佐久総合病院地域医療部地域ケア科 色平哲郎先生  
第9回県民公開講座 平成20年9月23日
「都市での老いとムラでの老い〜(お金持ちより心持ち)信州の農村医療の現場から〜」

座長:秋田県薬剤師会会長松田泰行

座長:今日の講演に際しまして座長を務めさせていただきます、よろしくお願いいたし
ます。それでは今日の特別講演の先生、佐久総合病院、色平哲郎先生をご紹介したいと思
います。色平先生、どうぞ壇上の上にお願いいたします。
色平先生は、色平先生というご名字は秋田県ではちょっと馴染みの薄いお名字かと思
いますが、横浜のお生まれでございます。1960年のお生まれでございます。内科の先
生をされております。現在48歳の先生です。それでは色平先生をご紹介したいと思い
ます。
東京大学を中退されまして、その後、中退されたあと、世界を放浪されております。
今日のご講演の中にあるかと思いますが、その放浪された中で医師になろうということ
をめざしまして、京都大学医学部にご入学されております。90年に京都大学医学部を
卒業されましたあと、長野県厚生連佐久総合病院、京都大学附属病院などを経て、南佐
久郡南牧村僻地診療所の所長さんを務められております。98年より2008年まで南相木
村診療所長を務められ、現在は佐久総合病院地域医療部地域ケア科のお医者さんをされ
ております。
色平先生のご活躍は、皆さん、つい最近、NHKの土曜日のちょっと遅い時間だった
んですが、夜10時半の番組で、色平先生のことがご紹介されました。それから、朝日
新聞にも大きく色平先生がご紹介されました。
という、大変、日本全国からも注目される人気の高い先生で、今日は当直明けという
ことで、わざわざ本当に長野県から当直明けで、新幹線を乗り継いで、この秋田の地に
ご講演にいただいております。本当に普通の先生であれば、当直明けだからちょっと無
理ですというお返事が返ってくるんですが、色平先生は快くお引き受けいただきまして、
この秋田に元気な秋田になってほしい、元気な県民になってほしいという願いを込めて、
先生にお願いしました。
先生は大変、日常の医師としての活躍、それから地域医療としての活躍、それからい
ろんな本を書かれております。代表的には、先生のお姿から見ると分かるように、『大
往生の条件』、決して、先程先生とお話してますけども、風貌から見られるとお寺さん
かなというふうに見られるということでしたが、本当はきちんとしたお医者さんでござ
います。『大往生の条件』、それから『命に値段がつく日』、『所得格差医療』、こう
いういろんな本を書かれておりますが、今日は先生のご講演を楽しみに、秋田に元気を
つけていただければと思います。それでは色平先生、よろしくお願いします。


色平哲郎先生:どうも皆さんこんにちは。色平と申します。松田会長さん、どうもご
紹介ありがとうございました。私は長野から来ましたので、善光寺から来たというふう
に言ってるんですね。お坊さんのように見えるんですが、お坊さんみたいな仕事どころ
か、お坊さんの仕事してると。お看取りが多いというようなことなんですが、そういう
ふうにして前振りをやるつもりがですね、会長さんに取られてしまいまして困っており
ます。
今日はですね、秋田まで来る道中、ひげ面で大変申し訳ないですけども、昨日の当直
はそれほどではなかったんですけれども、医者としてのやりがいのある仕事ですね、同
時にこのように秋田に迎えていただきまして、ありがとうございます。これから皆さん
に25分間、少し古いNHKの映像ですが、信州での山の村での状況を映像でお伝えし
たいと思います。ぜひよろしくお願いします。
(VTR)
色平哲郎先生:どうも皆さんこんにちは。色平でございます。秋田に来れて大変嬉し
いことです。今、お城へ上って義堯公のところにちょっと行ってきましたけども。私は
友達が院内っていって、雄勝峠のすぐ北側におりますので、佐竹公がこちらにおいでに
なったころのことは伺っております。
私は長野から来たので、善光寺から来ました、というふうに言うわけですけども。お
坊さんみたいな頭をしているだけではなく、お坊さんのような仕事をしていることをお
分かりになりました? 随分年取った方が多いですね。こういうところではお弔いの仕
事が多いです。残念なことですけれども。ですから私はしばらくお城のほうに行ってた
のは、そのためですね。私、この映像見たくないのですね。見るといろいろ思い出す。
お弔いになるからです。
皆さんは初めてご覧になる方々ですけども、いろいろ思い出の深い出会いと別れがあっ
たからです。お坊さんとお医者さんが似てるということを申し上げませんといけないで
すね。お坊さんとお医者さんは似てるんですねぇ。それは人に嫌われてるってことです
ね。人の不幸で飯を食ってる。そういう共通点があるの皆さん分かりますね。たまに私、
高野山で講演するんですけどね、高野山に行って、高野山の人たち、仏教の話をするん
ですね。何で、私が仏教の話するのかよく分かりませんけどね。
今日皆さんにお話することっていうのは、都市での老いと村での老い、ということで
しょうか。こちら秋田は美人の産地でもありますしね。私ども憧れの地でもあるんです
けれども、なかなか人間というのはいつまでも美人でいられないですねぇ。年老いてい
くべき存在であります。
仏教の教えは何とおっしゃってるでしょうか。人間の死亡率は何%かというとですね、
人間の死亡率は、残念ながら100%ですね。非常に残念なことです。どんな美人でもい
ずれ白骨になるということをですね、仏教は教えております。そういうことを私高野山
でしゃべっておりますけども。1回しゃべると2度と呼ばれないんですけど。
村のご老人方の中にいろんなご苦労があると思います。こちら秋田の方もそうですが、
お隣の山形は「おしん」のふるさとでもありますね。世界中で名高い日本女性の鑑であ
る「おしん」は、村の中で育って苦労に苦労を重ねた、ということでございます。こち
らにおいでになっている方々も「おしん」と同じようなご苦労をくぐり抜けたことがあ
ると思うんですけども、ぜひそのような体験を自分だけのものにせずに、皆さんの孫さ
んたちの世代に伝えていただきたいと思います。
今日は仙台から医学生さん、今日も僕もてまくってましてね。女子学生と一緒に相乗
りで来ちゃったんですけども。こまち、こまちと一緒でね、女性と一緒に来ちゃったん
ですけどね。私あちこちに講演に行きますとですね、学生たちが訪ねてくるんですね。
またその多くが女性であるという、まぁ何と恵まれた境遇でしょう。こまちさんですねぇ。
しかしですね、人間の死亡率が100%であるということは、我々医者にとってももち
ろんですが、仏教の教えそのものであり、残念なことですけれども、苦労の中をくぐっ
た人間でなければなかなか分からないような状態です。若い、頭のいい、学生さんたち。
一方で頭が禿げた私。なかなかですね、苦労が身についてないんですね。
ぜひ皆様方のご苦労の体験を、できるだけ孫の世代の方々に、戦争をくぐってきた体
験や、信州では満洲からの引き揚げ体験等がございますけれども、そのような、時には
お酒でも飲まないと語りにくいような辛かった体験、恥ずかしかった体験をですね、21
世紀の若者に伝えておいていただくということが愛国者としての道だと思いますが、い
かがでしょうか。
都市での老い、村での老い、いずれにしても昔日本が貧しかった頃に、さまざまなぶ
つかりの体験があったと思うんですけども、そのようなことを医学生さんや看護学生さ
んや薬学生さんたちにお伝えになることは、皆さんの老後にとって意義のあることです。
ご苦労の話を伺った若者には皆さんを尊敬する気持ちが湧いてきます。そしてその尊敬
の気持ちでご老人方と接した時に、単なる患者さんとの付き合いではないですね。どち
らが「先生」なのかということを考え直さないといけないと思うんですね。
皆さん、教科書に有名な詩が載っているのをご存知ですか。これ、皆さんよく知って
いると思いますよ。
雨にも当てず、風にも当てず、雪にも夏の暑さにも当てず、ぶよぶよの体にたくさん
着込み、意欲もなく、体力もなく、いつもぶつぶつ不満を言っている。毎日塾に追われ、
テレビに吸い付いて遊ばず、朝からあくびをし、集会があれば貧血を起こし、あらゆる
ことを自分のためだけ考えて省みず、作業はぐずぐず、注意散漫ですぐに飽き、そして
すぐ忘れ、立派な家の自分の部屋に閉じこもっていて、東に病人あれば医者が悪いと言
い、西に疲れた母あれば養老院に行けと言い、南に死にそうな人あれば寿命だと言い、
北に喧嘩や訴訟があれば眺めて関わらず。日照りの時は冷房をつけ、みんなに勉強、勉
強と言われ、叱られもせず、怖いものも知らず。
これ、有名ですよね。教科書に載っている「雨にも当てず」という詩ですね。これ、
私のことなんですね。私、当年とって48でございますが、雨にも当てずです。ね。そ
ういうふうにですね、豊かになってしまった日本で、自分がどういう人間であるのかと
いうことを考えないといけないですね。そして山の中に入って10年以上診療させてい
ただいた時に、本当に雨ニモマケズのご老人と出会ったわけです。その時に私は、思わ
ず尊敬の気持ちが湧いてきました。その出会いの感謝の気持ちをですね、学生さんたち
にお裾分けするということで、今日も約1名の女子学生が悪の道に誘い込まれているん
ですね。かわいそうなことになります。あとでお父さんお母さんに恨まれるんですね。
こういうことやるとね。ま、これは冗談ですけれども。
自分がどういう人間であるのかっていうのは、皆さんの孫さんたちを含め、多くの若
い日本人が雨にも当てずですよ。その、自分が雨にも当てずになってしまっているとい
うことが最初に分かれば、少しぐらい人のために何かできれば、すごく嬉しいじゃない
ですか。雨ニモマケズだと思っているから、なかなかね、ちょっとやってももっとやら
なきゃとかって思っちゃうんですけど。僕は自分のことをほとんど諦めている人間です
ねぇ。
女房が私に何と言ってるか言いましょう。「家族を長持ちさせるコツ」は何でしょう。
皆さん知っていますか。女房がいつも言っていることですね。当てにせず、期待せず、
諦める。です。私は当てにされてない人なんですね。期待されてない人です。諦められ
ているお父さんですね。そうすると、私がちょっと何か言うと家族みんなが拍手するの
分かります?何年に1回しか謝ったりしないからね。もう1年たっても、あの時お父さ
ん謝ったからすごい、って娘が思い出して言うんですよね。女房にありがとうって言わ
ないですよね。なんかの時に言ったら、「しまった」とかって言うわけですよね。みん
な拍手するんですよ、本当なんですよ、これ。
つまりですね、雨にも当てずという詩にありましたように、自分に対して期待しては
いけないということです。他人に対して期待してもいけないということですね。自分は
雨ニモマケズのご老人たちのご苦労をくぐっていないのだから、だからそんなに人のた
め、お互い様やお陰様というようなことを受け継げていない。その諦めの気持ちで自分
を見つめ直した時に、少しでも何かができれば、自分に丸をつけてあげようという、そ
ういうおこがましい気持ちで私いるの分かります? ここで笑っていただかないといけ
ないんですけどね。
こちら秋田県は、私ども長野県の兄弟の県でありまして、同じように農協、JAの病
院が多いですね。大きな病院も随分あります。私ども佐久総合病院の人間として、同じ
厚生連病院の働く仲間たちに応援のエールを送らないといけないですね。これ忘れて帰
るとあとでちょっと怒られますので。本当に多いんですよ。秋田県と長野県は、農業県
でしょ。JAでしょ。そして同じように、働く仲間として、農協に働く医者が多いんで
すね。大きな病院もあります。
このようなところで皆さん若月先生という方、ご存知ですよね。今日皆さんに配っちゃ
っのは若月先生のご命日の時に、私が日経新聞に書いた関係のもので、あとでちょっと
読んでいただければと思いますけど。若月先生の亡くなった8月22日に、日本農業に
ついて思う、ということですね。今年の8月22日で丸2年がたったということですね。
戦争が終わる頃に、若月先生が佐久病院に赴任した頃、まぁ小さな診療所みたいなと
ころでしたね。「農民とともに」ということを合言葉に、予防と健康管理の大切さを訴
えながら、だんだん病院が大きくなっていった。
若月先生の言葉。良い病院というのは、必ずしもベッド数が多いとか、高い機能を備
えているということとは関係がない。地域住民、つまり皆さん、多くは農民だったんで
すけども、地域住民のニーズにどのように応えているかで決まるというふうに繰り返し
ておいでになりました。
このような若月先生を失った我々は、雨にも当てずの人間たちですから、困ってるん
ですよ、分かります?皆さん。偉大な指導者を失ったあとね、本当に困ってるんですね。
こういう愚痴は信州では言えないんですよ。農民に大都市並みの医療をという、若月先
生の思いは佐久病院の職員たちに受け継がれてると、私、書いたんですけど、雨ニモマ
ケズの若月先生の世代や、「おしん」の世代の方々に比べて、我々は雨にも当てず、で
すからね。さっき申し上げましたね。
毎日塾に追われ、テレビに吸いついて遊ばず、朝からあくびをし、集会があれば貧血
を起こし、あらゆることを自分のためだけ考えて省みない私たちが、引き継げるわけが
ないでしょ。だからちょっとでも引き継げたらOK、分かります?これが大事なんです
ね。皆さん、ぜひそういうの大事にしてください。少しでも自分ができたら、もともと
そんなにできるはずではなかった。というふうにお考えいただきたいと思います。私は
そうやって自分を慰めてるんですねぇ。
農業県でありますので、WTO交渉がまとまったら、大変なことになりました。北海
道と並んで秋田も打撃が大きかったと思いますけども、本当に大変なことになったと思
いますね。WTO交渉について、後ろのほうに書いてあります。WTOなんて皆さん知
っています? WHOと違うんですよね。
何の話をしていたのかなぁ。あ、思い出した。若月先生の話ですね。若月先生が信州
で始めたいろんな医療運動というのは、もちろん秋田県でも戦前の産業組合時代からず
うっと流れがありまして、医療運動が広がってきました。そして、都市というよりも農
村部に大きな病院があるという特徴がありますね。隣の岩手県では多くの病院が県立に
移管されましたので、かなり対比になっているというふうに伺っています。
我々はですね、目の前の患者さんたちに対して頭が上がらないんですよ、知ってます?
例えばある婆ちゃんが、私に電話をしてきます。金曜日の朝、「先生、オラッチを佐久
病院に連れに行ってくれや。」と言ったらどうなるかと言いますと、私は婆ちゃんの家
まで行きまして、私の車で23キロ下の佐久病院まで行って戻ってくるということです
ね。婆ちゃんは自分が重症だと思ってるので、佐久病院のちゃんとした先生にかかりた
いということですね。したがって私がタクシー役になりますよね。分かります、これ。
で、ちょっと悔しいけれどしょうがないよね。だって婆ちゃんが佐久病院に連れて行っ
てくれやと言ったら、それは私は期待されているのはタクシー役だからね。これ、農協
職員だから当たり前ですよ、これね。本当に。僕、農協職員だから。で、もし、婆ちゃ
んが金曜日の朝、「先生、オラッチを診療所に連れに来てくれや」と言ったらどうなる
かっていうと、診療所で診せてもよろしい、というお話でしょ。光栄でございますね、
当然迎えに行きまして、診療所で診て、そして婆ちゃんをまた家に戻さないといけない
っていうの分かります? だって佐久病院とおっしゃってないんだから、入院させること
はできないですよね。とても恐れ多くて、私、そういうといけないでしょ? 不敬罪で
すよね、これね。
いや、本当なんですよ。つまり、婆ちゃんは、この症状だったら村医者で構わないか
ら、お前に診せてあげるとおっしゃったのですから、私が当然お返ししなきゃいけない
わけですよね。で、私がですね、血の検査ぐらいするんですよ。僕も一応医者だから。
ヤブ医者だけど。採血して血液検体を降ろしてね、ファクス受け取って、あぁ、このお
婆ちゃんどうかなぁ、大丈夫かなと思っても、婆ちゃまは、佐久病院とおっしゃってな
いんだから入院どころか、ご自宅に戻すしかないってさっき申し上げてるでしょ。そこ
で私、不安になっちゃうんですよね、翌日土曜日。村で誤診すると何年言われるか、皆
さん知ってます? 100年言われるのね。だって100年前の医者の名前出てくるんだも
のね、村ではね。そうなりたくないから、色平医者が何年に何かあったとかって言われ
たくないって、私どうします? 電話かけちゃうね。でも、婆ちゃん耳遠くて電話出な
いわけ。どうしたらいいかってことですね。農協職員だからね。分かります? オドオ
ドビクビクもんなの、自分のボスだものね、婆ちゃまはね。そうするとどうするか。車
に乗ってそろそろと行くわけですよね。
皆さんが秋田大学の病院でかかって、家に帰って翌日秋田大の先生が訪ねてきたらど
うですか? のけぞっちゃうでしょ。私は死ぬ病気なのかと思うじゃない。だから僕は
どうやって行くかって分かりますよね。当然、頬かむりしてっちゃいけないですけど、
白衣は脱いで、たらたらよったりで、「あぁ婆ちゃん、もみじがきれいだなぁ」とかっ
て言うわけですよね。「あぁ、先生来たか、暇やなぁ、うちでお茶でも」って、それが
ビデオの最後のあのシーンですよね。分かりますか。あれはスパイ行為をやっていたん
ですよね。だから、婆ちゃん覗きに行ったわけ。倒れてないか、一人暮らしだし。あれ
行かないと大変なことになるんですよね。「色平医者、見逃し」とかいうことになると、
村に置いてもらえなくなっちゃうんですよ。知ってます?これ。いや、これが信州の常
識なんですね。こういう環境に育ちますと、やっぱりね、患者さん大事ですよね。
さっきの映像、いろいろ問題があるんですが、皆さんお分かりになりました? 例え
ば30分私が話を聞いているって、あれどういう意味ですか? あれは高齢化が進んで
いて、多くの患者を看取っちゃったので、患者があんまり来ないという意味でしょ。そ
りゃ暇だからたらたらやって、爺ちゃん、あのヤソハチ爺ちゃん、もう亡くなっちゃい
ましたけど、ヤソハチ爺ちゃんと30分しゃべっていたということでしょ。それを、物
は言い様だと思いません? ねぇ。なんか名医みたいで。30分、あれは暇だからだよ
ね。それは物は言い様なんですね。皆さん、ぜひテレビにごまかされないようにしまし
ょう。
もう1つ言わないといけないですね。さっきのテレビごまかしがあるのですが気づき
ましたか、皆さん。私が見たくない理由の2つあるうちの1つは、それです。さっきで
1つ言っちゃいましたね。お弔いになるから。お坊さんじゃないのにお坊さんの仕事し
てますよって話しましたね。もう1つ。医学生がいましたよね。あの学生は不器用だっ
たけど、だって、雨にも当てずだから、ね、自分の勉強だけして入った人なんだから、
すぐに婆ちゃんの話聞くのは無理でしょ。でも聞こうとしていたじゃないですか、ちゃ
んと。メモ取りながらかもしれない。あの婆ちゃん生きているんですよまだ、カゲコさ
んは生きておいでになる。あの婆ちゃん以外は、あちゃぁ、こんなこと言っちゃいけな
いんだけど、個人情報だからね。とにかく、あの婆ちゃん以外はほとんどもう亡くなっ
てしまっているにもかかわらず、あの婆ちゃんはちゃんと答えてたし、学生はちゃんと
聞いてましたよねぇ。でもあの学生は、このテレビを見て、どう思います。いやじゃな
い? いやだと思うよね、僕、これ放映されるの見た時のけぞっちゃったよね。わぁ、
自分をネタにこんなテレビを作ってしまったの、NHKまずいと思いましたよ、ほんと。
だってこの中に医学生さんとか看護学生さん、ほかにもいるかもしれません。秋田大の
関係者。あれ見てね、私の村に来たいと思ったらアホよ。だって私が行くところってさ、
新聞社とかテレビ局いつもいるんだよね。ほんと。僕、別に来てほしくないんだけど。
そういうところで何かやったところ撮られたら怖いですよ。あの学生は真面目に聞いて
たんですよ。伺ってたんですよ。修行中なんです。それをだよ、「ダメ学生である」と
いうふうに一方的なナレーションをなんでNHKがかけたのかなって、皆さん思わなか
った? 僕、あれ見た時、困っちゃった。あれ、なんでこんなことしたのかしら。いや、
これは困りましたよ。皆さん、どうです? テレビって怖いと思いません? あのテレ
ビね、何年か前ですけど、たぶん20数時間撮ったと思うんです。何回も来たから。季
節も変えて。何回も何回も撮りに来ました。ロケーションとかって。まぁ本当にうるさ
いのよ。僕、診療やってるとね。なんかいろいろ動いてくださいよ、本当に気が散るん
だけど。何回も来るわけ。お邪魔です、お邪魔しますって。お邪魔なんだよ、とかって
言いたいけどさ。しょうがないわけよね、来ちゃうからね。20時間以上撮ったんだと
思う。で、あれ、25分にまとめてたんですけど。今回私はよさそうに描いてくれたの
は、私なりに感謝しますけど、あの学生はひどく描かれたね。でも、私をアホそうに描
くのも簡単だと思いません? だって20時間撮ったんだから私がアホそうな絵柄だけ
つなげば、アホなドクターになるでしょ。私がひどいドクターにも描けるんですよ。
いいですか。つまりテレビというのは、ね、編集の仕方を変えればどうとでも作れる
わけ。今回、私はいい者でしたけど、いい者にする以上、悪者も作ろうということにな
ったのかもしれないよね。僕、ディレクターとその後会ってないから何とも分からないけ
ど、なんでそんなことしたのか。
ただね、こういう話を新聞社の若手なんかとしゃべっていると、意見が出るんですけ
どね、こういう意見がありました。あの、最後に傘をさしかけているシーンがあざとら
しいというわけ。わざとらしい。僕が思うに、あのハルマさん、もちろん亡くなっちゃ
いましたよ、今生きていれば100歳超えてるからね、亡くなっちゃったあのハルマさん
は、一人暮らしの婆ちゃんで、膝が悪いわけ。歩かせないと歩かなくなっちゃうからさ、
僕がしっしとかってやっていたでしょ。ね。そしたら学生が傘をさして、確かにいって
たけど、あんなナレーションで言った美談のグッドストーリーでした? 違うでしょ。
あれ、ナレーションって強すぎると思いますよ、僕。ほとんど嘘よ、だから作ってるよ。
僕の考えはね、新聞社の若手の人に言われているように、だいたいかたまったのはこ
ういうことなんだよ。傘をさしかけているシーンを見るでしょ、ディレクターがね。そ
したら、その前に、あの学生がダメだったことにしちゃうシーンを入れるわけよ。そう
すると皆さんは2泊3日の合宿で学生がグッドになりましたと思うでしょ。そういうふ
うに印象付けることができるじゃない。良くなったっていう学生を良くしたのは誰?こ
の私、二枚目の僕?とかって、違うわけよね。村の力だとかって、グッドストーリーだ
と思わない?これ。 そうすると村がいいことになっちゃうわけよ。そうじゃないかな
ぁ
と僕は今疑ってるわけ。分からないわけ。作った人じゃないから。僕ネタに使われただ
けね。ダシになっただけだからね。
つまりこういうことを皆さんよく考えてほしいと思うんですね。確かにお医者さんの
数が足りなくて、苦しんでいることは本当ですよ。でもお医者さんにおべっか使ったか
ら来てくれるわけじゃないでしょ。医者としての白衣を着ちゃう前に、若い時からもっ
ともっと仕込まないといけないと、僕はずっと思ってやってきたんだけども、なかなか
うまくいきませんけど。それ以上に仕込まないといけないのはテレビだよね。あれはま
ずいよ、あれ。教育的になってないよね。だって心に傷を与えると思いません、あれ見
た時に。ねぇ。一生立ち上がれないかもしれない。だって僕が学生の時にさ、先輩のと
ころに行って、村であんなふうに撮られて、ダメ学生です、とかって言われて全国放映
されたらどうする? 終わっちゃうよね。まだ医者になってないのにね。どうする。そ
ういうことをテレビは平然とやるというのはどういうことか。いやぁ、ぜひ皆さん考え
ていただきたいと思います。
それではですね、皆さん私の話を1時間半とか聞いて、人間変わります? 変わらな
いよ、そんなの。変わったら僕はオウムだよ。麻原だよ。変わらないの、人間てね。変
わらないのにもかかわらず、変わったかのように演出することができるの分かるでしょ。
つまりシーンと静まり返ったシーンかなんか撮っておいてね、僕が喋ってる時、笑いを
とるわけよ。なんか私がまともなこと喋ったみたいにテレビニュースに流せると思わな
い?
逆だったらひどいよね。みんなが拍手しているのに、僕が喋りだしたらみんな帰っちゃ
うとかね。ぐあーと帰っちゃったら大変なことになるでしょう? いやぁ、私ね時々あ
るんですけど、今日はあんまりアホな話するとあと薬剤師会に怒られるけど。時々「金
持ちより心持ち」だとか、ああいう題でしゃべるんですよね。偽善者だと思わない?あ
れ。僕ね、金持ちより心持ちって大事な言葉だと思ってるんですけどね。でも、これ、
僕のことじゃないのよ。当たり前だけど。だって農協病院で働いていて金持ちになれる
わけないよね。だって一番給料安いんだから。日本でね。
次。僕みたいにこんな変な性格の人って銀行に信用されないからお金貸してもらえな
いわけ。だから金持ちになれないわけ。なりたいのになれないから、しょうがなくてや
っかみの気持ち、うらやみの気持ちで、何て言ったかって。金持ちより心持ちになりたい
というふうに、「いつか人間になりたい」とか言ってみたわけ。心持ちになりたい。な
れないんだよね。
村で暮らして分かったことは、村の心豊かな人たちに囲まれてると、いかに自分が心
貧しいか、雨にも当てずか分かっちゃったわけでしょ。両方なれなかったわけよ。とい
うふうに僕が言っちゃったら、どうっとみなさん帰っちゃうわけみんな。つまりね、言
いたいことはこうです。金持ちより心持ちという、この題に憧れて、期待をして来ちゃっ
た人は、普通の話をすると、期待度が高すぎるので、絶望して帰っちゃうわけ。ね、こ
ういう題がなくて、誰だか分かんないけどって来たら、ちょっと笑えたから「良かった
わ」となるわけよ。つまり人間にとって、事前期待度の問題が大変に大きいわけね。
もし皆さんの中で1人、誰でもいいけど、人間の死亡率がゼロだと信じ込んでいる人
がいたらどうなります? そうすると、あらゆる医療機関は訴訟で訴えられます。だっ
て治せないもの。治しきれないところがある。もし日本人が人間の死亡率がゼロだとか、
赤ちゃんが生まれる時には、死んだらおかしいってね、必ずちょっとした危険がどうし
てもあるんだけど、お母さんは死なないもんだ、とか死亡率ゼロだと信じていたらどう
なります? 全部医療機関訴えられますよ。必ず。だってゼロじゃないもん。ゼロにし
たいけど。ね。だから事前期待度が高すぎると不幸になるの。
今日皆さんが覚えていってほしいのはね、都市での老いと村での老いがどこが違うか
というと、村はあんまり期待度がないわけ。だって色平医者だもの、そんな自分が重症
だったらタクシー役で使ったほうがいいもんね。都市での老いはね、皆さんがそうだと
言ってるわけじゃないけど、特に都会、大都会では、もうみんな死なないつもりでいる
わけよ。夜中に行ったって何だって、全部専門医が出てこないと、CT撮らないとね、
納得しないとかってなんかすぐに言っちゃうわけ。撮る必要ないと思うけど、でも、あ
とで訴えられると困るから撮っちゃったりするわけでしょ。
つまり、都市での老いと村での老いというのはね、村のご老人方は、自分が苦労して
育ったから相手のことも分かるわけよ。夜中にお医者さん起こしちゃったわ、とか、ね。
そうすると、そこまで強く言わないわけ。僕らもその気持ちにほだされて、少しはやっ
てあげようとするわけよ。土曜日見に行かないと100年言われちゃうから、ってのは村
人に言わないでね。言っちゃうとばれちゃうからね、みんな誤解しているだけなんだよ。
私がよさそうな医者の振りしているだけなのに。そうじゃないと危ないからね、僕クビ
になっちゃうから。
金持ちより心持ちっていうふうに期待してきた人は、帰っちゃうわけね。どこかに赤
ひげっていると思います? いないの。いるのはサル禿だけなのよ。赤ひげはいないの。
赤ひげがいるというふうに、もしテレビで言ってたらね、眉唾。いい? だってこれよ
くないよ。たとえば皆さんのお父さんが肺がんで手術受けてうまくいかなくて不幸にし
て・・・とするじゃない。で、翌日テレビ見てたら「肺がんの名医」とかって出てきて
赤ひげ出てきたら、どうする? ああ、なんであの先生のところに行かなかったのかし
らって思うでしょ。だから違うんですよね。行ったって変わらないんです、そんなに。
全然変わらないわけじゃないけど、そんなには変わらないんですよ。
つまり事前期待度が高いと、人間不幸になるの分かります? お父さんが本当に末期
で、赤ひげの、サル禿のテレビ見てご覧なさい。あっちへ行きたいとかって気持ち動い
ちゃったら、これはメディア、罪ですよ、テレビ。目の前の先生が信用できなくなっち
ゃうだけだからね。確かに農協病院の僕みたいな医者、レベル低いから、給料も低いし、
あんまり誰も期待していないけどさ。でも、頑張ってやろうと思ってるんだけど、どこ
かに「サル禿」がいるって言ったら、そっちへ行っちゃったら困るわけですよ。
つまりね、人間というのは期待度で決まってるの。将来うまくいくはずだと思ってい
ると、大変なことになる。いや、うまくいくはずがない。人間の死亡率は100%だと毎
日皆さん思ってご覧なさい。もう毎日ハッピー。
お医者さんのかかり方のコツも伝授しようかな今日。あんまり役に立たないけどね。
「逆らわず、ただ頷いて、従わず」これが大事。いい。これ、とっても大事よ。逆らっ
ちゃダメよ。逆らわず、ただ頷いて従わないの。話半分。いい? お医者さんの言って
ること期待しちゃダメなんだから。あのね、期待している振りだけするわけね。だって、
そりゃ、若月先生みたいな名医じゃないんだから。私たち後継者はね。だって都会で置
いてもらえなかったような人なのよ。大学にも置いてもらえなくて、行き場がないから
島流しみたいなもんだ。山流しされて10年以上っていったら、ほとんどまともな医者
だっていえないでしょ。そういう人に期待しちゃダメ。
逆らわず、ただ頷いて、頷いてね、従っちゃダメよ。従うとろくなことがない。さっ
き会長もおっしゃったように、ほらね、痛み止めが二重になっちゃったりするからね。
できるだけ捨てないといけないわけ。薬剤師さんもたててね、あぁありがとうございま
すって貰って、半分捨ててちょうど、だからね。そうならないようにするためにね、会
長さんが言ってたように、ごめんなさいね。いや正しいんですよ、会長さんの言ってる
のは。でも、ここ秋田県はOKだけど、秋田県じゃないところね、は、半分捨ててね。
だってさ、金儲け主義なんだよね、はっきり言って。薬剤師でもやっぱりさすが秋田は
違うけどね。長野も違うけどね。それ以外のところ、金儲け主義なんだよ。出来高払い
で。
ところで、皆さんのお手元に朝日の記事があるんですけど、ね、そこに長野の医療費
は安いって書いてあるんですよ。長野の医療費が安いってことは、医者が安いってこと
よね。安っぽいってこと。いや、もっと言うと、医者がアホってこと。だって長野の医
者、勉強してないから、たぶんドイツ語も書けないし、新しい薬知らないんだよ。カル
テに検査の項目も書けないから、いろいろやらないんだよ、たぶんね。安いわけ。出来
高払いなんだよ、皆さん。出来高払いでカルテに1行書けば金になるのに、金にしなきゃ
やっぱりアホだよね。長野の医者アホなんだよたぶん、ほかの県より。勉強してなくて。
で、安上がりの医者がいるところっていうのは、寿命が短くなるはずでしょ。ところ
がね、世界で一番長い日本の中で、長野が一番長くて、さらに佐久が一番長いんだって。
ということはどういうことかと言うと、アホな医者がたくさんいて、あんまり医療やら
ないところが、皆さんが長生きできるってことなのよね。医師会でこれをしゃべったら
ね、もう二度と呼ばれないわけ。本当だからね。だって医者がいないほうがね、医療費
が安くて、とか、アホな医者が多いと、本当だからさ、長野モデルってそういう意味な
んだよね。いやこれ、日経新聞にインタビューに載っちゃったことあるんだけどさ、も
う二度と医師会に呼ばれなくなっちゃった僕、本当のことだから。
というふうに、アホな話をしまくったので、そろそろ時間かなと思って見て。あ、ま
だ大丈夫だ。そうですね、ちょっと息が切れてきたね。
(ラジオ放送) 
森本「おはようございます、森本毅郎です」
遠藤「遠藤泰子です」
森本「今朝のゲスト、杉並区教育委員会、藤原和博さんです。おはようございます」
藤原「おはようございます」
森本「藤原さん、長野に行ったんだそうですね」
藤原「はい。ちょっといい話なんですけどね。長野県の南相木村というところなんです
が」
森本「南相木村」
藤原「はい。まず場所をちょっとイメージしていただくためにちょっと説明しますけど。
山間部にある人口1300人の小さい村なんですね。レタス御殿なんかが建ってまし
てね」
森本「レタスなんですか、御殿なんですか」
藤原「はい。千昌夫さんのですね、『北国の春』ですか、しらかば 、というやつです
ね。…青空」
森本「きましたね、いきなり」
藤原「南風、というんですか。あれの歌詞は実はこのあたりのイメージをもとに作られ
てるそうです」
森本「あ、そうなんですか」
藤原「作詞家はあのあたりの方のようですね」
森本「ほぉぉ、もっと北のほうかと思ったら」
遠藤「そう、千さんのふるさとのほうかと思ってましたが、違うんですね」
森本「そうじゃなくて」
藤原「そうなんですね、『北国の春』というタイトルなんですけども、あのあたりの、
千曲川のあたりの」
森本「イメージなんですか」
藤原「東京から上越新幹線で軽井沢の次、佐久平というところありまして、そこから小
海線でトコトコ行くんです」
森本「小海線、いいですね、いい線なんだ、これ」
藤原「2両編成の非常に可愛い、清里などを通る」
森本「野辺山とか清里とか通るとこですけど」
藤原「その小海の駅から、さらに車で2、30分入ったところですので、東京からですと3
時間ぐらいですかね」
森本「そうですか、南相木村」
藤原「とにかく、小海の駅前はパチンコ屋もなければ映画館もない。言ってしまえば、
本当にド田舎に近いところでございますが。ところがその、そこで私が招かれまして
公民館でのパーティーにちょっと行ったんですね」
森本「公民館でのパーティー」
藤原「もちろん小さい公民館ですけれども。そこにはですね、世界各国から留学生がで
すね、来てまして」
森本「あらまぁ」
藤原「外国人でいっぱいで、村の子供たちがその外国人の足元にまとわりついてですね、
すごいコミュニケーションしていると」
森本「ちょっとびっくりする光景ですね」
藤原「留学生たちにとっても、もう東京と京都だけが日本じゃないというですね。特に
アジアの医学生なんか来ているんですけども、やっぱりその、日本の農村に触れる機
会というのはなかなかないですから、毎年村の独自の企画でやっているようなんで
すよ」
森本「何人ぐらい来ているんですか」
藤原「外国人の方だけで15,6人来てました」
森本「あぁそうですか」
藤原「さらにですね、私の友人の長男が、その翌日に修学旅行から帰ってくるっていう
んで、どこに行くんだっていったら、なんとオーストラリア。公立の小学校です」
森本・遠藤「へぇぇ」
森本「しかも学校には、村が独自に雇ったオーストラリア人の英語教師もいるというで
すね」
森本「なかなかですねぇ」
藤原「なかなか来てるんですね。東京で、私杉並区の教育委員会の仕事してますけども、
わりと先進ぽいイメージだったんですけど、とんでもない話でですね。山の中のこ
ういう小さい村のほうがはるかにですね、先を行ってる」
森本「本当ですねぇ。驚きますねぇ」
藤原「本当に、そういう意味で人間形成に真面目に取り組んでいるという。しかも、今
話
題の少人数学級が実現してますからね」
森本「はい、はい」
藤原「息子の、小学校6年生の息子の同級生は8人だと言ってましたから」
森本「そうですか」
藤原「教育も非常に手厚いというですね。この弟の、5歳の次男にですね、『おっちゃ
ん、どこの村から来たの』というふうに私言われました」
森本「そうですか。じゃあもう、そういうその留学生との交流が目的でいらしたの」
藤原「いえ、そうじゃなくてですね。この南相木村で診療所を開業している友人でです
ね、色平哲郎さんていうですね、医師に会いに行ったんですけども」
森本「色平哲郎さん」
藤原「現在42歳なんですけども、この人ちょっと変わりもんで、東大を1年で中退しま
してですね。パン屋で働きながらですね、この大学はちょっと違うということで」
森本「東大に行きまして」
藤原「人生を見つめ直そうということでアジアをずうっと放浪中にですね、無医村で医
療活動をしている医師に出会うんですね。これだ、ということで日本に帰りましてか
ら、京大の医学部に入り直してですね、それで、地域に根ざした高齢者医療で知ら
れてます佐久総合病院という」
森本「あぁ、有名ですからね」
藤原「若月先生、有名ですね。ここで修行して、4年前にこの無医村だった南相木村で
開業したんですね」
森本「色平さんは東大に入って、京都大の医学部にも入れるんですから、頭いいんです
ね」
藤原「もともと長野県というのは高齢者医療の先進地域でですね、全国でもトップクラ
スの長寿県であると同時に、老人1人当たりの医療費が全国で最も少ないということ
で非常に有名です」
森本「少ない」
藤原「そうです。データによりますと全国平均が年間83万円あまりなのに対して、長野
県は平均64万円という、20万円も少ないんですね」
森本「高齢者の方たちみんなお元気だということですよね」
藤原「寝たきりになるお年寄りの割合が非常に低いようです。今回その南相木村を訪れ
て、その秘密が分かったような次第なんです」
森本「そうなんですか」
藤原「結局ですね、手に職を持って、現役で働いているお年寄りが多いんですね」
森本「あっ、そうですか。南相木村でも」
藤原「はい。例えばですね、私が村で出会った、ちづさんというですね、お婆ちゃん、
84歳なんですけども。家に招かれて行きましたら、100年以上前の織機ですね、機
織り機。今回私これ調べて、機織りのハタっていう字が機会の機っていう字を書くっ
て初めて知ったんですが。それを見事に繰りましてですね、すごい敷物、今でもサッ
サッサッサと織るんですよ」
森本「へぇ」
藤原「もう写真見せてくれますかなんて言ったら、昔美人だったということがうかがわ
れる写真をですね、見せてくれましてですね」
森本「ちづさん」
藤原「それで、まぁちょっと喉渇いたのぉ、ビールでも飲んでいくかっていうような感
じで、84歳のお婆さんが、缶ビールですね、私たち3人だったんですが、自分の分も
含めてですね、4本出してきましてですね。そういう、なんかこう、生き様がきまっ
てるんですね。で、畑で採ったブルーベリーなんかがですね」
森本「ブルーベリーときましたか」
藤原「ブルーベリーを冷やしておきますと、これ凍らせるとすごくおいしいつまみにな
るんです。こんなの毎日食べてですね、ビール飲んでたら、やっぱり長生きするんじゃ
ないかなというんで」
森本「で、機を織ってね」
藤原「はい、機を織って。ボケないと思いますね」
森本「格好いいですよね」
藤原「色平さんのところに実際、オーストラリア、インドネシア、マレーシア、タイ、
香港、中国、韓国とですね、いろんなところの医学生が研修に来るんですけども、必
ず彼はちづさんに会わせるらしいんですね。そうすると本当にその、元気なお年寄
りのね、姿、その人生、生き様に、ある意味で打ちひしがれてですね、ちづさんの
この織物に魅力を感じて弟子入りしちゃう女の子もいるっていうようなですね。す
ごく、都会の医学生というのは、あんまり格好いいお年寄りに出会うことがないの
で、色平さんによりますと、やっぱり格好いいお年寄りに会わしてあげるというこ
とが非常に大事で、病院に来るのは、もう病気になっちゃったお年寄りじゃなくて
ですね、人生をきちっとやってるお年寄りを1回会わしておきますと、そのあと病
気というものが、そういう人生を、の一部を奪っているものだと。それに真面目に
対処しようと。お年寄りに対する尊敬みたいなものもですね、自然に生まれるとい
うようなことも言ってました」
森本「普通、都会の病院だとね、本当にみんなもう弱ってしまったお年寄りがたくさん
いますから、なんか年寄りというと弱いと、そういうイメージが最初からできてしま
うということありますよねぇ」
藤原「そうですね。そうすると、医者とお年寄りの間に上下の関係ができてしまいます
から、どうしても上から下を見下ろすようなですね、そういう医療になっちゃいます
よね。逆にお年寄りのほうがはるかにすごい経験もあり、しかもこういう技術を見
せつけられますとですね、むしろ下から上にですね、仰ぎ見て尊敬するというよう
なですね」
森本「そうですね。手に職というと何か非常に難しそうに思いますけれども、経験から
生まれた職もいっぱいあるわけですよね」
藤原「はい、そう思います。ですからちょっとその、都会のホワイトカラーがちょっと
ヤバイ感じがするんですけども。本当にその、農業には定年退職ないですしね、生活
に直結している手仕事いっぱいあるわけですよね」
色平哲郎先生:ちょっと息が切れちゃいましたのでインターバルを入れましたけれども、
これはTBSラジオですね、これが流れましたら、すぐにまた車が栃木県とか静岡県か
らやってくるわけですね。もちろん栃木にも静岡にも、こういう手仕事のできるお婆さ
んおいでになるわけですよ。だからそういう人たち、隣同士で、すれ違っていて出会え
ていないっていうのは残念なことです。
私、医学生さんたちに申し上げますけれども、あなたにとってのちづお婆さんは病院
で就職した時に、そこで賄いをやっているお婆さんかもしれないし、あるいは、掃除を
やっているお婆さんかもしれません。でも、賄いをやってる人とあなたが医者として出
会ってしまったんでは、役割を背負っているので、お互いに人間として出会えることが
できませんねというふうにアドバイスするようにしています。
隣にはいても出会えないでいるという残念な関係を超えてですね、相手のご苦労から
学ぶようなことを若い人たちには期待したいですし、皆さん、もしお年寄りの方、いろ
んな人生経験あると思いますけれども、そういうことを自分たちのお孫さんたちの世代
に伝えることは、今後、日本の愛国者として、これから21世紀、日本は大変な時代を
迎えることになりますので、ぜひ、そういうふうにハッパをかけてやっていただきたい
と思います。
さっき女房の話しましたけれど、女房はいつも言ってる言葉がですね、ことわざ辞典
に載っているんですね。「男のロマンは女の不満」というんです。これは、医者が好き
勝手やってると、医者のロマンは看護婦の不満、ていう言葉でもあるんですよ。男たち
が勝手にやって本当に困りますね。
私、村で暮らしている時に、尊敬すべき保健婦さんと出会いましたので、この保健婦
さんが私の地域医療の師匠になりました。それで、私のこの変な喋りの、変な性格ので
すね、これをうまくごまかして、「患者さんの前ではうまくやってねぇ」とか、お叱り
を受けながらですね、こうやって信州出て秋田へ来ちゃうとまた元へ戻ってしまうんで
すけども、信州に戻るとちゃんとしてないと危ないですよね。クビになっちゃう。
随分教えていただいたものです。そのように、看護職は看護職として尊敬すべき自分
の先達を、我々は、亡くなってしまいましたけれども、若月先生のような農村医療を切
り開いた、そういうイメージを持ってですね、そのあとを歩んでいくようにしないと
21世紀の日本は危ういんじゃないかというふうに考えておる次第です。
佐久病院はサケ病院とも呼ばれていまして、今日は残念ながら会長さん、酒飲む時間
がないんですね。明日また外来があるもんですから。ちょっと当直明けで眠くなってき
て、ごめんなさいね。活をいれるために劇をやりましょう。
「おやぁ、爺さんじゃないかい。えらいぼつらぼつら歩いているけんどどうしただい」
「おらぁ、車の運転やめただよ。子どもに隠れて乗ろうと思ったら、正月に来た時、鍵
隠されちまっただよ」
「よく諦めただにぃ」
「しょうがねぇ、この車、老人車買ってもらって、うちの婆さんと一緒に歩いているだにぃ」
「じゃあ、買い物はどうしてるだぁ」
「オラッチのおばやん、買い物が大好きだったども、どこも出かけられなくなって なぁ。
しょうがねえから生協頼んだんだが、注文書の棒が引けねぇだよ。第一、 量が多
くてだめだ。次になぁ、農協の食材にしただども、農協が決めた物が来る だよ。
オラが肉が食いたくても魚が届くだ」
「まぁ、そうかい。女衆は品物見て買いてえしなぁ。ストレス解消にもならぁ。難しい
ところだいねぇ。だけど、これは、オラッチだけの問題じゃねえよ。佐久病院に診
察に行くんだって困るわいなぁ。葬式だって人に頼まなきゃ行かれねえわぁ。義理
を欠くようになりゃつれえなぁ。福祉バスは1日に1本きりだし、朝出かけりゃ夕
方まで帰ってこれねえやぁ。新幹線で東京まで行くのに1時間半だなんて言ってる
けんど、バスで買い物に行くのも1日がかりだぁ。あぁ、だから、あそこんちは東
京の娘がチクワだぁ、魚だぁ、ミカンだぁって宅急便で送ってくるだわぁ。便利な
ようで何か変だいなぁ。子どもがいる衆はいいけんど、オラッチみたいにいなきゃ
どうするずらぁ。今ちょっと世の中、何とかならねえずらかぁ。今ちっと、何とかっ
ちゃあ、佐久病院の診察だわ。この間なんか3時間も待って、やっと先生の顔見た
と思ったら『いいですね』で終わりだったわ。オラ、いっぺい言いてえことあった
んだども、そう言われりゃあ何も言えねえで帰っちまっただよ。情けねえなぁ。先
生ども忙しくて可哀想だども、オラもちっとは聞いてもらいたかっただよ」
「ほぉそうかい。どんな話がしたかっただい」
「天気の話とかさぁ、今年は寒いとかさぁ、オラッチの東京の孫のこととかさ」
「そりゃだめだわ。先生だって、ふんふん聞いてりゃ、日が暮れちまうわ」
というふうにですね、昔テレビがなかった頃のこと、映像のあの強い迫力がなかった
頃は、自分たちで脚本を書いて農村に入って、健康教育をやり、あるいは、かかりつけ
の薬剤師さんが大事であるという、手帳が大事であるってことを伝えて回ったんですね。
そのようなことを伝える大事な劇が、どうですか、テレビに役割を取られちゃいました
ね。便利なあまりに私たちは自分たちの自前の努力ができなくなってるということがあ
るんです。皆さんは自分で訴えたいことがあった時に、ぜひ自分で劇を作って、これは
宮沢賢治がやった仕事ですけれども、皆さん、周りに訴えるということを取り戻してい
かないといけないかもしれません。
そろそろお時間でございましょうか。もう1つぐらい言って笑わせないとちょっと帰
れないですねぇ。うん、これがいいな。「何のために生まれて、何をして生きるのか。
答えられないなんて、そんなのはいやだ。今を生きることで熱い心燃える。何が君の幸
せ、何をして喜ぶ、分からないまま終わる、そんなのはいやだ。」はい、何でしょう。
歌っていい? アンパンマンですね。アンパンマン、やなせたかしは、戦争の時代の
方ですので、ここで歌うとちょっとかっこ悪すぎるのでやめましょうね。
「そうだ、うれしいんだ、生きる喜び。たとえ胸の傷が痛んでも、何のために生まれ
て何をして生きるのか、答えられないなんて、そんなのはいやだ。今を生きることで熱
い心燃える。だから君は行くんだ、微笑んで。そうだ、うれしいんだ、生きる喜び。た
とえ胸の傷が痛んでも」のあとは、「あぁアンパンマン、優しい君は行け、みんなの夢
守るため」ですね。
アンパンマンというのはすごいね。あれは飢餓の時代、飢え死にしそうな時代をくぐ
り抜けたやなせたかしの詩でしょう。助けてーといって、アンパンマンが飛んできてく
れるわけよね。胸の傷っていうのは食ったあとなんだよね。アンパンマンにとってみる
とね。またすぐにジャムおじさんのところに行って直してもらうという、すごいよね。
これはやっぱりねぇ、昔の日本人の苦労ですね。今の途上国の苦労かもしれません。
例えばフィリピンの方。有名な諺があります。フィリピンでは、溺れる者は何を掴むと
思います? 溺れる者はナイフをも掴むと言われているんですね。そのぐらい生きるの
が大変な社会が、この日本にもありました。秋田にもあったと思います。そのようなご
苦労を、アンパンマンの詩。子どもの歌のようですけれども、私たちはたくさん歌や詩
や劇として持っていると思います。こういうものをテレビにごまかされずに、もっと言
うと、テレビやビデオに子どもの頭を塗らせないで、お爺さんお婆さんがお伝えするこ
とこそ、今後の日本の世代を育てるにはとても大事だというふうに感じた次第です。
都市での老いと村での老い。村での素朴な方々のところに都市の感覚が入ってきてね、
いいことばかりではないということですね。今日は、皆さんお招きいただいてありがと
うございました。信州の農村医療の現場からお伝えいたしました。どうも会長さん、あ
りがとうございました。(拍手)
座長:色平先生、大変長時間にわたり、ご講演いただきましてありがとうございます。
色平先生のご講演を聞かれて、皆様どういうふうにお感じになりましたでしょうか。ぜひ
色平先生にお伺いしたい、質問、提言、何でも結構です。ございませんでしょうか。何
でも結構です。何かございませんか。いいですか、どうぞ。畠中さんどうぞ。
質問者:色平先生、本日は貴重なご講演ありがとうございました。非常に感銘深く拝聴
させていただきました。私、実は司会進行役でもありますが、あえてと思いまして、ご質
問させていただきたいと思いました。
私も実は、薬剤師なんですが、地域医療に身を投じるために秋田に来た一員でござい
まして、調剤室にあまりおらずに、先生と同じように、なるべく外に出る仕事をさせて
いただく一員なんですけれども、実はその活動する中でちょっと気にかかっていること
がありまして、先生もご承知だと思いますが、秋田県非常に自殺率が高うございまして、
自殺率がまた今年も第1位ということで、ちょっと悲しいニュースになってしまってい
ると。その中でも減少率は、ある程度減少はしてきているんですが、先生の活動を見て
みまして、今日拝見させていただいて、改めてまた長野県はお隣の山梨県とかが自殺多
かったりはするんですが、非常に長野県は少なくてですね、特に秋田県で自殺率が高い
50代60代、さらに70代80代といったあたりの方々の自殺率が低いというのは、何
か先生の活動といったようなものが何かヒントになっているのかなと思いまして、何か
先生が感じられることがあれば、ちょっとこう教えていただければなぁと思っていたん
ですけども、いかがでしょうか。
色平哲郎先生:私、いなか新潟なもんですからね、冬場、随分雲がどんよりしているこ
とよく存知あげてます。信州の佐久のあたりは、日本でも最も晴れの多い地域なんですね。
香川県と並んで佐久は一番晴天率が高いです。晴れてるってことは、まぁなんでしょう
ね。気分が滅入らないことかなるかなぁ。ちょっと分からないんですけども。
自殺を減らしたいという気持ちはありますが、人々の繋がりの力が人を救い上げるこ
とが多いと思います。日本の自殺率の特徴というのは、男性で比較的若い方が仕事等で
悩んでということが多いようですね。
韓国ではですね、129番という番号ができまして、119番とか110番と同じです。生
活で困ったり悩んだりしたら、そこに電話するとそのまま生活保護の相談に繋がるんで
すね。これは韓国社会がこの10年間ぐらいの間に非常に極端な格差社会になって、自
殺が増えたということを背景にしてできたホットラインなんですけども。
もし秋田県で129番ができれば自殺が減るとは言わず、生活保護に繋がって、相談で
きたり、すぐに生活保護に繋がらなくても人と語り合うことで、多少でも生きていこう
という意欲が出る人が増えるんじゃないでしょうか。これは韓国での社会実験でありま
した。
私は精神科ではないので、それ以上のいろいろな細かいこと申し上げられなくてごめ
んなさい。どうも。
質問者:先生ありがとうございます。でも、先生の今日の画像やご高話で、繋がりと言
いますか、それが人の希望に繋がるんだなぁと、今改めて感じられましたけども、本当に
ありがとうございます。



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