「地域医療という言葉を使って、妙に納得するな」


日経メディカルブログ 09年1月1日 色平哲郎

http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/blog/irohira/200901/509012.html

私の恩師、清水茂文先生が2008年春、
JA長野厚生連佐久総合病院を定年退職された。

清水先生は1970年、佐久病院に研修医として入った。
当時は、熱い政治の季節だった。

いわゆる「地下水事件」で、若月俊一院長と対立し、
いったん佐久病院を辞めた。

清里聖路加病院に9年勤務した後、思うところあって佐久病院に再就職。
以来、南牧村診療所や小海診療所で地域医療の「第一線」に立ち、
その後、佐久病院の院長を務めた。

7年前に脳梗塞で倒れたが、健康を回復し、現役最後の日まで訪問診療に
走り回っておられた。

その清水先生の退職記念講演は、じつに味わい深い。
関心のある方は、佐久総合病院ニュースのホームページに
アクセスしていただければ、全文が読めるようになっている。

40年近くにわたり地域医療に携わった先生の言葉は、示唆に富んでいるが、
11人の研修医が「地下水」というグループを作って、

「きちんとした研修を受けたい、それゆえ更なる労働強化につながる
八千穂村全村健康管理活動への参加はボイコットする」

と反旗をひるがえし、佐久病院を去るくだりは思わず引き込まれる。

以下、清水先生の講演から引用する。


 1972年3月末、院長室に最後のご挨拶に伺った。
 私(清水)が挨拶の言葉を言い終わるか終わらないうちに、
「君も東京へ行くのか!」と怒鳴られた。

 清里聖路加病院へ行くといったつもりだったが、
(若月)先生は東京の聖路加国際病院へ行くと勘違いされたらしい。

 そのことを申し上げると、急に表情が和らいで
「まあ、そこに座れ」ということになった。

 院長室に入ったのは多分その時が初めて、私はとても緊張していた。
 いろいろな話を聞いたようでもあるが、よく覚えていない。

 ただ頭に残ったのは「農民のこと、農村のことをよく勉強しなさい」
 という内容だけだった。

 2年の研修期間中、正直いって農民や農村のことなど
 真面目に考えたことはなかった。

 私はこれを叱咤激励の言葉、餞別(せんべつ)の言葉と勝手に解釈した。
 振り返ってみれば、この言葉が私の医師としての一生を決めたといえる。


9年後、先生は
「…私は物事の表面だけ見て、ことの本質を認識できていなかった」
と再び、佐久病院に戻ってくる。

清水先生は、「地域医療という言葉を使って、妙に納得するな」と警鐘を鳴らす。


 近ごろ地域医療という言葉が日本中に氾濫(はんらん)している。
 医療関係者はいうまでもなく、政治家も官僚もマスメディアも無条件に
 多用している。

 そして皆がこの言葉を使って妙に納得しあっている。
 いかにも変だ。

 佐久病院と厚労省が同じ意味を込めて使うことはありえないが、
 うっかりするとその違いをあいまいにされてしまう。

 …結論だけいえば地域医療の本質は、
 国の制度・政策に対する抵抗と闘いの実践的論理だと考えている。


さらに医療者の中でも地域医療の定義について混乱している点があると指摘する。


 つまり地域医療(狭義)VS専門医療という対立的な構図についてである。
 前者は劣位、後者は優位という誤った意識さえ含んでいる。

 これはどちらかという問題ではなく、患者住民は両方とも(広義の地域医療)
 必要と考えているのであって、このニーズに応えることこそが住民本位の
 医療ということになるだろう。


新年にあたり、清水先生の「ファイティング・スピリット」を
私たちもしっかり受け継ぎたい。

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