国保「停止」は憲法違反のおそれ

佐久総合病院内科医師 南相木村国保直営診療所長 色平哲郎 いろひらてつろう

昨年の暮れ、衝撃的なニュースが新聞に載った。

共同通信の調査で、国民健康保険の保険料を滞納して保険証を返還し、医療機関に受診するのが遅れて病状が悪化して死亡した人が過去6年間に少なくとも11人いたことが分かった。患者のほとんどが不況の影響で会社が倒産したり、給料を十分に支払われなくなった人たちだという。滞納世帯は、現在、約130万世帯といわれているが、保険証を返還すると、自治体は「被保険者資格証明書」や「短期保険証」を交付する。

しかし、資格証明書を持つ患者は、窓口でいったん全額を払わなければならないため、負担が重い。あとで保険給付を受けられるが、滞納分を差し引かれるケースもある。何よりも保険証ではない証書を提示することには言い知れぬ屈辱感、被差別感がつきまとい、病状が進行しても病院にかかるのをガマンすることになる。

具体的に、どのような人が、保険証を返還したために死の淵へ追い込まれたのか、新聞の記事から引用したい。

『二〇〇一年十一月、脇腹を押えた五十代の男性が妻に抱えられ、札幌市内の病院を訪れた。末期の胃がん。緊急入院したが、全身に転移していて手遅れで、約二ヶ月後に亡くなった。男性はその八年前に勤務先の建築会社が倒産、入院前日までトラック運転手の仕事を続けた。月収は手取りで約二〇万円。親子三人の生活費と一人娘の高校の授業料を払うのが精いっぱい。月二万円以上の保険料は払えず、一九九八年ごろから被保険者資格証明書の交付を受けていた。資格証明書で病院に行けば保険が利かず、医療費はいったん全額自己負担。男性は「数ヶ月前から腹が痛かったが我慢した」と話したという。

甲状腺疾患と糖尿病の持病があった北九州の三十代の女性は〇一年4月、衰弱死した。女性は前年二月、保険料を三千円だけ納め、二ヶ月間有効の短期保険証をもらった。滞納分を月々分納すると誓約書も書いたが、体調が悪くて働けず、保険料が払えないまま保険証は期限切れに。自宅で動けなくなり、救急車で運ばれた三日後に息を引き取った。

女性の死後、自宅から手紙が見つかった。「つらい。病院にも行けない。何でうまくいかんのやろう」。手書きで苦しさがつづられていた。北九州市は「保険証更新のため、自宅を何度も訪問したが本人に会えなかった」と説明する』(福井新聞05年12月29日付け)。

記事を書き写しているだけでも胸がしめつけられる。

長野県でも年々、保険料の滞納で保険証を返還するケースが増えている。滞納者といっても、払える余裕があるのに意図的に払っていない人は一部で、多くは娘の学費を優先して命を落とした札幌のお父さんのように払いたくても払えないのである。

長野県国民健康保険室によれば、県内の市町村の「被保険者資格証明書」の発行数は、03年の389世帯から、04年492世帯と増え、05年には何と前年比32.9%増の654世帯となっている。同国民健康保険室の室長は信濃毎日新聞(05年12月29日付け)の取材にこう応えている。

「市町村に対しては、滞納世帯の状況をよく把握した上で、悪質な場合に限って保険証を返還させるように指導している。受診の遅れで病状が悪化したケースは聞いていない」。

はたして、ほんとうに長野県では「受診の遅れで病状が悪化」するケースはないのか。担当者が聞いていないだけですでに事態は進行しているとみたほうがいいだろう。

企業や団体に勤める人が「給料天引き」で保険料が支払われるのに対し、国保に加入する自営業者などは不安定な収入のなかから月々の保険料を支払う。国保の保険料は、前年の確定申告による所得をもとに算定されるが、低所得層でも夫婦と子どもふたりの世帯なら、月2万円〜3万円以上と聞く。生活費を削っての直接支払いは、実質的に「重税」を課せられている感覚であろう。

そもそも誰でも必要なときに医療サービスを受けられる体制を維持するのは国の義務である。国民が国家を縛る掟(国家が国民を縛るものではない)であり、統治権の大原則を規定している「日本国憲法」は、11条で「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」と、基本的人権(生きていくための権利を含む)の「永久不可侵性」を掲げている。

さらに13条は「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定めている。

こうした「原理」に則って「国民皆保険制度」が機能している、はずだ。

憲法は、権力を持つ側の機関や作用の大原則を規定しており、他の法律命令などで変更することが許されない最高法規である。

ところが、現実には国保の保険証が保険料滞納を理由に取り上げられ、人間の生命が失われている。国保が「大赤字」を抱えるに至った制度設計をしたのは厚生労働省保険局を中心とした官僚組織であろう。役人たちはいくら失敗しても公費を注いで切り抜ける。財源不足を末端の滞納者からの「取立て」にすり替える。

保険証を巻き上げての実質的な受診阻止は、重大な「憲法違反」に絡む問題を含んでいる。遺族が訴訟を起こしたら国はどのような理由で基本的人権の侵害を正当化するのだろうか。

「格差社会」の到来を、あたかも時代の必然であるかのようにとらえる風潮が高まっているが、単なる拝金主義の蔓延でしかない。

今回分かった死亡例は、私たちの明日の姿と考えるべきだろう。少子高齢化で少ない財源をどう使い、どんな医療保険を築くのか。医療関係者を含め、制度設計に携わる側は、積極的に情報を開かねばならない。自治体の職員も、自分が保険証を返還させる行為がいかに重大な意味を持っているか再認識すべきだ。くり返すが「憲法違反」のおそれがある。

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