医療の民主化を実現できる国へ

日本医事新報 2010年10月9日 巻頭言 ”プラタナス”

北澤彰浩 きたざわ あきひろ   佐久総合病院副診療部長

1992年滋賀医大卒、同年杏林大病院救急医学教室入局。
翌年対局し、スリランカを中心に1年間ボランティア活動に従事。
2002年佐久総合病院地域ケア科医長などを経て、08年より現職。
09年からは岡山大大学院医歯薬学総合研究科疫学・衛生学分野非常勤講師を兼務。


「医療の民主化」という言葉が未だに日常会話の中に出てくる地域や病院が
今の日本の中でどのぐらいあるだろうか。

それも、真剣にそのことが議論されている地域や病院ということになるとどうか。

私に言えるのは、少なくとも私が住んでいる長野県佐久市はその数少ない地域の一つで
あるし、私の勤めている佐久総合病院はその数少ない病院の一つであるということだ。


というのも、佐久総合病院を昭和20年の医師3人、入院患者0人という状態から
現在の医師215人、入院総ベッド数1040床(分院等含む)の病院にまで変貌させ
た故・若月俊一名誉総長が、この佐久の地で目指したことが「医療の民主化」だったからだ。


その若月が現役を引退する時に残したのは
「半世紀をかけてこの地で医療の民主化を目指して来たが、まだ2、3割しか実現でき
ていない」という言葉だった。

そのこともあり、後に残された私達は未だにこの地で
「医療の民主化」を完成させるべく日々診療に取り組んでいる。


その中で最近よく考えるのは、私の場合は在宅の訪問診療を主に行っているため
「在宅医療」というのが「医療」なのかどうかということだ。


日本語を定義しているのが広辞苑だとすると、その中で「医療」は次のように定義され
ている。

「医療とは医術で病を治すこと」と。

だが、私が日々診療させていただいている患者さんの原疾患は脳梗塞・脳出血後遺症、
認知症、癌の終末期、廃用症候群、加齢(老衰)等で治すことができない疾患だ。

そうなると、私が日々させていただいている診療行為は治すわけではないので、
現在の「医療」の定義には当てはまらないのだろうか。


しかし、私のような訪問診療医が関わらせていただくことによって
何らかの利益を受ける患者さんが居るのも事実だ。


そうすると、今の「医療」の定義が間違っているのではないか。

そこで、私は「医療」の定義を次のように変えることができないかと考えている。

「医療とは人がその人らしく生きるために医術で病を治すこと。
ただし治らない病の時は人がその人らしく最期まで生きられるために寄り添い支えるこ
と」と。


そうなれば、私が日々行っている診療は医療になるし、
癌患者さんへの緩和医療もまさに医療になる。

そして「寄り添い支える」ことが定義されることによって、
「医療」は決して医療従事者だけのものでなくなり、国民一人ひとりのものになる。

つまり、親は熱を出す子に寄り添い支えるし、子は高齢の親に寄り添い支えるのだから。

そうなって、改めて国民が医療を見直し自分達のものとして考えられるのではないか。


そのような世の中になって初めて「医療の民主化」が実現できるのではないか。

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