限界の先に 地方再生への道 3 

綱渡りの命 「予防」へ住民と対話

北海道新聞 08年2月7日


年に延べ百人を超える医学生が、長野県の奥深い山村にやってくる。
鉄道も国道もない南相木(みなみあいき)村。
人口千人余りのこの村の国保直営診療所で、
医者の卵たちはお年寄りの話に耳を傾け、村内の家々を訪ね歩く。

生活指導

「色平(いろひら)先生がね、しょっちゅう家まで診に来てくれるからね。
独り暮らしでも安心だあ」。
診療所に顔を出した倉根ちづ(88)は
医学生らの前でシワだらけの笑顔をつくった。

色平先生とは、診療所長の色平哲郎(48)。
十年前、約30キロ離れた佐久市の総合病院から派遣された。
二十年ぶりの常勤医だった。
医学生らは色平が主催する「塾」の参加者である。

色平は着任以来、村に医学生らを招き、都市との橋渡しを続けている。
地域医療をじかに知ってもらうためだ。
滋賀医大三年の平野雅穏(まさやす26)は
「過疎地の医師を志しても、大学の勉強ではどうしたらいいか分からなかった」
と色平塾に参加した動機を語った。

コンビニもなく自給自足に近い暮らし。
築200年の旧家でいろりを囲む。
「こんな生活があったなんて」。
村民の暮らしぶりを肌身で感じ、
都会育ちの医学生たちの顔つきは次第に変わっていく。

県を挙げて予防医療を重視する長野は、
高齢者一人当たりの医療費が全国で最も低い。

色平もまた、その予防医療の先頭に立つ一人だ。
診療所での診察を終えると村内の家々を回る。
お年寄りの体調に気を配り、茶飲み話をするように生活指導する。
「医者語だけじゃなく、ムラ語も分からないとね」。
地域医療は医の技術だけでは太刀打ちできない−と色平は考えている。

しかし、南相木村での色平の取り組みは、
いつ崩れるとも知れぬ土台の上に立っている。
色平を派遣した病院は研修医80人を含め200人の医師が在籍し、
県東部の医療の「最後の砦(とりで)」。
いまその病院では医師不足の地域からの患者が集中し、
時に病床数を超える受け入れを余儀なくされるなど綱渡りの状況が続く。
「過酷な現場の状況を嫌って研修医が来なくなれば
南相木の常駐医派遣もできなくなる」。
色平は懸念を口にした。

医局離れ

一月中旬、県南部の飯田市の市立病院を、厚生労働相の舛添要一が視察に訪れた。
地域医療の現場を見終わった舛添の顔からは、いつもの愛想笑いが消えていた。
「長野の医療は全国のモデルだと思っていたが、
医師不足がここまで深刻とは、、、」

市立病院は地域の中核病院ながら、産科医不足のため4月からは
「里帰り出産」の受け入れを休止する。
周辺の医療機関でも、派遣医の引き揚げや医師の退職が相次ぐ。

地方から医師が消える引き金になったのは、
2004年度に導入された臨床研修制度だった。
研修医は労働条件のよい都市部の病院に流れ、
研修後も大学病院に戻らない医局離れが進んだ。

大学からの医師派遣に頼っていた地方の医療機関は
その影響を受け、拠点病院でさえ医師確保が困難に。
残った医師も負担増に耐えかねて職場を去る「ドミノ倒し」が生まれた。

舛添は視察後の住民との対話集会で「目先の問題もあるけど、
長期的問題も車の両輪でやる」と力説した。
だが、昨年、国が緊急対策として導入した医師派遣制度は、
派遣期間が最長でもわずか半年でしかない。

昨年派遣を受けた後志管内岩内町の岩内協会病院では、
ほかの医師が確保できないまま今月二日に派遣期限が切れた。
厚労省は、異例の措置として派遣期間を三月末まで延長した。
しかし、同病院の苦悩が消えたわけではない−。
「あらゆる手段を尽くして医師の確保に努めるが、現実は厳しい」。
(敬称略)

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