「何のために学びますか」   〜 新学期に〜

信濃毎日新聞社説 06年4月3日


「学問のさびしさに堪へ炭をつぐ」(山口誓子)。
火鉢に炭をつぎたしながら、机に向かう若者の姿が浮かんでくる青春の一句です。
真理に対してひたむきで、お金や地位などよりも高い価値を、素朴に信じることができた時代の精神も伝わってきます。
いまは、炭はもちろん「学問」という言葉さえ、遠い昔の風景のようです。
勉強は金もうけの手段と考える風潮が強まっているとしたら、少し寂しい気がします。

希望と不安の入り交じった新学期。
何のために、だれのために、学ぶのでしょうか。
立ち止まって考えたいときです。(中略)

〜どこから来て、どこへ〜

ライブドア事件、偽メール問題・・・。
このところ、高学歴の人たちが引き起こしたり、巻き込まれたりする事件が目につきます。
勉強し、進学し、就職した先に何があるのでしょうか。
何のために学び、どう生きるか。
そこが抜け落ちると、いくら勉強しても落とし穴にはまりかねません。

「私たちは足元のことを忘れている」。
先ごろ、佐久市の佐久総合病院で講演したバングラデシュ出身の医師、スマナ・バルアさんの言葉を思い出します。

いまはマニラに住み、世界保健機関(WHO)の結核・ハンセン病の担当官としてアジアの国々で治療や予防活動にあたっています。
ときどき来日もし、医学生や子どもたちなどを相手に講演しています。
その際、バルアさんは、必ず次のように問いかけるのです。

「わたしはどこから来たのか。
どのようにしてここに来たのか。
ここからどこへ行くのか。
どのようにしてそこへ行くのか。
そこで何に、取り組むのか」

1955年、バングラデシュ・チッタゴンの寒村に生まれました。
代々、仏教を信仰し、福祉施設を営む一族です。
12歳のときに大好きだったおばが難産で死亡したことがきっかけで医師を志しました。

バルアさんが選んだ大学は、フィリピンの国立大学レイテ分校でした。
学生の多くはフィリピンの島々や農村から来ています。
外国人はバルアさん一人でした。

興味深いのは、この学校は、看護師、助産師、医師などの資格を得るためには、
学生は自分が担当する地域の人々の推薦を得なければならない仕組みになっていることです。
「節目のときに、地域の人が住民集会を開いて判断する」と、バルアさんは言います。




〜地域や社会の中から〜

1976年に来日し、土木作業などをしながら勉強した経験もあります。
佐久総合病院の当時の院長、若月俊一さんを師を仰ぎ、南相木診療所長の色平哲郎さんらとも長年の親交が続いています。

「白衣の壁を乗り越え、一人の人間として地域の人たちの世話をしてください」。
バルアさんは、研修医や若い医師たちに向かって、いつもそいう強調します。

バルアさんを導いてきたのは、小さいころからの仏教の教えと、故郷やレイテ島の村人の顔。
そして、どこから来てどこに向かうのか、という自分への問いです。

学力の問題を、技術的なことに矮小(わいしょう)化しては、大事なことを見失います。

哲学者の鶴見俊輔さんは「教育は、それぞれの文化の中で生き方をつたえるこころみである」
(「いま教育を問う」岩波書店)と、述べています。
学ぶということを、学校に限定せず、地域や社会の文脈に置いてみる必要がありそうです。

例えば、独り暮らしのお年寄りを訪ねてみたり、ボランティアをしたり、というのも一案です。
大人と一緒に自治活動などに参加してみるのもいいでしょう。
アルバイトや旅も生きるヒントを与えてくれます。

亡き作家、寺山修司は「書を捨てよ、町に出よう」と言いました。
私たちがいま考えたいのは、書を捨てずに、書を片手に町に出ることです。
そこで見つけたものを根っこに持ちながら学問ができたら、人生の針路を間違えることなく歩くことができるはずです。

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