日本学術会議シンポジウム 関心が高まる「健康の社会格差」を考える

医療タイムズ 2010年8月9・16日
 
いま、社会的、経済的格差による”健康の社会格差”への関心が高まっているという。
貧困や失業、非正規雇用者などが十分に医療にアクセスできていない問題や、
子どもや高齢者における健康の社会格差の広がりが懸念されているためだ。
日本学術会議は7月30日、その現状と課題を明らかにし、対策を議論するため、
「社会格差と健康に関する市民公開シンポジウム」を開催した。



3万人超の高齢者調査で判明 所得や教育水準による健康格差

「高齢者のwell-being(幸福・健康)における格差」
と題して講演した日本福祉大学教授の近藤克則氏は、
「日本の高齢者は世界一の長寿を達成している一方で、
well-being(幸福・健康)における格差も見られる」と述べ、
同氏が関与したAGES(Aichi Gerontological Evaluation Study=
愛知老年学的評価研究)プロジェクトから、実態やその原因などを報告した。

AGESプロジェクトでは3万2891人の高齢者(65歳以上)を調査。
それによると、不眠やうつ状態、閉じこもりなど多くの指標において、
高所得層に比べ低所得層で不健康者が多い社会格差が明らかになった。

例えば、65−69歳では、等価所得(世帯所得を世帯人数の平方根で除したもの)
が100万円未満と400万円以上の高齢者群を比較すると、
前者が後者よりもうつ状態の人が約7倍多かった。

また所得が低く、教育年数が短いほど不眠を訴える人が多いほか、閉じこもり
(家から外出しない状態のこと)の割合も、400万円以上は2.9%だが
200万円未満だと5.3%、教育年齢が13年以上だと2.8%である一方、
6年未満は11.6%と顕著な違いが出た。

もともと何らかの障害があり不健康だったために所得が低いという「逆の因果関係」
の影響を除くため、要介護認定を受けていない人だけを対象にした調査でも、
所得の高低により、新たに要介護認定を受ける率で2倍、また男性の死亡率では3倍に
上るという結果が明らかになった。

こうした健康格差の原因について、近藤氏は、低所得層ほど費用がかかることを理由に
受診を控えた高齢者が多く、教育年数が長く所得が高い人ほど
ストレス対処能力が高いことを示す調査結果を示した上で、
「健康に望ましくない生活習慣や健診未受診、ストレスに満ちたライフイベント
の多さ、受診抑制など多くの要因が絡み合っている」と指摘する。

さらに、出生時の体重によって糖尿病の罹患リスクが最大で5倍異なるという
64年間追跡した研究事例を紹介。

妊娠期・出生時の生物学的因子や社会経済環境に加え、小児期・青年期の教育や
生活習慣、社会経済環境なども成人期の健康に複雑に影響を及ぼすため、
「成人期の生活習慣や所得を健康格差の原因とするのは一部だけをとらえた見方だ」
と訴え、「健康格差の原因は多岐にわたるため、保健医療の枠を超え、教育や労働、
所得保障・再分配政策といった総合的な対策が必要」と主張した。



医療政策の変化が医療格差に与えた影響

日本福祉大学副学長で教授の二木立氏は、
「医療・健康の社会格差と医療政策の役割」とのテーマで講演。

二木氏はまず、「病気と貧乏の悪循環を断ち切ることは日本の医療政策の原点の1つ
だった」と述べ、戦前から戦後しばらくまでの動きを説明。

1961年に国民皆保険が達成されたが、「各医療保険制度は、職業階層別に
分断されたモザイクのため、医療給付でも保険料負担でも大きな格差が存在し、
健保・国保間、年齢階級間の受診率格差が生じた」。

が、その後、福祉元年とされる1973年を迎え、老人医療費無料化、
高額療養費制度の新設などが実現するなど医療給付は改善された。

しかし、こうした時代は長くは続かない。

1980年代以降、医療費抑制政策が導入され、「受診抑制と無保険者が発生した」
のだ。

老人医療費無料化の廃止や健保本人への自己負担導入が始まった。

また国保保険料滞納者には資格証明書が交付され、事実上の無保険者が発生した。

その後に訪れた小泉政権の医療政策の特徴を、二木氏は
(1)伝統的な医療費抑制・患者負担増加政策の強化
(2)医療分野への市場原理導入――の2点を挙げた。

市場原理導入の中心テーマは混合診療であり、
「全面解禁か、部分解禁の維持・運用改善か」が最大の論点となった。

ただし、小泉政権時代にも全面解禁論は否定され、現時点で混合診療は先進医療など
ごく限定的なケースにのみ認められているにとどまる。



医療格差の改善には自己負担の引き下げが必要

こうした経緯や状況を踏まえ、二木氏は今後の医療政策における理念的な対立軸を
次のように分析する。

1つは、公的医療費の総枠を拡大して医療の「平等消費」を促進し、
健康の社会的不平等を縮小する立場。

そしてもう1つの立場は、公的医療費抑制と混合診療解禁により、
医療の「階層消費」を促進して、健康の不平等の拡大を容認する立場だ。

二木氏は「私はもちろん前者の立場」と自らの立ち位置を明示し、
「現実の政治的、経済的な状況を考えると、後者が全面的に実現する可能性は
ほとんどない。
両者の中間的政策が導入される可能性が高いと予測する」と見方を示した。

その上で、医療格差を縮小し、公平かつ良質で効率的な医療を目指すために
次の5項目を提案した。
(1)公的医療費拡大の財源は、与野党問わず全政党が国民皆保険の維持
を主張している以上、主財源は社会保険料で、補助的に公費を用いるべき
(2)他に比べ低い組合健保の保険料引き上げ(特に事業者負担分)と、
保険者間の財政調整の拡大
(3)国民健康保険改革として、国庫負担の「復元」と、
保険料の「応能負担」化、資格証明書の廃止
(4)高額療養費制度の改善を図る。
入院医療だけでなく外来診療にも現物給付を拡大し、特定疾病の対象を拡大する
(5)医療保険の自己負担割合の引き下げを図り、
究極的には自己負担を無料化する。

以上の5項目について、二木氏は「実現可能性の濃淡は相当ある」とし、
可能性の高いのは(4)の高額療養費制度の改善だと指摘する。

「社会保障審議会医療保険部会でも検討が開始されており、しかもこれは
法改正を必要とせず、厚労省の通知で実施できる。
かなり有望だろう。
民主党は国民の支持を得るために実施する可能性が高いのではないか」と話す。

一方、(5)の自己負担引き下げは、「法改正が必要であり、
政治的にはなかなか難しい」としたが、「医療格差(受診格差)を改善するために
決定的に重要な改革は現行の原則3割という自己負担の引き下げだ」と強く実現を
訴えた。

二木氏によると、自己負担の引き下げに対しては、患者のモラルハザードを誘発し、
無駄な受診が拡大するとの反対論が根強いが、
「私の知る限り、それを実証する研究結果は国際的にもない。
逆に、自己負担の引き下げによって『不適切な入院』を選択的に抑制できないことは
実証されている」と述べ、反対論を退けた。

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