無医村で医者を育てる 医師 色平哲郎さん(49)

私のマニフェスト 09政権選択 朝日新聞 09年8月19日


昨春まで10年間、無医村地域で診療所長をしていました。
千曲川の支流が谷を流れる人口1100人ほどの長野県南相木村です。
経済的には決して豊かな暮らしとは言えないお年寄りたちが
「お互いさま」「おかげさま」の気持ちで助け合っていました。

村で学んだことは山のようにありますが、一番感じたことは、
医師だけでは村の人の幸せを作ることはできないということです。

医師を目指したのは、東大を中退してアジア各国を放浪中でした。
人の役に立ちたいと思い立って医師になり、
地域医療の現場に飛び込もうと長野県佐久市の佐久総合病院に。
3年前に亡くなった若月俊一先生が、そんな医療を実践していたからです。
先生は「農民とともに」を合言葉に、難しい医療用語を使わず、医師や看護師
による芝居や人形劇を通じて農村に独自の予防医療を普及させた方です。

そもそも人の幸せとは何でしょうか。
私は、好きな人と好きな場所で暮らすことだと考えています。
けれども地方での医師不足や病院の経営難が続く中、
村ではお年寄りが最期まで好きな場所で暮らすのは難しくなっています。

では、どうするか。
ないものねだりをしても仕方がありません。
村に医者がいないなら、村で医者を育てればいいのです。
芽はあるんです。

私がいま勤務しているのは佐久総合病院の地域ケア科ですが、ここに
研修に来る医学生たちを村のお年寄りの家に連れて行くと目が輝いてきます。
人の暮らしを丸ごと受け止める医療に手応えを感じるからでしょう。
彼らを見ていると、そう遠くないうちに地域医療のエキスパートが
次々に出てくると思います。

彼らを後押しするには「治す医療」から「支える医療」へと
医療の仕組みを切り替えていくことが大事です。
結果として、地方に病院を核にした医療や介護関連の事業が立ち上がれば、
そこは若い人たちの雇用の場ともなるはずです。(聞き手 宮嶋加菜子)

《メモ》04年度からの新臨床研修制度で、それまでは大学の医局が
決めていた研修先を研修医自身が決められるようになった。
その影響で地方病院の医師不足が深刻に。
診療科を減らしたり病院休止に追い込まれる例も。

=========

inserted by FC2 system