混合診療解禁論の怪


「健康保険受給権確認請求事件」判決を利用する混合診療解禁論のマヤカシ
JA長野厚生連佐久総合病院内科医 色平哲郎 いろひらてつろう


年金や薬害C型肝炎、そして後期高齢者医療制度問題で揺れる厚生労働省。
そのどさくさに紛れて、規制改革会議(草刈隆郎議長・日本郵船会長)と
日経新聞の一部の記者が、またぞろ混合診療の全面解禁を唱え始めている。
必要最低限の医療に公的保険を適用し、それ以外の治療は自由診療として
医療提供者側の裁量に委ねる混合診療の全面解禁は、国民皆保険制度を根底から覆す
ものだ。

その危険な実態は、公的保険が限定され、民間保険会社が医療を牛耳る米国にみてと
れる。
会社の保険料負担で高額な民間保険に加入する経営者たちは、
手厚い医療を受けられるが、中間管理職以下は自費で高額な保険に入らねばならない。
米国民の7人に1人は無保険者。お金の切れ目が命の切れ目となっている。

ハーバード大学医学部助教授を経て文筆業に専念する
李啓充さん(ボストン在住)によれば、米国の保険会社は支出を抑えるために病名や
手術ごとに治療行為の「標準」=枷を病院や医師にはめる。心筋梗塞には四日の入院、
乳がん手術は二日といった具合だ。乳がん手術を受けた患者は、体液を排出する管を
からだに挿入したまま退院させられる。

1日2回の点滴は看護師が行うが、ガーゼ交換などは本人か、
家族がしなければならない。
李さんは混合診療が「患者の選択肢を広げるのはマヤカシだ」と看破する。

たとえば脳疾患の術後、脳血管攣縮を防ぐニモディピンという薬がある。
米国では認められているが、日本では未承認。
日本の患者と家族は一刻も早く承認を、と願っている。

そこで規制改革会議とその提灯メディアは、自由診療で未承認薬を使える混合診療を
解禁せよと主張する。李さんは言う。

「日本で46歳の男性患者がクモ膜下出血で緊急手術を受けた際、
この薬が使えなかった。

非常に悔しかった。しかし、米国の大手企業社員が入っている低価格設定の民間保険
でも、ニモディピンは1カプセル50ドル(1日12カプセル服用)。
三週間飲めば、約140万円かかる。

日本の製薬会社は、自由診療枠でこの薬1カプセルに10万円の値段さえつけかねない。
3週間で2500万円かかる。

混合診療が解禁されれば、この値段が自由診療枠で固定化されます。おかしいでしょ。

いい薬なら、保険診療の枠に入れて誰でも使えるようにするのが本来の姿。
金持ちだけがいい目をみるのは、医療保険制度の崩壊になる。
ちなみに46歳の緊急手術を受けた男性は、わたしの弟です」

重要なのは安全で有効な治療方法や薬の保険適用(治験・承認)の迅速化である。
混合診療の全面解禁は、百害あって一利なし。
にもかかわらず規制改革会議と後押しをするメディアは解禁論を唱える。

そのきっかけになったのは、07年11月7日の東京地裁
「健康保険受給権確認請求事件」判決だ。

神奈川県の腎臓ガン患者の男性が、保険適用対象の「インターフェロン治療」と
適用外の「活性化自己リンパ球移入療法」の併用にかかる医療費を全額自己負担
するのは違法として訴えた裁判で、
定塚裁判長は「インターフェロン療法について、健康保険に基づく療養の給付を
受けられる権利を有することを確認する」と判決を下した。

これを受けて規制改革会議は、混合診療の禁止には「法的根拠がない」として
全面解禁を主張。

日経新聞は07年11月9日の社説に「混合診療の解禁は、比較的低い負担で患者の選択
肢を
広げるものであり、高く評価できる」「混合診療には公的医療費の膨張を抑える効果
も期待できる」と書いた。
日経社説は医療制度の初歩的な常識さえ無視したもので看過できない。

判決文を読めば、健康保険法の「法解釈の問題」と混合診療解禁がもたらす
「差額徴収制度による弊害への対応や混合診療全体のあり方等の問題」は、
「次元のことなる問題であることは言うまでもない」と、
法解釈と制度運用をリンクさせることにクギを刺している。
当然ながら混合診療を解禁せよとは踏み込んでいない。

裁判の争点は以下の三つだった。

争点1:複数の医療行為が行われる場合、
    それらを不可分一体の医療行為とみて、
    健康保険法63条1項の「療養の給付」に該当するか
    否かを判断すべきとの国の解釈は妥当か。

    これに対し、裁判所は「診療報酬の算定方法」や「薬価基準」をみても
    個別の単位で規定されており、複数の診療行為や
    医薬品投与が行われたからといって不可分一体の「一連の医療サービス」
    とはいえないと判断。

    保険診療適用外の医療行為が併用されたからといって、
    すべての医療行為を「療養の給付」に該当しないと解釈する手がかりは
    何ら見出せない、と国側の主張を退けた。

    ここではっきりしたのは、国がこれまで法律に混合診療の禁止を明記せず、
    厚労省の告示(診療報酬の算定方法)や療担規則(薬価基準)などで乗り
    切ってきた曖昧性である。

争点2:原告が受けている「活性化自己リンパ球移入療法」は、
    以前、国が有効ならば保険診療に移行する時限的混合診療「特定療養費制度」
    (現・保険外併用療養費制度)に入っていた。

    しかし、05年に効果なし、と判断されて特定療養費制度から外された。
    その結果、この療法を自由診療で受ければ全額自己負担となった経緯がある。
    そこで特定療養費制度に該当しない混合診療については、「療養の給付」に
    当たらないと解釈するのは妥当かどうか。これが争点の二つ目だった。

    裁判所は、特定療養費制度は高度先進医療等に要した費用を支給する制度と
    解され、保険診療と自由診療の組み合わせを全体的、網羅的に対象として、
    そのなかから保険診療と自由診療の組み合わせに着目して定められたもので
    はない、と判断。

    厚労省が主張する「医療の平等性の保障」、
   「混合診療を解禁すれば患者負担が不当に増大」

   「医療の安全性、有効性の確保」などに照らしても、どの医療行為に保険を
    適用し、それに伴う弊害にどう対処するか(制度運用)と混合診療における
    保険診療部分の取り扱い(法解釈)は別と結論づけた。

   「活性化自己リンパ球移入療法」が
    有効かどうかについてはまったく触れていない。

    原告が藁にもすがる思いで、この療法を受けている気持ちはよくわかる。

    原告には効果があったのかもしれないが、現時点でがん患者に効くという
    証拠はない。
    そのような治療法を自由診療として高い治療費のまま固定化させようとする
    規制改革会議の主張は、医学的にも容認されるものではないだろう。


争点3:同じ保険料を払っているにもかかわらず、混合診療になると保険診療部分も
    保険給付されないのは、憲法14条(法の下の平等)に反するのではないかと
    の原告主張。

    裁判所は、判断を示さなかった。

    以上が、この判決の概要である。

判決全体を見渡しても、法解釈(その妥当性はともかく)と
制度運用は切り離されている。

ここを短絡して日経社説のように「混合診療には公的医療費の膨張を抑える効果も
期待できる」と唱えるのは誤った世論誘導につながる。

混合診療が解禁されれば、自由診療枠の医療費の膨張に引きずられて、
それを下支えする保険適用分の公的医療費も増える。
これは医療経済の初歩的知識だ。

さらには自由診療をカバーする米国型の民間保険が主流になれば、
企業は保険料支出の増加を余儀なくされ、
著しく競争力が損なわれることも確実である。

財界人よ、医療経済に目覚めよ、と呼びかけたい。

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