医師不足  地域で育てる回路を作ろう  朝日07年7月12日掲載

私は農協職員である。
JAが開設した長野県厚生連・佐久総合病院(佐久市)の内科医として、
山村の診療所長に「出向」して12年目を迎えた。
地方の医師不足はいつも深刻だが、佐久地域は、高度医療に対応しうる
佐久総合病院のバックアップで、「安心のネットワーク」が維持できている。
農村の病院が、なぜ医師不足に陥らないのか。
カギは「金持ちより心持ち」という動機づけにあろう。

医局には約200人の医師がいるが、多くはここで初期研修を受けた人々である。
研修医や医学生は、地域の人と農作業をしたり病院祭で劇をしたりしながら、
「おたがいさま」「おかげさまで」という「ムラ社会」の人間関係に触れる。
ある研修医は「ともに暮らし働いている実感がある。
医師と職員患者の関係が上下でないことが魅力だ」と語った。
ムラビトたちも研修医を大切にするから、
「あなたたちに残ってほしい」という思いは自然に伝わる。

医師不足が深刻な地域は、大学病院とのパイプに頼り過ぎ、
その供給ラインがストップして不安定な悪循環に直面している。
ここでは、地域に医者を育てる「回路」があるから、
かなりのきわどさながらも医師確保ができている。

国は、緊急医師確保策として、医師不足の地域に臨時に医師を
派遣する制度を始めたが、短期間の地方勤務では、
住民とやっと気安く話せる関係ができたところでサヨナラとなる。
多くの病気を抱えた高齢者を診るには、気心が知れている人の
配慮ある見守りが大切だ。
地域医療は「関係性」によって支えられており、それをどう育むのか。
都会から地方への医師派遣は、発熱を一時的に下げる「対症療法」に過ぎない。

「すきな人と、すきなところで暮らし続けたい」という思いは、
都会の人も地方の人も同じだろう。
日本では昨年、108万人が亡くなったが、
30〜40年後には170万人に達する。
病床数はどんどん減っていくので、在宅的な環境で暮らし続ける
人たちを支えられる医師がいないと、高齢者は行き場を失ってしまう。
専門性にあぐらをかかず、患者家族とのコミュニケーションがうまい
「ムラ医者」的な医者が多数必要になろう。

国は、医師養成数の緊急的な増加を図る方針だが、
「理科系クイズ」が得意な学生ばかりが医大に合格するようでは困る。
「医学医療は医療者のものではなく、地域住民のものである」
という原点や志を面接で見抜く「質の確保」とともに、
「ムラ社会」の中で技術と人間性を兼ね備えた人材を育てる
「農村医科大学」を設けるべきだ。

私の村には「医者どうぼう」という言葉がある。
昭和の初め、出産で苦しむ妻のために夫が麓の街から医者を呼んだ。
もちろん保険などはない。
夫は親類から金をかき集める。
だが、治療のかいなく妻と赤ん坊は亡くなり、借金だけが残った。
医者にかかれば、お金はごっそり、だから「医者はどうぼう」だったのだ。

国民健康保険が普及し、農民を含めた皆保険が実現したのは
1961(昭和36)年。
今では空気のように当たり前の存在だが、構想から長い歳月を経て
国民が手にした歴史的宝である。

なのに最近、財源論を盾に、公的給付の見直しを求める主張が
政府の会議で強く聞かれる。
その先には、医療の市場化と患者の負担増が透けてみえる。
金の多寡で受けられる医療が左右されれば、
都市への医療集中が一層進んでしまう。
緊急医師確保策を打ち出す一方、皆保険制度と、
民間「非」営利医療機関という、地方に不可欠な「二つの宝」
を揺さぶる国の動きは、矛盾以外の何ものでもない。

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