フィリピンと私  朝日新聞07年7月3日掲載

声なき声に目覚めた原点

〜医師 色平哲郎 いろひらてつろう さん〜


長野県の東南端、南相木村を「おーい、げんき?」と往診に回る。
人口約1200人、4割が65歳以上。
この村を、「医療を商品にしていいのか」といったテーマを抱えた
医大生や研究者らが年に100人ほど訪ねてくる。

フィリピンが原点だ。
京大医学部生だった20年ほど前、レイテ島で医学生らの実習について行った。
医学生らは村を訪ね、「水はわかして飲もう」「手を洗おう」と、
冗談を交えながら人々に伝えていた。

人がその習慣を変えるのは簡単ではない。
「水はそのまま飲むもんだ、というプライドを譲ってもらうにはかなりの努力が必要だ

医学生らは『人々の心の中に住み着く』と表現していた」。
その努力が目の前で展開していることに驚き、「医師が患者に提供する医療というより

みんなのものである医療に出会って感動した」と話す。

フィリピンで聞いた名前が佐久総合病院(長野県佐久市)の故若月俊一・名誉総長だっ
た。
「農村医学」を掲げ、アジアのノーベル賞をいわれるマグサイサイ賞を受けた人だ。
「予防は治療に勝るということを教えてくれた医師だ」と聞いた。
帰国すると同病院で研修を受け、村の医師になった。
「電気もきれいな水もないところでも、主人公である住民を医療者が支えるケアができ
る。
それを若月先生から学んだ」

村では、学生らにお年寄りとゆっくり話をしてもらう。
そして、人には様々な人生観やプライド、こだわりがあることに気付いてもらう。
「多数決だけで物事を決めると、弱者やへき地の意見は通らなくなる。
多数決を縛るルールを作るためにも、声なき声をどう聞き取るかを考えてほしい」とい
う。


横浜生まれ。東大在学中に欧州やインドを旅して中退し、京大医学部に入学。
96年に長野県南牧村の診療所長、98年から南相木村診療所長。
佐久総合病院内科医も務める。著書に「大往生の条件」など。47歳。

(文と写真・山本博之)

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