「フィリピンと日本」


先日、遅い「夏休み」で、久しぶりにフィリピン共和国を訪ねた。
フィリピンは、私にとって医療の原点を教えられた場所。
医学生だった頃、たまたま歴史的関心からフィールドワークに出かけたレイテ島で
スマナ・バルア医師(通称:バブ、現WHO医務官)と出会い、強い衝撃を受けた。
バブさんもやはり医学生として医師を目指していたのだが、彼はすでに助産師として多くの赤ん坊をとりあげ、
密林を分け入った村々で人々を診断し、簡単な投薬もしていた。
 
医学知識の詰め込みで汲々としていた日本の医学生にとって、
彼の一挙一動が新鮮で、かつその意味が皆目わからない自分に愕然とした。
医療のマンパワーが不足しているフィリピンでは、医学生もまた街や村に出かけ、
実践的体験を積みながら医師の資格を目指す。
「人が人として人のお世話をする」、そんな医療の原点が、日々の生活のなかに根づいていた。

さて、そんなフィリピンを久方ぶりに訪ねてみると、とんでもない事態が歯止めのきかないまま進行していた。
以下、「日刊マニラ新聞11月23日付」の「人手不足で私立病院半減」という記事を引用させていただく。

「医師や看護師の海外流出で比の私立病院の約60%が閉鎖に追い込まれてしまった――。


22日、マニラ市内で開かれた比私立病院協会(PHAP)の年次総会で、アントニオ・チャン会長が悲痛な報告を行った。
チャン会長によると、2000年には国内に1700あった私立病院が01年に900、05年には700まで減少した。
今月中だけでも廃業した病院は12を数えるという。

開業している病院でも、海外流出により医師、看護師、助産師などが不足しており、介護士を養成して使うことでしのいでいる状況だという。
チャン会長は、「特に地方に住む人たちの健康状況に懸念を覚える」と語り、
自身の経営するビコール地方マスバテ州の病院では医師が50床に一人しかいないと告白した。
また、人材不足への対策として、厚生省に私立病院向けの「医療従事者雇用センター」の設立を求めた。
比国内での病院勤務医、看護師の月給が一万二千〜一万八千ペソ(一ペソは約二円)であるのに対し、
英国などヨーロッパでは十万〜二十五万ペソに達するという。」

労働者の海外派遣による「外貨獲得」を国策として推進するフィリピンでは、「頭脳流出」による病院崩壊、地域医療崩壊が起きていた。
この現実は日本とも無縁ではない。
日本政府はFTA(自由貿易協定)を通じた「看護師・介護士」の受け入れをフィリピン政府に持ちかけている。
この発端はアメリカ合衆国から突きつけられた「人身売買への批難」である。

昨年まで日本は、毎年、8万人のフィリピーナに期限つき「興行ビザ」を発
給して入国を認めていた。彼女たちの多くがホステスとして飲食店や
派遣先のクラブで働き、契約に反した(売春を含む)ひどい労働条件で「円」を稼いでいた。
その状況を「人身売買」とアメリカから厳しく指弾され、日本政府は慌てて興行ビザ枠を約10分の一の8千人ほどに狭めた。
今後は、当人がエンターティナーとしてしっかり訓練を受けているかどうかを厳しくチェックしてからビザを発給するのだとか。

しかし、いまもマニラの日本大使館前には日本行きを求める女性たちが長蛇の列をなしている。
彼女たちにとってビザを手にできるかどうかは、死活問題なのだ。
一枚のビザに大勢の家族の生活がかかっている。

日本政府は、興行ビザを激減させた代わりに看護師・介護士の受け入れを打ち出したのである。
ところが、その数は……両者ともに百人ずつ。
フィリピン側は「ケタが全然違う。冗談にもほどがある」と怒る。
日本の看護協会は、「安い」労働力としてフィリピン人看護師を使う病院が増え、
日本人看護師の労賃の価格破壊が行われる、として「受け入れ反対」を叫ぶ。
日本政府は、受け入れ基準として「看護大学または四年制大学を卒業し、
入国後も(日本語での)看護師ないし介護福祉士国家試験合格資格の取得を義務付ける」と表明している。

フィリピン人看護師の受け入れは、そうそう簡単には進まないだろう。

焦点は、もう一方の、介護士である。

現在、日本の看護労働市場で必要とされている介護士の数は92万人。
これに対し、実際に従事している介護士数は40万人。
実需の半分にも満たない。
介護の現場は、肉体的にも精神的にも過酷だ。
日本に数百万人単位のフリーターがいるからといっても、彼ら、彼女たちは介護の仕事には見向きもしない。
その日暮らしの気楽さを手放さない。
介護の現場には徐々に日系ほか外国人が増えている。

フィリピン人介護士への「門戸開放」は、今後ある程度進むのではないかと考えられる。


受け入れに際して、どのような入国基準を設けるかは議論の対象になろうが、もともと米国からの「人身売買批難」が起点の話。
泥縄式の感は否めない。フィリピン人介護士が、セックス産業などに巻き込まれないよう、きちんと手を打つ必要がある。

まず日本側は、病院と福祉施設の連携がとれた地域で、「まっとうな」介護労働を提供し、
それへの対価がきちんと支払われる「モデル」を構築する必要があるだろう。

一方、送り出すフィリピン共和国側の仕組みづくりで重要になるのは、「頭脳流出」への対策として構想される「人材の還流」の発想だ。
フィリピン側で日本語とある程度の医療、看護知識を身につけた人が、来日し、日本の医療・介護現場で経験を積んだら、
その後必ず母国に戻り、崩壊しつつある地域医療・介護体勢の立て直しに貢献できるような制度設計が求められる。
日本のODAは、そのような人材還流と地域医療再生にこそ使われるべきではないだろうか。

欧米、そして中東に流出するフィリピン人医師、看護師たちは、せっせと母国へ送金しながら、いつか本国に帰りたいと願っている。
彼らは国を捨てたわけではない。生きるために、家族への送金のため、国外に出ているのだ。
振り返れば、高度成長期、日本でもそんな思いで地方から都会へ、民族の大移動が行われた。
日本は、地方の農業、林業、炭鉱を潰し、労働力を都会に集中させることで経済発展を手にした。
いま、国際経済の固定化された圧倒的格差に対して、日本人は何をなしえるのだろうか。


(佐久総合病院内科医師 長野県南相木村国保直営診療所長 色平哲郎 いろひらてつろう)

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