「NHK社会福祉セミナー」2005年10〜12月号インタビュー

長野県南相木村(みなみあいきむら)診療所長
佐久(さく)総合病院内科医
            色平哲郎(いろひらてつろう)さん

福祉は「権利」。
今こそ、憲法の役割を取り戻そう(タイトル)

(リード)
高齢化率38%の過疎の村で、医師として村民の生と死に向き合っている色平哲郎さん(45歳)。
日々の診療の傍ら、HIVに感染・発症した外国人らの支援にも取り組んできた。
患者の目線と、国境を越えた広い視野で、信州の村からさまざまなメッセージを発信し続ける
色平さんのもとには、毎年多くの医学生たちが実習に訪れる。
医療や福祉を取り巻く状況が変わっていく中で、いま福祉に求められるものは何か、お話を伺った。


アジアの「地域ケア」に触れて(見出し)

(解説)
 長野県の東南端、群馬県境に位置する人口一三〇〇人弱の小さな村、南相木村(みなみあいきむら)。
長く無医村だったこの村に、色平さんが初代診療所長として家族とともに移り住んだのは1998年のこと。
隣村・南牧村(みなみまきむら)での二年間の医療活動を加えると、村医者の生活も一〇年目を迎えた。
 色平さんが地域医療の道に進むまでには実に紆余曲折あった。小学生のとき担任から「特殊学級」を
勧められたという色平少年は、今思えば自閉症のタイプの一つ、コミュニケーションに障害が生じる「ア
スペルガー症候群」で、人前ではうまくしゃべれない子どもだったという。
 その少年も有名進学校から東大工学部に入学。だが在学中、シベリアからヨーロッパ、インドを巡る
旅に出たことをきっかけに4年で中退、家出同然に内外を放浪する。茨城でキャバレーのボーイをやった
後は、しばらく野宿生活を送った。
 京大医学部に入り直した後も、建設現場で働いたり、アジアの国々を旅する。それらの体験の中でマイ
ノリティとして疎外されている人々や社会の底辺に置かれている人々と触れ合ってきた。

 なかでも一九八六年に訪れたフィリピン・レイテ島でのスマナ・バルア医師(愛称バブさん=jとの
出会いは、その後の道を決定づけるものとなった。
 バングラデシュ出身のバブさんは、当時、フィリピン国立大学レイテ校で学ぶ医学生で、彼の「実習」
に同行し、村を回った色平さんは激しい衝撃を受ける。ここでは医学生たちが問診をしたり簡単な薬を与
えるなど、村の医療活動の一部を担っていた。「実習」がそのまま医療実践であり、「ケア」ともなってい
たのだ。まさに医療と福祉が混然一体となった「地域ケア」が展開されていた。
「これはやってみるべき価値がある」。そう思った色平さんは、バブさんから日本でも実践している例が
あることを聞く。地域医療の拠点として名高い佐久総合病院である。  
 若月俊一(わかつきとしかず)院長(現名誉総長)率いる佐久総合病院は、「農民とともに」を理念に医
師や看護師が人々の中に飛び込み、病気の診療や予防に先駆的な実践を積み重ねていた。その活動は国際
的も高く評価されており、1976年に若月氏は「アジアのノーベル賞」と呼ばれるマグサイサイ賞を受賞し
ている。
 色平さんは、ここ佐久総合病院で医師としての第一歩を踏み出し、京大病院や埼玉県の病院などで経験
を積んで佐久に戻った。かくして「風のひと」色平医師は、「土のひと」の中で生きる医者となったので
ある。

(話)
 若月先生の場合は敗戦の少し前から佐久にいるから、もう六〇年になる。彼は早いうちから生活とか福
祉を織り込んで地域の中で医療を展開しようとしていたんです。それは先駆者すぎて、とても当時まわり
の人が理解できたとは思えない。そういう日本ではなかなか理解されなかったものも、英訳されてフィリ
ピンに届くと有効性があり、そこで展開されている医療に僕は出会った。それでフィリピンから日本へと
逆にたどって、まったく縁のなかった長野に来ることになったわけです。
 学生時代に若月先生の書いた本(『村で病気とたたかう』〈岩波新書〉)は読んだことがあったけど、
そのときは本の内容と苦労がわからなかった。10年目にして少しわかったかな。 
 地域医療は医療の一分野というより、地域の一役割なんです。地域には子育てとか介護とかいろんなボ
ランタリーな取り組みがあって、医療や福祉もその中にある。地域の人から学ぼうという姿勢がなければ
だめ。人間が人間のお世話をする中で、医師である前に人間が問われます。
 地域医療でも福祉でも、大事なのは人間が人間をお世話する、「ケア」ということでしょう。ではケア
とは何でしょうね。小児科医でもあった故・松田道雄(まつだみちお)さんはケアの定義について「親しい
人の心のこもった世話」と書き残しておいでです。
 これが難しい。たとえば私があなたのお世話をすることになったときに、ただ世話をしているというこ
とを超えて、まず「親しく」なれるか。親しくないわけですよ、最初はね。だけど、親しくなれるかどう
かをチャレンジする、親しくなろうと努力するのが、松田道雄の定義の第一。
 そして親しくなると、相手の欠点も見えてくるから、ぞんざいになるかもしれない。「心がこもった」と
いうことは難しいですよ。そういう難しいことを福祉はやっているんじゃないですか。

 今の状況は介護サービスが市場化されていて、この傾向はどんどん強くなるでしょう。しかし、にもかか
わらず、単なるケア、単なるサービスではなく、「単なるサービスを超えて親しくなれるか」とか、「心が
こもっているか」というチャレンジをいつもして目指してほしいと思いますね。

少子高齢化と市場化が進む日本。
「ケア」の仕事を誰が担うのか(見出し)

(解説)
 高齢社会が進行し、高齢障害者が増えると、医療と福祉の垣根を越えて、「ケア」がますます必要とされ
るが、少子化問題や看護師・介護従事者の労働条件が改善されない以上、大幅な人手不足は避けられない
ことが予想されている。
 危機感が高まる中で、日本政府は昨年12月フィリピンとの自由貿易協定(FTA)交渉の結果、看護師
と介護士の受け入れに踏み切った。
 その概要は、@受け入れ人数は看護師100名、介護士100名の200名までとする、A就労ビザは日本人と同
等の資格の取得を条件とする、B日本はODA(政府開発援助)によりフィリピンに専門家を送り、日本の
文化、日本語教育、現場実務などの教育・訓練をフィリピン政府と協力して行う、C就労先となる病院や介
護機関の紹介は日本の公的機関が行う、というものである。
 世界中を覆う経済のグローバル化の大きな波の中で、欧米をはじめ、サウジアラビア、台湾、シンガポー
ルなどでもフィリピン人看護師・介護士の受け入れが進んでいる。
  色平さんは日本政府の決定に強い危惧を抱き、「その背景に目を向けてほしい」と訴える。

(話)
 近い将来、フィリピンから看護師や介護士が日本にやってきますが、そのとき日本の医療や福祉の現場は
彼女ら、彼らをうまく受け入れてケアの質を高められるでしょうか。言葉や習慣、歴史、宗教などの違い、
いろんな面で、それぞれの現場は試されることになるでしょうね。
 僕が最も恐れるのは、「仕事を奪われた」といって、日本人が差別的な態度をとること。外国人労働者を
多く受け入れている国では、そういう反発が生じているのも事実です。
  でも、考えてみてください。なぜ彼女たちは専門的な知識に加えて日本語まで身につけて、わざわざ海を
渡ってくるのか。その根っこには何があるのか……。
 実はフィリピン国内の医療を取り巻く環境は、ずっと貧しいまま放置されているんですよ。たとえばフィ
リピンの乳幼児死亡率は、日本の約10倍、結核患者は60万人もいる。看護師一人が担当する患者は100人と、
とんでもなく危険な状況です。 
 医療関係者は低賃金とひどい労働を強いられている。患者を救いたくても、国にお金がなくて助けられな
い。手っとり早く稼ぐには外国に出るしかない。この現実が、彼女たちを海外へと向かわせるんです。
 フィリピン政府は、労働者を海外に送り出してお金を稼いでもらうことを国の方針とし、貧しさを乗り越
えようとしています。人の命を助けたい、お世話をしたいと志して医療や福祉の道に進んだ人が、目の前で
苦しむ人にかかわることもできず、海外でお金を稼ぐ……。彼女たちの胸の奥にある哀しみを、私たちは深
く受け止めなければいけないですよ。
 それに注目してほしいのは、日本の財界が外国人労働者の規制緩和の理由に、「高いレベルのサービスと
リーズナブルなコストを実現するためには、外国人看護師・介護士の導入が必要」(「規制改革・民間開放
推進会議」資料)とあげている点です。
 人間の受け入れを「導入」と、まるで機械やモノのように表現していることからして感受性のかけらも見
られませんが、ここで「低賃金で働かせる」と堂々と宣言しているんです。そうなれば、日本人スタッフに
も影響が及ぶでしょう。
 財界が人件費を下げるために外国人スタッフを入れようとするのは、その先に病院も株式会社が経営でき
るように利益を上げたいとの狙いが潜んでいるからだと僕は思いますね。
 とはいえ、現実は動き出してしまった。日本はフィリピンへのODAで、日本向けの看護師・介護士の養
成にとりかかっていますが、人道的な援助であれば、まずフィリピン国内の医療を整え、看護師たちが自国
で働けるような環境をつくることに努めるべきではないでしょうか。
 フィリピンから来る看護師・介護士は献身的にケアをするでしょう。でも、その微笑の裏には母国の貧し
く、満足な治療も受けられない人たちの苦しみがはりついているのを知ってほしいのです。

福祉の増進のために立憲主義を(見出し)

 最後に、読者に最も伝えたいことは、憲法と民主主義についてです。
 福祉予算は厳しい状況にありますが、逆にいうと、なぜこれまで福祉に予算がついていたのでしょうか。
たとえば、障害者といわれる人が5%いるといいますが、残りの95%は、本音をいえば、切実には障害者に
意識は向いてないでしょう。「少数意見の尊重」と但し書きを付けても、多数決にならざるをえない民主主
義でやっている限りは、福祉に予算がつくはずがないんです。
 実は、これは憲法25条あってのことなんですよ。ここには「生存権」が謳われ、「すべて国民は、健康で
文化的な最低限度の生活を営む権利がある」と書いてある以上、それを実現しなければいけない。この条文
に基づいて、いろんな法律が作られたから、社会福祉制度や社会保険の制度ができて国民皆保険にもなった
わけでしょう。福祉の人はもっと25条に注目するべきですよ。 
 でも憲法のいちばん大事な条文は99条です。「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公
務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」。もし、法律と道徳の相違が強制力の有無だとするなら、
憲法は公務員にとっては法律ですが、民間人にとっては道徳です。民間人である私は憲法を守る義務はない
けれど、公務員は遵守義務がある。憲法と法律はまったく異なるものなんです。
「憲法とは何か」と問われれば、「国家を縛っているもの」。これを立憲主義といいます。日本国憲法は、
立憲主義に根ざした憲法です。
 では福祉が増進するためには、どうすればいいのか。「国民が主権者であって、憲法を使って国家を縛っ
ている」という本質を取り戻すことです。
 それには立憲主義と民主主義とが緊張関係にあることがわかっていないといけない。多数決を原則とする
民主主義は、「数は力」というように、多数者、強者の決定にならざるをえません。強者が個人の「人権」
を侵すおそれがあれば、その暴走から少数者、弱者を守る手段を講じなければいけない。それが憲法です。
人権とは、権利の一つというより、他人の権利を守る「義務」のことにほかなりません。

 だから立憲主義は民主主義と緊張関係にある。社会がよくなり福祉が充実するためには、立憲主義の観念
が必須です。
 立憲主義はヨーロッパの歴史の中で鍛え上げられてきたものです。19世紀の憲法上の人権は「自由権」で
した。ここには当然、経済的活動の自由も含まれていて資本主義が発達したのだけれど、独占が増し貧富の
差が拡大、失業や疾病など社会矛盾が激化した。いったんは縛り上げた国家の力を発揮させないと矛盾が解
消されないから、20世紀に、生存権や勤労の権利など「社会権」ができたわけです。19九世紀と20世紀を踏
まえて21世紀があるんじゃないですか。
「改憲」が現実味を帯びている今、「福祉は権利だ」と国や公務員に対して意見表明の声を出すことができ
るかどうかが問われていると思いますね。

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