フィリピンの難題――「頭脳流出」

佐久総合病院内科医師 南相木村国保直営診療所長 色平哲郎 いろひらてつろう

わずか4〜5年の間に半数以上の病院がつぶれてしまう。

そんなことになったら、とんでもないパニックになりそうです。
患者さんは行き場を失い、高齢者の皆さんはケアを受けられず…想像するのもコワイことですね。

実は、この最悪のシナリオが現実のものとなってしまっている国があります。

フィリピンです。私にとってフィリピンは、医療とは何か、という根本的な問題に目を開かせてくれた場所です。
医学生時代にスマナ・バルア氏(バブさん)とレイテ島で出会い、
「人のお世話をする」ということが医療の原点だと気づきました。大切な場所です。

久しぶりにそのフィリピンを訪れ、あまりのすさまじさに言葉を失いました。
フィリピンではバタバタと病院がつぶれていたのです。なぜか?

医師が海外へ「看護師」として働きに出るからです。
母国にとどまって医師を続けるよりも、英語圏の国で看護師として仕事をしたほうが、


はるかに高い給料(10倍以上)を手にでき、そのお金を本国に「送金」できるからです。
本人が豊かになりたいというだけでなく、海外で働いて得たお金を送ることで、母国の経済が支えられているからです。

以下、「インクワイアラー」という新聞の翻訳(日刊マニラ新聞05年11月28日付)から引用します。

「医師歴25年の男性外科医は40人の同窓生のうち3分の1以上が海外移住したと語った。
女性産婦人科医も1998年に共に卒業した300人の婦人科専攻生のうち半数以上海外で働いていると明かした。(中略)
フィリピン大学のデータによると、2001〜04年までに3000人の医師が看護師として働くために国外に出た。
WHO(世界保健機関)が算出した人口1万人当たりの理想的な医師数と比のそれを比較すると医師の数は2分の1以下である。(中略)
私立病院協会によると、過去5年間で人材の海外流出で1000の私立病院が閉鎖され、現在運営されている病院は700にすぎない」

フィリピン国内でもマニラなどの大都市よりも、地方ほど、医療環境はどんどんわるくなっており、
満足な治療を受けられずに命を落とす人が増えています。

政治家や官僚が、早く手をうたなければ、まだまだ医師の海外流出は続きそうです。
ところが、この問題を担当している労働雇用長官のサントトマス氏は、
いろんな人から危機的な状態だと指摘されても「根拠がない」と応じて、「目をつぶっている」そうです。

海外で働く人からの送金に頼るフィリピンは、日本とも密接なつながりをもってきました。
昨年まで日本は、毎年8万人ものフィリピン女性たちに期限つきの「興行ビザ」を与えて入国を認めていました。

彼女たちの多くが、ヤクザなどが仕切る組織を通じてホステスとして飲食店に送り込まれ、
契約に反した(売春を含む)ひどい労働条件で「日本円」を稼いでは、せっせと故国に送っていました。
それをみたアメリカから、人間をおカネで売り買いする「人身売買だ」と激しく批難され、
日本政府はあわてて発給する興行ビザの数を10分の1の8000人ほどに減らしました。

これからは、その人が歌やダンスの上手なエンターティナーとしてしっかり訓練を受けているか
どうかも厳しくチェックしてからビザを発給する、と言っています。

しかし、いまもマニラの日本大使館前には日本行きを求める女性たちが長蛇の列をなしています。
彼女たちにとってビザを手にできるかどうかは、生きていくための闘いです。

一枚のビザには大勢の家族の生活がかかっているのです。
この問題の根は深く、他国から叱られたから数だけ減らせばいいという、安易なやり方では解決できません。

一方で、日本政府は、興行ビザを大幅に減らした代わりにフィリピンからの看護師・介護士の受け入れを打ち出しました。

ところが、その数は…看護師、介護士、ともに100人ずつ。
フィリピン側は「ケタが全然違う。冗談にもほどがある」と怒っています。

日本の看護協会は、フィリピンから来た看護師を「安い」賃金で使おうとする病院が増えて、
日本人看護師の給料もどんどん下げられる恐れがあるとして「受け入れ反対」を叫んでいます。

その反発を受けた日本政府は、フィリピンからの看護師受け入れの基準として、
「看護大学または四年制大学を卒業し、日本への入国後も(日本語での)
介護福祉士国家試験合格資格の取得を義務付ける」と表明している。

考えてもみてください。日本語での専門的な試験にパスすることが、外国の人にとってどれだけ困難なことか……。
これだけ高いハードルを越えて日本に来ることができるフィリピン人看護師は、ごく少数でしょう。

注目されるのは、もう一方の介護士です。

現在、日本の看護の現場で必要とされている介護士数は92万人だといわれています。


しかし、実際に仕事をしている介護士の数は40万人。必要だとされている数の半分にもなりません。

介護の現場は、肉体的にも精神的にもとてもハードです。
また残念なことに、固定化されて久しい待遇面の問題が残っています。
よく、日本には数百万人ものフリーターがいるのだから、彼ら、彼女らに介護の仕事の大切さを理解してもらい、
一人でも多くの人を介護の世界へ、と言う人がいます。

でも、フリーターに慣れてしまった人は、キツイ介護の仕事には見向きもしません。
その日、その日を気楽に生きたいからでしょう。責任を背負うのが嫌なのかもしれません。

介護の現場には、厳しい仕事もいとわない外国人が少しずつ増えています。

フィリピン人介護士にも、いずれ門戸が開かれるでしょう。
そのとき、フィリピンの医療はどうなっているのでしょうか。
豊かな国・日本は、介護士受け入ればかりでなく、医療そのものを立て直すための手をフィリピンに差し伸べるべきでしょう。

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