憲法は国民が国家権力につけた鈴

06年11月11日 「九条の会・医療者の会」2周年記念講演会 講演要旨

佐久総合病院医師 色平哲郎氏


◇若月俊一医師が目指した農村医療の原点

私は東大を中退し、パン屋で働きながら人生を見つめ直そうとアジアを放浪しているう
ちに、無医村で医療活動している医療者に出会って感動し、日本に戻って京大医学部に
入り直しました。佐久総合病院で研修をして、9年前に南相木村に赴任しました。

――録音テープを流す――

まずメディアの問題を指摘したいと思います。佐久総合病院は若月俊一が60年前に「
農民とともに」作った病院です。農民の方たちに素朴な反戦、素朴な非戦の感覚は根強
いものがありますが、そのことを直接的には表現できない、保守的な地盤でもあります。
このテープは、私の医療活動を取材したラジオですが、このような人々の内面にきち
んと踏み込んだ取材がなされていない。ステレオタイプに、民衆が抱きがちな医療に対
する期待を材料に情に訴えるメディアのやり方は、憲法や平和に関する問題について考
えたりすることについて困難な状況をつくっているのではないかと思います。取材の対
象になっている、戦争をくぐり抜けてきた、おしんの時代の苦労を身にまとってきた村
の方々には、反戦意識はたいへんに強い。多くの戦死者を出した山村は、日本帝国陸軍
の中枢だったが故にたくさんの犠牲を出してきた。このような方の素朴な非戦の思いが、
遺族会という形でねじ曲げられて中央に伝えられているのは、とてもつらいことです。

この8月に96歳で大往生した私どもの師匠について、私の書いた若月俊一追悼記事の
コピーをみなさんのお手元にお配りしてありますが、若月がわれわれに言い伝えたかっ
たこと、言い残したかったことは「医療とは文化と平和である」ということに尽きるの
ではないかと思います。「お互いの健康を大切にすることこそ平和である」、これが若
月がわれわれに伝えたかったことでしょう。互いの健康を大切にすることができていな
かった、自分の体を犠牲にしてでも公のために働きつづけた山の農民達に、自分の体を
大事にしてもいんだということを伝え、村の中に入って人形劇をやり、農民の前では演
説するな、劇をやれと言ってアプローチをしていった若月の姿を、私は孫の世代であり
ますけれども今も思い出す次第であります。若月は、民衆の心に染み入るような、理屈
ではなく平和がいかに貴重なものであるかということを、戦争の時代をくぐり抜けてき
た世代であるからこそ、くりかえし語っていました。

◇パックス・ジャポニカはアジアの人々の悪夢

きょうのテーマは「日本の平和」憲法に関するものです。「日本の平和」とは、ラテン
語で言うとパックス・ジャポニカになりますが、パックス・ジャポニカという言葉は教
養あるアジアの人びとにとっては悪夢でありました。つい先日久しぶりにフィリピンの
友人と会い、また中国へ20年ぶりに731戦犯跡である平房を訪ねてきました。パッ
クス・ジャポニカは日本人にとっての平和ではあっても、アジア人にとっては大変な苦
難の歴史だったということ。ですから、われわれが平和憲法と述べたときに、アジアの
人びとはどのように聞くのか。私はマニラで敗戦50年の年に憲法9条を引用して演説
したのですが、非常に冷淡な反応であったということをみなさんにご報告しなければな
りません。われわれにとっての平和がアジアの「諸民族」にとって苦難の歴史であった
ことを、もう一度胸に刻むことができるのか。それはアジアの視点に立ち返るというこ
とでもありましょう。

私の村にたくさんのアジアや日本の医学生・看護学生が来ます。彼らと接するとき、私
が若い頃の話をします。家出してアルバイトをしていたキャバレーは在日朝鮮人の方が
経営していました。まだフィリピンの女性たちが日本に働きにくる時代の前で沖縄の女
の子たちがいました。そこでボーイをしながらピアノを弾いていた、という私の親不孝
体験を申し上げます。その後、私が大学を卒業しなければならんなあと思いつつもアジ
アを放浪していたとき、どんな辺境に行ってもそこには日本兵がやってきたという記憶
があった。パックス・ジャポニカはアジアにとっての平和ではなかったことを追体験さ
せていただきました。日本帝国の平和は「諸民族」にとって平和どころか専制と占領・
圧政であったのです。

◇帝国から独立して諸国民が定めたものが憲法

ラテン語で言いますとパックス・メディチナということがあり得ます。イタリア語で医
者はメディコ、ですからパックス・メディチナとは医者の平和という意味です。医者の
平和は患者さんの平和ではあり得ない。教師の平和は生徒さんたちの平和ではないかも
しれない。ローマの平和はヘブライ人や異民族にとって平和ではなかったでありましょ
う。パックス・ブリタニカの平和がインドの民衆にとって、パックス・アメリカーナの
平和がベトナムの民衆にとって、民族の抵抗の意識を呼び覚ますような、平和とは全く
逆の意味でしかなかったわけです。日本の新しい憲法では、その前文に「平和を愛する
諸国民の公正と信義に信頼して」とあります。英語ではピース・ラヴィング・ネイショ
ンズと複数形です。

平和を愛する「諸国民」。帝国の辺沿では抵抗の意識のもとで様々な諸国民が独立の機
会をねらっていました。ポーランドはロマノフ朝への抵抗から国家を樹立しました。オ
ランダもイスパニアへの抵抗運動から生まれました。大英帝国になるイギリスもまたヘ
ンリー8世のときローマに抵抗して自国を作り上げました。アメリカもまたイギリスに
武装抵抗して独立しました。世界中に192からあるネイションズが作った諸国民の議
会であるユナイテッド・ネイションズ、日本では「国連」と誤訳していますけれども、
連合国のことです。このようなネイションズは、いずれ帝国にひどい目に遭って、レジ
スタンス抵抗の証として、帝国が滅んだとき、あるいは革命を起こしたときに、憲法を
定め、自分達ネイションがステイトを形成してステイトを縛る最高法規を作ったのです。

このような意味で、敗戦で帝国が終わった日本人には、日本国憲法と聖徳太子の17条
憲法との憲法なることばの区別がつかないのが現状なのかもしれません。パックス・ジ
ャポニカ、日本の平和が中国や朝鮮にとってはどういうことであったのか。同じように
パックス・メディチナ、医療者の平和だけでは患者さんたちの平安を得ることはできな
い。病院において憲法的なものがあるとすれば、それは患者や家族が医者を縛るために
作った道具、それが憲法と言えるでしょう。学校において憲法的なものがあるとすれば
、それは教員たちを縛るために生徒たちや親御さんたちが作るルールである。そういう
意味で、患者さんの平和のためにこそ医者が縛られねばならないといった、ねじれた感
覚、モダンな感覚を取り戻すことが大事です。もちろん、医者たちがノビノビワクワク
するためには厚生労働省を縛っておかなければならない。このように、猫の首にネズミ
たちがいかに鈴をつけることができるのか。その鈴のことを憲法と呼ぶのだということ
を、私は若い頃アジアの国々を回りながら思い出したものです。

◇国民は「不断の努力によって」権力を監視する責任を負う

人権というのは義務であると思います。人間の権利を人権といいますが、権利というの
はなかなか勝ち得られない。人を殺すなというのさえなかなかできない。古来から家族
や仲間のために敵を殺せ、が人類普遍の原理だった。我らと彼らを分けるような、そん
な野蛮から文明に向かって一歩を踏み出していくべきときです。だから、単に日本の平
和をいうだけでなく平和を愛する諸国民といったときの平和は、諸国民の平和ですから
日本帝国の平和ではない。そして「諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生
存を保持しようと決意した」の「われら」は、直前まで帝国の平和のために兵士を送り
出していたわれらだったのです。支配される側が憲法を生み出して国家を縛るにいたる
歴史的なねじれ、モダンな感覚を語り合う必要があります。憲法を何だか分からずに9
条を語っている日本人は、憲法を生み出したヨーロッパの血みどろの内戦、宗教戦争の
成果としてのネーション・ステイトの意味が分からずにコンスティテーションについて
述べていることになります。

つい先日お会いした加藤周一先生は、「一市民としての医療者に期待したい」と言って
おられました。一市民としての医者だからこそやれることもあると。江戸時代は一番上
に将軍がいて下に老中がいた。明治時代は天皇と藩閥に代わり、このペアが陸軍と日本
政府になって、上の陸軍が敗戦でマッカーサーになって、そこがアメリカ政府になって

る。これは、いつの間にか日本国憲法の秩序よりも日米安保条約の方が上位になってし
まっていることを示唆しているのかもしれません。国連憲章の2条4項は、日本国憲法

9条1項とそっくりさんです。それなのに憲章51条に穴があいていた
ことで集団的自衛権と軍事同盟が同意語になってしまっている。モダンな感覚を取り戻
すことが必要であると同時に、医療者であるわれわれが患者に対して向ける眼差しは、
お上がわれわれに向ける眼差しと同じようになること。また患者の権利法を設立するこ
とは、医者の義務法をつくることになるのだというチャレンジがわれわれの前に立ちは
だかっているのではないかと思います。

アジアの方々の意見は非常に厳しい。ピース・ラヴィング・ネイションズが形成した、
国連にまだ加盟していなかった時代、日本国民が天皇の臣民としてアジアに行った侵略
への反省としてできた憲法。その根幹である国民主権は、憲法12条がいうように「不
断の努力によって」権力を監視する責任を負うということがあってのものです。人権と
は権利というより義務であり、権利には責任が伴うのです。私は大いなる危惧の念を抱
きながら、今の状況をみています。

◇「人間の安全保障」を守る医師の責任

私はお医者さんなのにお坊さんと似たような仕事をしています。お看取りの仕事が多い
という意味です。「好きな人と好きなところで過ごしたい」、「あなたはあなたのまま
でいい、あなたはひとりではない」、「親切で丁寧、優しく親身に、支える医療」大事
なことです。しかるに一方で老人いじめの医療改革が進行中、リハビリや療養病床の削
減、後期高齢者医療制度が設立されようとしている。この60年間、われわれはお上を
きちんと監視してきたのでしょうか。日本には27万人の医師が日々働いています。2
7万人いる自衛官は日々働いてはいません。「人間の安全保障」を守る医師の責任は、
日々目の前で働き続けることによって大きな成果を現していくことです。

安全保障、つまりセキュリティーについて、その源について申し上げましょう。形容詞
形セキュアーの語源はシン+クラ、つまり否定詞+クラであり、「クラを欠く」という
意味のラテン語です。相手に憂いがある、障りがある、つらいところがある、これをク
ラといいますけれども、これに相対した人が相手に対する共感をもつ、相手に対する同
情とお世話をしたいという気持ちが湧いてくる。これも同じことばクラで表現するのが
ラテン語の伝統です。クラは、英語のケアとキュア、両方の語源になります。つまりセ
キュリティーの元になったセキュアーというのは「相手への配慮を持たない」断絶とい
うことですね。このようなセキュリティー社会に現在の日本が突き進んで行くことに、
自覚的でないということだと、相手へのケアを切り離すということでの監視社会が、様
々な意味での次なる暴力を生み出す可能性につながるということを危惧するところです。
(拍手)


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