日経メディカル ブログ 色平哲郎の「医のふるさと」 23〜28

ブログの紹介  今の医療はどこかおかしい。
制度と慣行に振り回され、大事な何かがなおざりにされている。
そもそも医療とは何か? 医者とはなんなのか? 
世界を放浪後、故若月俊一氏に憧れ佐久総合病院の門を叩き、
10年以上にわたって地域医療を実践する異色の医者が、
信州の奥山から「医の原点」を問いかける。

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23 地球にやさしい家に住もう   08年8月25日 色平哲郎

http://medical.nikkeibp.co.jp/inc/mem/pub/blog/irohira/200808/507593.html

 先日、長野県茅野市のユニークな介護施設「桜ハウス玉川」に足を運んだ。
 職員数は20人、デイサービスを利用する高齢者は25人。
 ショートステイは20人まで受け入れ、要介護度が高いお年寄りにも対応する
 小規模多機能型の施設である。

 と書くと一般的な施設のようだが、ここの「建物」は日本で他に
 類例のない省エネルギー工法で造られている。

 鉄筋コンクリート造の2階建てで、外壁に厚さ30cm、
 屋根には40cmもの断熱材を張り、窓には断熱性能の高い
 三重ガラスの樹脂サッシなどがはめ込まれている。
 建物に服を着せたように断熱材が外側をすっぽり覆っているのだ。

 いわゆるRC(鉄筋コンクリート)外断熱工法で、
 徹底的に省エネ性を追求している。

 以前から親しくしているノンフィクション作家・山岡淳一郎が今年の
 7月に出版した『地球にやさしい家に住もう』(朝日新聞出版)を読んで、
 この桜ハウス玉川の存在を知った。

 山岡は日本医療制度の父ともいえる後藤新平に焦点を当てた
  『後藤新平 日本の羅針盤となった男』(草思社)なども著している。

 今回の「地球にやさしい家に住もう」では北海道から沖縄まで、
 さまざまなエコ建築の現場を訪ね歩き、そこで暮らしている住民や設計者、
 施工者たちへのインタビューを通して「住まい」のあり方を問うている。

 実際に今回桜ハウス玉川を訪ねて、スタッフの方々と話し、
 医療や介護施設における省エネ性の大切さを再認識させられた。

 熱橋(ヒートブリッジ:断熱された建物の壁などの内部で部分的に
 できる熱を伝えやすい箇所)ができないように綿密に工夫された
 工法なので、建築にかかる初期コストは高めだが、
 光熱費は驚くほど節約できる。

  同規模の他の介護施設に比べ、電気料金に換算して、
 約4分の1に収まっているという。
 燃料費高騰のおり、数年で元が取れる計算になった。

 建物の外側を断熱材が覆っているので、コンクリート躯体が
 外気の温度変化や日射、風雨などから守られており
 耐久性も非常に高いと伺った。

 医療者として関心を持ったのは、施設内の温熱環境の安定性である。

 桜ハウス玉川が信州大学工学部と共同で1年を通して測定したデータによれば、
 外気温が1月のマイナス5度から8月のプラス26度まで大きく変化しても、
 冷暖房をほとんど使わずに、施設内の室温は20度から25度の間に収まっている。
 その安定性は湿度においても著しい。

 真冬でも真夏でも施設内のトイレや風呂、居室の温度は、どこもほぼ一定なのだ。
 この事実は、「ヒート・ショック」を防ぐ上で
 大きな意味を持つのではないだろうか。

 医療と建築のかかわりでは、従来化学物質によるシックハウス症候群が
 注目されてきたが、ヒート・ショックに関する専門的な研究は
 今後どのように進められていくのだろうか。

 一説によれば、年間、1万人以上がヒート・ショックで命を落としているとか。

 医療と建築の間には、まだまだ手つかずの分野が横たわっていると感じる。

  『地球にやさしい家に住もう』によれば、近年日本の建築政策は、
 かつてのスクラップ・アンド・ビルドから「いい建物に手を入れて、長く使う」
 方向へ転換しつつあるという。

 そのカギが、耐久性、バリアフリー、耐震性、そして省エネ性だ。

 われわれ医療者も、高齢者や患者さんたちが24時間生活をする病院や介護施設
 の温熱環境、つまり「建築物理学」にもっと関心を持つべきではないだろうか。

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24 中空に浮かぶ大都市?  日経メディカルブログ 08年9月16日

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/200809/507820.html

 農業が、人びとの生命と生活、自然環境を維持するためにどれだけ大切か。
 そのことを声を大にして叫ばなければならない時代が来てしまった。

 農山村で日々、診療をしていると大都会との絶望的な地域格差を感じる。
 しかも、それが広がる一方だ。

 都会にある研修医定員十数名の花形病院に100人近い応募者が殺到する一方で、
 郡部の病院では医師が足りず、院長の当直が月に20回。

 救急指定を返上し、産科、人間ドックもやめ、土曜診療も打ち切って、
 なんとか生きのびている。

 かと思えば、山寺の住職のこんな話。

「この20年でお墓を都会へ移す檀家が続出し、境内のお墓が半減してしまった」

「限界化」して、「需要」はあるはずなのに、墓地は流出。一方の都会では、
「お墓のマンション」のような納骨堂の権利が飛ぶように売れているという。

「墓参りのためだけに田舎に行くのは時間的にも経済的にも非効率」

 そんなふうにテレビで都会人たちが話していた、
 とふだんテレビを見ない私のところに訴えが届いた。

 のどかな田園地帯をぎっしり人が詰まった「2両編成」の列車が走っていく光景は、
 悲しみすら覚える。

 地方の列車やバスの便数は、どんどん減って運行は通勤・通学の時間帯だけ。
 まるで大都市のラッシュアワー並の混みようだ。

 それもこれもこの国が、農業を単に商品経済の対象としか考えず、
 農村を安価な労働力供給源と割り切ったところからはじまった。

 今年7月末のWTOのドーハラウンドの締結失敗に際し、テレビのコメンテーターたちは
「(都会の)消費者が安価な農作物を買えないのは言語道断。
 農産物の市場開放をもっと進めるべき。
 日本の農家は、安全で安心できる作物をもっと安く提供しろ」

 と口角泡を飛ばしていた。
 ここまで所得格差が開いているというのに、「もっと安く」と平気で言う。
 食料自給率の危機的状況や、山林、原野、水源地の荒廃など眼中にないようだ。

 彼らは、大都市は中空に浮かんでいて、地方から貢物のように食物が提供される
 とでも思っているのか。

 医療崩壊も、食の安全崩壊も、
 突きつめれば地方の農業崩壊、産業崩壊が原因だ。

 都市生活者は、定年後に夫婦で海外旅行もいいが、たまには田園で土になじんで
 作物をこしらえ、食料について考えを巡らせる農的生活を送ってはどうだろう。

 今回のドーハラウンドでのアメリカ合衆国と百以上の発展途上国の熾烈な争い、
 その争点は、事実上「食料主権」に絞られていた。

 交渉の背景には、農業の工業化・企業化によって
 零細な家族農業が追いやられ、世界的な食料危機が生じている現状がある。

 食料確保は国家の主権問題との考え方が、国際社会に広がっている。

 インドと中国は、そうした「声なき声」を代弁し、貨幣経済のなかで食料を
「自由に」売買するシステムに「ノー」を突きつけたのだ。

 農産物輸出大国のアメリカも、多勢に無勢で引き下がらざるを得なかった。

 今後食料は値段が高騰するばかりでなく、輸入自体が次第に困難になると
 いわれている。

 エネルギー資源と食料を大量に輸入し、工業製品を輸出する日本国の存立パターンが
 足もとから崩れようとしている。

 農業従事者には「最低賃金」にあたる保障もない。

 一時的な補助金の「バラマキ」ではなく、国家百年の計で農業を、
 つまり国の主権を回復する手立てを講じる必要があるのではないか。

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25 地方の医師不足、その本当の原因とは?  日経メディカル 08年10月6日

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/200810/508039.html

 佐久総合病院の同僚、長(ちょう)純一医師(国保川上村診療所長)は、
 地方の医療現場を最もよく知るドクターの一人だ。

 彼は研修医時代から地域で働く同志を、と考え医学生向けにさまざまな
 企画を行い、多くの学生実習を受け入れ、進路相談に乗ってきた。

 彼が接した医学生は千人を下らない。
 それだけの医学生が「地方の医療現場」に関心を持っているということだ。

 にもかかわらず、現実には地域の医師不足はいよいよ深刻化している。

 長医師は、昨今の地方の医師不足が「新臨床研修制度で都市の
 研修指定病院に研修医が集中し、地方の大学医局に残らなくなったため」
 という一般的に流布している解釈に対し、
「本当に研修制度の問題なのか?」と疑問を呈している。

 長医師が、『医療タイムス』に載せた記事の一部を引用してみたい。

……
一番の問題は、実は地方の医学部に地方出身者が少なく、
都市部出身者が多いことが最大の理由ではないか。
信大でも本県(長野県)出身者は例年2割いるかどうかであろうし、
小生が接する全国の医学生から各大学の状況を聞いても地元は
3割くらいの所が多く、さらに町村の出身者となると非常に少ない。

つまり都会で私立一貫校や塾など多額の投資をした者が、
地方の医学部に多く進学しているという実態がある。

その者らが、従来は都市の大学の医局に「外様」で戻るより
母校の医局に残ることがメリットが多いと判断していたのが、
昨今の地方の切り捨てという世間の風潮の中、
地方に残ることを避ける傾向にあり、
ちょうど新制度で都市に研修病院が増えたことが重なり、
都市に戻るようになったのが、地方の医師不足の主因だろう。
……


 私も、この見方に同感である。
 そもそも新臨床研修制度になる前から地方の農山村や漁村、
 つまり郡部は医師確保に悩まされてきた。

 地方の医科大学が地方の医療を守るという本来の「公共的使命」から逸脱し、
 受験戦争のピラミッド構造に組み込まれ、
 時流に流されてきたことに問題があるのではないか。

 厚生労働省が医師数増員を打ち出しているが、
 農村部に医師が充足するのは数十年先になってしまうだろう。

 地方分権は、まず医師確保から実践すべきではないか。
 県によっては、医学部入試で地元出身者に特別枠を
 設けているところもあるが、焼け石に水の感は否めない。

 根本的に「地域の医師は地域が育てる」という方向へ、発想の転換が必要だろう。
 こう言うと「教育を受ける権利」とか「職業選択の自由」を盾に
「都会の高校生が地方の医科大学に進んで何が悪い」と反論されそうだが、
 何も都会の出身者に地方の医科大学へ来るな、と言っているのではない。

 地方で医学を学ぶ以上は、医療が地域に密着している現実をしっかり認識した上で、
 医療に託されている公共を担う「使命」を感じ取ってほしいのだ。

 そうして少しでも多くの医学生に医療の手薄な地域、
 切実に医師を欲している地域に残る勇気を持ってほしい。

 人間の欲望をコントロールするのは難しい。
 知識だけでは不可能だ。
 しかし欲望のままでは社会システムは破綻する。
 アメリカの金融危機がいい例だ。

 人は何のために生きるのか。
 この問いを医師教育の現場で発し続けることが大切だろう。

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26 格差が絶対化した時代 日経メディカル・ブログ 08年10月27日 色平哲
郎

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/200810/508305.html

キリスト教社会運動家の賀川豊彦(1888〜1960)は、1909(明治42)年、21歳のとき、
神戸葺合(ふきあい)新川の貧民窟に入って以来、
働く者を幸福にする社会を築かねばならないと考えるようになった。
その原点は「貧民心理の研究」や自伝的小説「死線を越えて」などに記されている。

賀川は神戸の造船会社の大争議の指導をした後、農民運動にのめりこんだ。
太平洋戦争中は、多くの宗教家と同じく、戦争に協力的な姿勢を示したともいわれる。
 

「日本の生活協同組合の父」でもある。

その賀川が実践的に取り組んだ活動に「医療利用組合」運動がある。
1936年、医療統計などなかった時代に賀川は独自にデータを集め、
「貧困予防策」としての医療組合がいかに重要かを説いている。

賀川がこの論文を書いた昭和初年は、ひと言でいえば「格差が絶対化した時代」
であった。
昨今、「格差社会」がよく言われるが、数十年、時代をさかのぼれば、
「格差」はむしろ当たり前に社会に存在していたのだ。

賀川が示したデータを以下に並べる。

・人口1000人に対する医師数は0.77人(1927年)

・農民1000人当たり、1550件の疾病病数(1929年)

・東京麹町区の乳幼児死亡率が1000人当たり「約70」であるのに対し、
 下町の本所区は「200(!)」

・全国1万2000の村のうち、無医村が約2900ヵ村(1926年ごろ)から、
 経済恐慌の影響で3231ヵ村に増加(1930年)

・農村の医療費が農民の全収入の28%を占めるのに対し、
 都会の労働者階級の医療費は同7.5%

・農村は、都市に比べて、5割〜10割近い死亡率の増加

昭和初年、都市と農村、あるいは都市内部の富裕層と貧困層の医療格差は
とてつもなく開き、それが固定化していた。

賀川は記す(原文は旧カナ)。

農村で一旦病気をすれば、田畑を売り、家を失い無産者として、
都会の貧民窟に住入するほか道がなくなるのである。
然るに、こうした時でもなお、農村の医師は、倉を建て、貯蓄を増し、
息子等を大学に送る特権を持っているのである。
……
ここに、農民の要望が、期せずして、医療組合に集まる理由が存在する。
今まで、農民は、医療費に対して、どれだけ支払っていいか判らなかった。
それは、村税を通じて、医療設備を行う場合でも同様である。
然るに医療組合においては、患者が医者を抱えるという組織になるため、
彼等は安心して、農村に診療所を設ける運動を始めるのである。
(賀川豊彦全集11巻/キリスト新聞社)

もちろん、互助精神で組合員が資金を出して創設する医療組合は、
さまざまな弱点も持っている。
第一、財政基盤が弱い。賀川はこう反論する。

保険行政の財源は一元的ではなく、多元的である必要がある。
即ち、単線ではなく、複々線にしておけば、村や町で病院経営に
困ることは絶対なくなる。
私は病院は組合で経営して、町がこれに補助をなし、
何人も喜んでこれに寄付するという方式が一番よいと思っている。
(前同)

とはいえ、貧しい人々は組合への出資金にも事欠くことだろう。
経済的に恵まれない層が、はたして病院を立ち上げられるのか。

医療組合の払込出資額を最低限に止めることを許し、
今までの作っている官公立の実費診療病院と、
それらの医療組合とを完全に連結せしめる必要があると思う。
(前同)

さらにはこんな例を示している。

ある医師は15万円かけて病院を作った。
しかし子供が不良で跡取りができない。
これを人に売る場合には3万円しか値打がない。
それであるインチキ医学校に頼んで是非息子の卒業を保証してくれと
現金まで見せて運動したということである。
何たる浪費であろうか。
……
もしもその地方の住民自らが利用組合の出資法によって、
医療組合をつくり、それによって十数万円の病院を建てたとすれば、
その病院はいつまでも十数万円の価値を有している。
私は、日本の中都会を訪問していつも感じることは、
いかに医者が金銭を浪費しているかということである。
これは、まったく競争組織を基礎にした開業医制度の弊害が
こうせしめたのであろう。(前同)

「医療崩壊」が加速している現代、賀川豊彦の医療組合論は、
時代を超えた普遍性をたたえているように思える。

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27 都道府県別の診療報酬体系?  日経メディカルブログ 08年11月17日

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/200811/508567.html

 地方では、団塊の世代が「70歳」に達し始める「2015年」に
 大激震が走ると予想されている。
 地方の医療崩壊ぶりは現在でも凄まじいのだが、
 そこに決定的打撃が加わるのではないかと、
 都道府県の医療政策担当者たちは戦々恐々としている。

 というのは、2015年3月から「都道府県別の診療報酬体系」(?)が
 スタートする予定だからだ。そのことは老人保健法から移行した
「高齢者の医療の確保に関する法律」に織り込み済みといわれる。

 同法4条の「地方公共団体の責務」として、
「地方公共団体は、この法律の趣旨を尊重し、
 住民の高齢期における医療に要する費用の適正化を図るために
 取組及び高齢者医療制度の運営が適切かつ円滑に行われるよう
 所用の施策を実施しなければならない」と定める。

 さらに9条で「都道府県は、…必要があると認めるときは、
 保険者、医療機関その他の関係者に対して必要な協力を求めることができる」
 と記されている。

 このあたりが「都道府県別の診療報酬」スタートの根拠になるのだろうか。
 医療費の適正化が当初の設計図通りいくか否かによって、
 都道府県別の診療報酬の範囲が大きく影響されるといわれている。

 団塊の世代の「通り道」は、仕組みの破壊を伴ってきた。
 先日も団塊世代の地方公務員の退職金が、
 莫大な起債で賄われるとの報道があった。
 国が、強い意思で「高コスト構造の是正」や「医療費適正化」を図ろうと
 しているのは、団塊の世代という難物とどう向き合うかという動機づけが大きい。

 現在の全国一律の診療報酬制度では「医療費適正化」に対応できないことを、
 厚生官僚は熟知している。
 医療制度は、だんだん中央集権的なコントロールが利かなくなる。
 医療政策は、地方ごとのハンドリングへ、との筋書きのようだ。

だが…実際問題として都道府県が診療報酬を決める、
 つまり現在の中央社会保険医療協議会(中医協)の機能を
 地方が担うと想像すると、空恐ろしくもなる。

 審議会委員の構成、透明性、医療データの収集、将来予測を踏まえた
 医療技術の評価…診療報酬を決めるために必要な「ひと」「専門知識」
 「公正性の担保」「コスト」などを地方公共団体で、数年のうちに整えられるのか。
 地方が分権で自立していく上で、避けて通れない道かもしれない。
 ただ地方も自らの弱点は、しっかり認識しておく必要があるだろう。
 では地方の医療を弱体化させる危険はどこに潜んでいるか。

 それは地方の「政治」の中にある。
 特定の利害関係者や、ボスが牛耳る状態だと危機は一層深刻化するだろう。

 ある県の医療行政担当者は、こう述べる。

「現在の中医協の全国一律の診療報酬体系では、
 今と同様のドミノ倒し現象が続くと思います。

 地域で診療報酬を決めるということは、
 地域で医療の責任を持つということです。

 深読みかもしれませんが、国は都道府県に医療の責任を
 すべて持たせようと考えているのかもしれません。
 ひょっとすると道州制への布石なのかも…」

 患者さん、患者予備軍の一般の人たちにとって、より良い医療とは何か。
 今から地方ごとに議論を積み重ねておかなければならないのではないか。

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28 「中高年のエイズ発症について」   日経メディカル 08年12月8日

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/200812/508735.html

佐久総合病院の同僚で、現在、JA長野厚生連から厚生労働省健康局に出向中の高山義浩
医師
から、「中高年のエイズ発症について」とのレポートが届いた。

新型インフルエンザなどの感染症対策、さらに様々な分野にわたる危機管理
の専門家である高山ドクターの知見を、ぜひ、多くの方々に知っていただきたいと思う
。

筆者の了解のもと、コンフリクト・マネジメントに関連する部分を以下掲載したい。

皆さまの日々の診療に役立てていただければ幸いである。  ―色平哲郎―


中高年のエイズ発症について  ―高山義浩―

1.地方都市における中高年のエイズ     
日本の地方都市において、HIV感染症とは若者の疾患のみならず、
中高年にも多発している疾患として位置づけられます。
また、エイズ発症まで診断されない患者(いわゆる「いきなりエイズ」)が多く、感染
を知らずに生活している陽性者が多数いるのも地方都市の特徴でしょう。

たとえば、筆者が診療に従事している佐久総合病院(長野県東部)では、
HIV陽性の通院患者の平均年齢は、男性で51歳(32人)、女性で41歳
(15人)となっています(2008年9月現在)。
また、最近5年間(2003-2007年)に、「いきなりエイズ」で診断された
比率は、実に65.8%と高く、その一方で自主的に検査を受けて
診断されたケースは1例もありませんでした。
なお、その感染契機のほとんどが異性間性的接触と考えられます。

2.相談について

1)家族という枠組みでとらえる
中高年陽性者のケアにおいて注意すべき点は、「家族という枠組みの
なかで疾患をとらえる」ということです。
若者においても家族は重要ですが、中高年においては本人が家族の柱となって
いることが多く、また逆に高齢になるにつれて家族の支えなくして生活して
ゆけない立場へと急速に転回してゆきます。
いずれにせよ、その存在は家族と不可分なものなのです。

2)配偶者への通知
配偶者への通知は、エイズ治療後の最初のハードルとして立ちはだかります。
通知は必要ですが、急ぐと病気への偏見が先行して、
離婚という結果をまねきます。
配偶者との情緒的な葛藤に理解を示しつつ、医学的・社会的に正確な情報を
提供し、今後の家族の生活をイメージさせるような支援が必要です。
 
この通知のあり様は家族ごとに異なりますが、多くの場合、「伝えなければ
状況は悪化するばかりですよ」という脅迫的な誘導は逆効果だと思います。
本人は委縮し、頑なになります。
むしろ、その一歩先にイメージをすすめて「伝えたときに何と言われると
思いますか?」と想定した問答を重ねることが大切です。

一方、通知された配偶者からの問い合わせ先として、担当する医師や看護師の
連絡先を必ず伝えておくことも大切です。
これは、配偶者が不安にかられて友人や親族に電話で相談することを
予防するためでもあります。
こうした状況では、離婚を勧める友人や親族が少なくないことに
配慮しましょう。

離婚はいつでもできます。
配偶者にとってはストレスを鎮静化させる手段ですが、ストレスの多くは
時間の流れとともに、疾患への理解とともに癒されるものです。
その時なお、離婚を求めるのなら、それは尊重されるべきなのかもしれません。

なお、離婚を決断した配偶者には、病気のことを他言しないように強く
念を押すことが重要です。
配偶者への通知を医療者として支援した以上、そこから病名がひろがらない
ように本人を守る責任があるはずです。

3)子供への通知
子供への通知は、状況に応じて判断してください。
すくなくとも全ての子供に通知する必要はありません。
介護者になる可能性のある子供、精神的な支えとなりうる子供について、
本人とよく相談して通知してください。

多くの場合、子供の受け入れは良好で、配偶者ほどの葛藤をみることは
少ないようです。
ただし、義理の息子・娘がいる場合は、通知に同席させることが望ましい
と思います。

息子の受け入れが良好であったにも関わらず、嫁の理解が得られずに
疎遠になった事例を筆者は経験しました。
孫もいたのですが「嫁が警戒して抱かせてもらえなくなった」
と本人が嘆いていました。
病状説明をしようとしても、嫁は決して病院を訪れようとはしません。
今後の介護力も期待できないばかりか、「地域のヘルパーに病名を知られたく
ない」と介護保険の導入も拒否されています。

最初の通知から息子夫婦として巻き込むべきであったと反省している事例です。
家族を枠組みとしてとらえることの大切さは、ここにも表れています。

4)高齢化に伴う課題
HIV感染症が慢性疾患となった現在、HIV陽性者の高齢化は避けて
通れない課題となっています。
筆者が高齢陽性者の支援をしてきた経験では、
主に3つの問題に直面してきました。

まず、免疫の回復が不良となってゆく問題です。
医学的な背景は不明ですが、抗HIV療法の効きが悪くなってゆく方
が多くみられます。
アドヒアランスは良好で、耐性化も認めないのですが、
それでも徐々にCD4が低下してくるのです。
このため感染症に罹患しやすくなり、細菌性肺炎や炎症性腸炎
による入退院を繰り返すようになります。

次に、高齢者に普遍的な問題として、脳梗塞、心筋梗塞などの動脈硬化性疾患、
糖尿病合併症の顕在化、あるいは悪性腫瘍などの合併があります。
これらは高齢化によるものと考えられますが、抗HIV療法の長期化
も作用している可能性があります。
要介護状態が急速に進行することがあるので、
早い段階から介護支援の手続きを進めておくことが必要です。

そこで最後の問題。介護者不在に直面します。
家族や親族、地域の偏見にさらされ、あるいは偏見を予感する本人は
自宅に引きこもりがちになり、老人性うつを合併することもあります。
ここはエイズ脳症との鑑別が求められるところですが、いずれにせよ
アドヒアランスが悪化するので、服薬支援をとりながら、
受け入れ介護施設などの検索を急ぐべき時期です。

こうした介護者不在に陥らないように、できれば早い段階から
家族を巻き込んで、家庭的さらには社会的な支えを整えておくことが
求められているのだと思います。

(エイズ予防財団編「HIV相談マニュアル」09年2月出版予定、財団の許可を得て
転載)

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