「CIP症候群」を警戒せよ

(CIP三徴候とは : Complacency, Ingratitude, Provincialism)


1994年に86歳で亡くなった秋元寿恵夫(あきもと・すえお)ドクターは、戦時中、「731部隊」に強制徴用されている。
そこで人体実験を見聞したことが、秋元ドクターの生き様に深刻な影響を及ぼした。
のちに病態生理研究所を立ち上げ、臨床検査法を確立し、検査技師の教育・育成に心血を注がれた。
原水爆禁止運動にも積極的に参加している。
が、常に人体実験の過去が脳裏から離れなかったようだ。

秋元ドクターは、懺悔の気持ちをこめて『医の倫理を問う−第731部隊での体験から』(勁草書房)を著した。

その著書のなかで、ロックフェラー財団の医学部長グレッグ博士が46年3月に
ニューヨーク市のコロンビア大学医学部医学科の卒業式で行った講演を翻訳し、紹介している。

グレッグ博士は、優秀とされる医学校の卒業生が社会に出て活動する過程で「身中の虫」として常に心せねばならない
要素として「うぬぼれ Complacency」「忘恩 Ingratitude」「地方人気質
Provincialism」をあげ、これらを医師に限らずエリートなる人々が陥りやすい病いに見立てて「CIP症候群」と命名。
世の中に出てからも「CIP症候群」には用心しろと警鐘を鳴らしている。

具体的には「うぬぼれ」とは、その字義のとおり、優秀とされる学校を卒業した者が抱きがちな自己満足感。
自信過剰になる一方で育ちのよさ特有の「けだるい無気力」にもつながると述べている。

「地方人気質」とは、狭くて自分の立場に凝り固まる傾向で、コロンビア大学などの場合では
「医者としてのそれ、ニューヨーク子としてのそれ、及びアメリカ人としてのそれ、というふうに三重のものとなっている」
と痛烈に批判している。

都会育ちであろうが、井の中の蛙は狭い地方人気質にとりつかれているのだ。

「忘恩」とは、深く物事を考えずに何でも鵜呑みにすることから生じるようだ。

グレッグ博士は、大学が医学生を教育する総コストに対して授業料は「七分の一以下」と概算し、
医学生は大きな利益を享受していると指摘したうえで、次のように語っている。

「この並外れた利益を諸君にもたらしてくれた人々は、いまはすでに親しくことばを交わせる間柄からは
ほど遠い世代に属している。またこのような計算は、医師に託したそのあつい信義に対して、
いつかは諸君が報いてくれるであろうと期待していた人々に、
深く頭をたれて感謝の意を表するのもまた当然であることを思わせるに十分であろう。

いわば諸君は賭けられているのだ。それも六対一の勝負で。
諸君は必ずや自分が受け取ったものを、のちに社会へ引き渡す立派な医師であることに、

多くの人々が賭けているのであるから、どうか諸君、下世話にいう『馬に賭けても人に賭けるな』
の実例にならぬように十分に心掛けていただきたいのである」

エリート医師を養成するといわれる大学の卒業式で、馬より劣る人間になるな、と言っているわけで、
そのシニカルで旺盛な批評精神には脱帽するばかりだ。
日本の国立大学医学部の卒業式で、これだけのスピーチができる「教授」がはたして何人いるだろうか。
米国の懐の深さを感じざるをえない。

さて、秋元ドクターは著書の「あとがき」をこう書き結んでいる。

「ひとりでも多くの若い諸君に、この新刊本(『医の倫理を問う』)と併せて
『医療社会化の道標〜25人の証言』(医学史研究会・川上武編 1969年 勁草書房)とを読まれるようおすすめしたい。
なぜなら、現在わたくしたちが置かれている社会のありようは、無念なことながら、またもやあの当時に逆戻りしてしまったので、
二度とふたたびあのような無法な暴力は絶対に許すまいと、決意を新たにする上でも、

これらの書物で当時の状況を正確に知っておくことがどうしても必要になってくるからであり、
それがまた本書のしめくくりとしてのわたくしの切なる願いともなっているのである」


この本が、世に出たのは1983年だった。
もう20年以上も前なのだが、日本の社会はさらに「逆戻り」の度を深め、抜き差しならない地点にきてしまった感を禁じえない。

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