む。

国民の健康格差を縮めつつ、
ゆるやかな経済成長を達成するにはどうすればいいのか。
人と人の信頼感が厚く、社会の結束力が高い
ソーシャル・キャピタルが豊かな国は、
社会全体のストレスも少ない。

近藤氏はこうも言っている。

「ソーシャル・キャピタルは、それが豊かな地域ほど不健康が少ないだけでなく、
犯罪が少なく、生まれる子どもが多く、新しい産業が生まれやすいなど、
多方面にわたる関連が示唆され注目されている」(同書、233ページ)

戦後、地方から都市への人口集中によって
「稲作文化」を基底とする「ムラ社会」は崩壊した。
気がつけば、人と人を寄り合わせる軸を失った日本。
「脱・無縁社会」の実現、コミュニティーの再生こそ急務ではなかろうか。

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53 政権交代から一年、国民皆保険の危機  

日経メディカル 10年10月25日 色平哲郎

http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/mem/pub/blog/irohira/201010/517161.html

 民主党が「国民の生活が第一」とマニフェストに掲げ、戦後初めて、
 「政権交代」が実現してから一年が過ぎた。
 この国は、いったいどっちに向かっているのだろう。
 もう一度、政権交代の原点である「脱・小泉構造改革」を
 確認しておいた方がいいのではなかろうか。

 OECDの統計によれば、日本人の一人当たりGDPは、2000年の世界第3位が、
 小泉構造改革が終わった06年には20位、08年には23位に急落している。
 国際経営大学院IMD(スイス)が発表している国際競争力ランキングは、
 1990年に第1位だったが、08年には第22位。
 日本の国際競争力は高まるどころか、落ち続けている。
 「規制緩和」、「市場原理主義」、「競争」という手法が、
 日本が保ってきた有形無形の社会的基盤を堀り崩しているとしか言いようがない。

 その影響が最も端的に現れているのが、「危機に立つ国民皆保険」だ。
 国民健康保険の保険料滞納者数は、06年に480万世帯。
 1年以上保険料を滞納したため保険証を返還し、その代わりに
 資格証明書を交付された世帯数は35万を超えた。
 国保には、所得が不安定な自営業者や農業従事者だけでなく、
 企業や役所を退職した高齢者、非正規雇用の労働者がどんどん流入している。
 医療費が増加する一方で、保険料の収入は伸び悩んでおり、
 財政状況は危険水域に入っている。
 現役世代と退職世代の連続性を考慮すれば、国保と組合健保、
 共済との統合による「一元化」を真剣に議論しなくてはならない
 段階に差し掛かっている。

 しかし、自らの利害を最優先する大企業の保険者、その団体に天下りする
 厚生労働省の官僚たちは、統合による負担増を決して認めようとしない。
 とはいえ、このまま国民が多数の保険に分かれて加入していることの方が、
 よほど不合理であろう。
 格差が拡大すればするほど社会不安は募り、
 「勝ち組」も安閑としてはいられなくなる。

 9月1日、「21世紀型の新たな皆保険制度―日本の保健システムを再考する」
 という国際シンポジウムが開催された。
 諸外国は、日本の皆保険制度をモデルとして追いかけている。
 米国医学研究所理事長のハーベイ・ファインバーグ氏は、基調講演でこう語った。

 
「健康問題は、経済や環境問題と複雑に絡んでおり、政治的な対処も難しい。
 どうやってこの難しい問題に直面し、目標を達成していくか。(中略)
 日本は、皆保険を世界に先駆けて達成し、維持してきた。
 今度は21世紀型の保険改革をどう遂げていけるか。どのような選択をとり、
 どういった行動をとるのか、見せていただきたい」(朝日新聞9月24日付より)


 これを受けて、慶応大学医学部教授の池上直己氏は、次のように述べた。


「社会保険の機能として、リスクの分散と、所得再分配のいずれを優先するか。
 リスクの分散であれば社会保険は徐々に民間医療保険に近づく。
 所得の再分配であれば、社会保険の統合が必要だ。
 そもそも国民が3500の保険者に分かれて加入しているのは非効率的だ。
 統合再編の単位としては都道府県が適切と考えている」


 社会保険は、できるだけ「大きなプール」にお金を蓄えたほうが、
 制度を安定化できる。こうした議論を、菅政権はどう考えているのだろうか。

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