「支えあい」の還流めざして  看護師・介護士来日の時代に

朝日新聞 08年11月25日

JA長野厚生連・佐久総合病院医師   色平哲郎  
いろひら・てつろう 60年、横浜市生まれ。
東大理科一類を中退しアジアなど世界を放浪後、京大医学部へ。
長野・南牧村野辺山へき地診療所長、南相木村診療所長を経て、現職。
著書に「大往生の条件」など。


アジア諸国とのEPA(経済連携協定)の締結で、
いよいよ看護師や介護士が海を渡ってくる時代になった。
インドネシアからの第一陣はすでに来日した。
慢性的な介護の人手不足に悩む日本社会はおおむね歓迎ムードだが、
果たして未来はバラ色だろうか。

言葉の壁ばかりではない。たとえばコミック「ヘルプマン!」
(くさか里樹著/講談社)、特にその第8巻を読むと、
リアリティーある描写に、蒙(もう)を啓かされる。
認知症の老母を押しつけられ困り果てた男性。
そこにフィリピーナのヘルパー、ジェーンが現れ、
楽天的な気質で老母を包み込む。
だが介護保険の給付対象にならない「散歩」や「お喋(しゃべ)り」にも
時間を費やしてしまい、次々に軋轢(あつれき)が生じる……。
今後こうした様々な「ぶつかり」に直面するのではないか。


ケアの背面に信仰

フィリピン、アジアといえば、私が学生時代に放浪し、
農協病院で農山村医療にかかわるご縁をいただいた場所。
内科医としての原点だと思っている。

アジアの都会から遠く離れた街や村で出会った普通の人々に、
大変お世話になった。
気づかいにあふれ、「人を憂う」優しさが自然と身についていた彼、彼女たち。
医師もまた保健師やケースワーカーの仕事を兼ねながら、患者の話に
じっくりと耳を傾け、微妙な顔色や表情を読み取って、診療に奮闘していた。
全人的な医療・福祉、つまり人と人との「支えあい」を前提にした
真摯(しんし)な姿勢にふれ、それが現代日本の医療から失われかけた
「ケア」の視点にほかならないと気づかされた。

ケアやキュアという英語の語源がカトリックの典礼語ラテン語の
「クーラ」にあることは、よく知られている。
気にかける、心配する。
献身、あるいは他人の幸せを準備する意味もあるという。
彼らの心豊かなケアの背面に、しっかりとした信仰があることを
思わずにいられない。

日本にも、かろうじて残像があった。
この春まで私が十数年を過ごした長野の山あいの村もそうだ。
人口1千人ほど、高齢化率40%。
受診する「お客」の多くが、後期ならぬ高貴″w者の村には、
「おかげさま」「おたがいさま」という意識が根づく。
往診で山道に車を走らせ、古老たちの昔語りを聴きながら、
家族やご近所はもちろん、ヘルパーや訪問看護師らの献身的気づかいこそ、
医療行為より確かな支えとなっていることを実感した。


消費だけでよいか

海を越えやって来る介護の担い手たちは、日本社会の欠落を埋める存在として、
ひとつの希望なのかもしれない。
ただ、日本とのEPAが調印から2年かけて先頃ようやく批准された
フィリピンのように、「憲法違反」との反対論まで起こっている場合がある。
背景には、医療分野の海外頭脳流出、都市と地方の絶望的な医療格差
の問題が横たわる。

私たちは一方的にサービスを「消費するだけ」でよいのだろうか?
彼らが一定期間、日本で介護に携わったら、帰国して母国で働く。
日本は、相手国の医療看護や介護分野にヒト、カネ、ノウハウを送り、
相互に人材が還流する。
双方が高めあえる仕組みづくりが必要だと思う。

国内でも、国が決めた医師増員だけで問題は解決すまい。
「人間として人間のお世話をする」視点。
そんな「心持ち」を共有できるオルタナティブな医療者養成をめざす
メディカルスクールを、民間非営利の「協同の力」で設立することが求められる。ケア
論議は、私たちの社会の、
人と人とのかかわりあいの思想が試される一歩、なのだ。

写真キャプション:成田空港に着いたインドネシア人の看護師、介護士の
候補者たち=8月、千葉県成田市、葛谷晋吾撮影

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