農村医科大学を佐久に  Japan Medicine 2010年8月6日

「地域医療のメッカ」から「メディコ・ポリス」へ

農村医学の発祥地として国際的にも知られ、「地域医療のメッカ」
と呼ばれるJA長野厚生連「佐久総合病院」ー。
長野県を「健康長寿日本一」へと導いた異能の医師・故若月俊一氏が
目指した「メディコ・ポリス構想」が着実に歩を進める中、
次はいよいよ農村医科大学設立だと医大誘致構想が再び熱を帯びつつある。


「第一線医だけを育てる」

佐久総合病院の元院長で、若月氏の遺志を継ぐ清水茂文・同病院老人保健施設
こうみ施設長は、「医科大学の誘致を研究する会を設置した段階で、
議論は充分にできていない」と話す一方で、
「2つの病院(基幹医療センター・地域医療センター)ができることが決まった。
次は大学。向こう10年のうちに実現したい」と目標を語る。

設立に向けた研究会は統括院長の指示で2008年春に設置された。
その後、委員である清水氏は、医大誘致構想の方向性を示す論文
「メディコ・ポリス構想と農村医科大学」を昨年5月から6月にかけて発表。
若月氏のビジョンに基づいた農村医科大の実現化を目指し、構想を練ってきた。
教職員確保や財政面での課題は大きいが、育成すべき医師像は固まっている。

「われわれが第一線医療と呼んでいる、まったく一般的な総合診療医。
つまり、国保診療所や村営診療所、地域の中小病院で仕事をしてくれる
医師だけを育てる大学となる。専門医は育てない」と清水氏は言い切る。
医師不足の日本で最も求められている医師は専門医ではなく、
第一線で保健・医療・福祉を地域で実践できる医師であることと一致する。

佐久総合病院は世界に向けて農村医学を発信してきた。
大学では日本の地域医療ばかりでなくアジア・アフリカなど途上国の保健・
衛生問題をも視野に入れ、地域で実践的行動が取れる医師を育てたい考えだ。


若月構想、タスキをつなぐ

政府が医師不足を認め、医師数拡大の方向を打ち出したことを受けて、
国際医療福祉大や北海道医療大、聖隷クリストファー大が
医学部新設の準備を進めている。
しかし、佐久総合病院の医科大学構想はこれらとは一線を画する形で進められてきた。

清水氏によれば、佐久総合病院の農村医科大設立構想は、
1965年頃には固まっていた。
若月氏の提案に基づき、64年末には全国厚生連の中に設立準備委員会が
設置されており、70年の全国農協大会でも佐久総合病院を候補地として大学を
設立することが決議されていた。
しかし、農村地域における医師不足を解消しようとする若月氏の構想は、
政府案に基づいて各都道府県が共同で設立した自治医大(72年開設)
に取って代わられ、頓挫した。

それでも若月氏は佐久地域の学園都市化構想を捨てなかった。
その思いは氏と交友関係が深い医学史研究家・医師の故川上武氏が88年に
提唱したメディコ・ポリス構想などの中に息づいてきた。

メディコ・ポリスはいわば医療・福祉都市というもので、川上氏らは佐久の
医療・保健・福祉を地域社会の経済構造を支える産業とする構想を描いた。
佐久地域は04年に人口増のピークを迎えた。
高齢化に加えて、過疎化によって崩れていく農村の現状を逆手に取って、
地域産業の再生を図ろうとする考えだ。

構想は、実現の方向にある。
老朽化した佐久市臼田にある本院を2つの病院に分割移転する計画もその1つで、
13年度には救急や高度先進医療の機能を同市中込に新設する基幹医療センターに
移し、本院は16年度に地域医療センターとして地域医療機能をより強化した
病院へと生まれ変わる。
病院が設立資金を出し、実習生を受け入れている看護大学(佐久大看護学部)
も08年4月にできた。
あとは大学ができるのみだ。

清水氏は「病院の分割・移転により収益が上がり、
数百人単位で地域雇用が拡大するだろう。
医科大ができれば、研究施設や製薬企業などを含めて千人単位の雇用が期待でき、
地域産業振興につながる」と期待する。

若月氏・川上氏と引き継がれてきたメディコ・ポリス構想は医科大誘致により
完成に向かいつつある。

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