「逃げない」「隠さない」「ごまかさない」

「大阪保険医協会」05年9月号掲載

情報を取捨選択する能力が、「生命」に係わるような時代になった。
インターネットは確かに便利ではあるが、発信する側の「恣意性(利害、嗜好、イデオロギーなど)」に左右される面が少なくない。
うっかりその情報を真に受けたら、とんでもないことになりかねない。
インターネット・サイトを利用した殺人や詐欺が、フィクションではなくなった。

個人が玉石混交の情報をどう読み解くか、そのリテラシー能力を磨かなければ
生命や財産を失いかねない時代になったのである。

高度情報社会は、つねに「真か偽か」「騙されていないか」と、見えない心理的圧迫を人々に与える。
そして、情報が溢れるほどに、その発信源の信頼性、公正さを社会全体が厳しく問おうとする動きもまた加速する。

病院に向けられる視線も例外ではない。

医療事故に対して、医療に携わる者はどのような姿勢で臨むべきなのだろうか。

「過失」が情報としてメディアに載るかどうかばかり気にしているうちに、すべてが後手に回ることだけは避けたい。
隠蔽に走れば、その情報は、拡大され、繰り返され、発信源そのものに大きなダメージを与える。
まずは、加害と被害という関係の絶対性を真摯に受け止めるところから対応を始めなければならないのではないか。

ひとつの例を紹介したい。 

数年前、国立N大学医学部付属病院で成人男性患者を死に至らしめる医療事故が起きた。



潰瘍性大腸炎の治療として行われた腹腔鏡手術の過程で、執刀医が器具の操作を誤り、大量出血を招いた。
患者は、心停止。長時間の心臓マッサージを受けたが、多臓器不全で亡くなった。
医師の過失が、健康を回復させるはずの手術を暗転させた。

N大病院では、事故後、直ちに6名のメンバーによる事故調査委員会が組織された。
委員の半数は外部から招かれた。患者側から30年ちかく医療過誤訴訟を担当してきたK弁護士も加わっている。
病院組織を守ろうとする医師と攻める弁護士、両者がひとつのテーブルにつき、
事故から12日後に第1回の調査委員会が開かれた。

水面下では、担当外科医、応援で駆けつけた血管外科医、麻酔医、看護師たちの徹底的なヒアリング
による事実関係の認定、資料類での検証が行われた。
容態急変後の医療スタッフの行動については遺族にも聞き取り調査を試みている。
そして事故から2ヶ月後、「医療事故調査報告書」がまとめられ、一般にも公開された。




報告書(一般用)には、朝8時40分に患者が手術室に入ってから、手術ミスを犯す状況、



大量出血後の緊急輸血や懸命な救命措置が、400字詰め原稿用紙にして120枚を費やして、びっしりと記されている。
手術室という密室での出来事を可能な限り再現しようとする意思が伝わってくる。

報告書は、事故の発生要因を、こう分析している。

まず、米国のメーカーが開発した先端に鋭利な刃物がついたトロッカーが持つ危険性を指摘し、
執刀医が手技を誤ったのは手術中の「立ち位置」に問題があったとする。

本来は、患者の体に近い側からトロッカーを挿入すべきなのに執刀医は遠い位置から移動せず、手技を行った。
手術部位と執刀医の「目」が離れていると、手の動きと内視鏡カメラ画像の間に感覚的なズレが生じる。
さらに腹壁が膨らむようなテンティング現象が生じたら原則的にトロッカーを入れてはならないのだが、
そのまま挿入したことが、腹部大動脈の損傷につながったと決定づける。

さらに手術中、緊急出血などが生じた場合、麻酔医が「リーダーシップ」を発揮して
スタッフ全員に全身状態を刻一刻伝えていくべきだが、執刀医との間に意思疎通上の問題があったと指摘。

チーム医療の大切さが指摘されて久しいが、現場が「上下関係」に支配されている現状に言及している。

また執刀医が看護師に「血管外科の先生を呼んでくれ」と緊急の応援を要請したにもかかわらず、
緊急呼び出しの情報伝達システムが未整備で、建て増しした病棟が複雑に入り組んでいることなどから
血管外科医による止血まで30分を要したことにも触れている。

報告書は「遺族に対する心のケア」の大切さを強調する。

「主治医は、遺族に対してありのままの事実を誠実・正直に伝えるとともに病院として遺族の苦悩、
心の傷を受けとめ、誠実に向き合うことのできる担当者を配置すべきである。
(中略)もちろん、単なる『なだめ役』ではかえって有害な存在になりかねない。
遺族の心の傷に寄り添い、遺族をサポートすることが大切である。
その仕事上、独立性が保障されている機構が将来的に構築されることが重要である」

これも見逃せない提言だろう。K弁護士によれば、医療事故被害者の心の動きは、
@原状回復(もとに戻してほしい)、A真相究明(真実を知りたい)、
B反省と謝罪(悪いことをしたのだからゴメンナサイと謝ってほしい)、
C再発防止(どうすれば事故を防げるかを示してほしい)、D損害賠償(生活に具体的な困難が生じているのを償ってほしい)

の順だという。

事故が起きると、世間は野次馬的な関心からDに注目したがるが、被害者の心の動きは@〜Cが先である。
民事訴訟裁判も損害賠償面をクローズアップする制度になっているが、順番があべこべ。



被害者心理を十分に理解した「独立的な機構」が、被害者のケアに当たることは
病院側にとっても失われた信頼をかちとるために重要なのではないか。

その後、N大病院での医療事故は、国立大学を管轄する文部科学省が遺族に賠償金を支払い、示談で解決した。
報告書の作成を指揮した医師は、医療事故への病院側の対応において次の三点が重要だと力をこめて言った。

「逃げない」

「隠さない」

「ごまかさない」

官民問わず「組織の透明性」が求められている今日、N大医療事故調査委員会が示した方向性は、
古くて新しい「倫理的基盤」を示唆しているといえるだろう。

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