憂楽帳:パロ


毎日新聞 2007年7月21日 

憂楽帳:パロ

 「やっと約束を果たせた」。フィリピン中部レイテ島パロ町にあるフィリピン大学レ
イテ校のスール学部長は、日本の資金協力で完成した産科診療所を前にホッとした表情
を見せた。

 医師や看護師の海外流出に悩むフィリピン政府は76年、地域医療専門家を養成する
レイテ校を設立した。最初の校舎は海辺の草ぶき家だった。81年パロ町に敷地を確保
したが建物まで手が回らなかった。関係者は「新しい建物を造り住民の役に立てるから
」と町を口説き、産科診療所を大学本館として借り受けた。

 以来26年。木造2階建ての本館から延べ2000人以上の助産師や看護師、医師が
巣立ち、その90%が今も地域医療を支える。だが「新築」の約束は残ったままだった


 パロ町は第二次大戦中、マッカーサー司令官が上陸作戦を実施した土地だ。この町の
攻防が150万人の犠牲を出したフィリピン戦の幕開けだった。今も米国びいきといわ
れる町に日本の名前が良い意味で残った。完成を祝う学部長を横目に、こちらは安堵(
あんど)した。【大澤文護】

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毎日新聞 2007年8月4日 

憂楽帳:バブさん

 バブさんが転勤でマニラを去った。

 バングラデシュ生まれのバルア・スマナ=愛称バブ=博士(52)は近所の女性が難
産で命を失うのを見て医師を志し、日本に渡った。そこで見たのは最先端だが機械任せ
の医療。電気のない故郷の村では通用しない。

 アジアを巡った。地域医療専門家を養成するフィリピン大学レイテ校を知り入学した
。高価な薬や機械のないへき地での実習で、患者と苦楽を共にする喜びを知った。バブ
さんは日本の医学教育に足りないのは、人と喜びや苦しみを分かち合う体験だと言う。
02年、世界保健機関(WHO)西太平洋地域事務所の医務官としてマニラに赴任する
と、悩める日本の医学生たちが次々と家にやって来た。休みを使って自分の体験を話し
、フィリピンの医療現場を見るよう勧めた。それでも、日本の地域医療現場は極端な医
師や看護師の不足にあえぎ続ける。

 新任地はインド。ちょっと遠くなったけれど、今後も医療を目指す日本の若者をよろ
しくお願いしますね、バブさん。【大澤文護】


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