素の「他人」への真心


「読売新聞」都民版 とうきょう異聞  連載16回目

「はじめまして、バカヤロー」。
隣人同士が没交渉の大都会のマンションでは、そんなあいさつが珍しくないと友人から聞いた。
例えば騒音問題。
周囲の迷惑を顧みず、平気で大音量を流す輩(やから)がいる。
やかましさに耐えかねた隣人が、ドアをノックし、いきなりこのセリフを吐く。
関係はますます悪化する。

日本人は、どうも「他人」との付き合い方が下手になっているような気がする。
元来、我々日本人は「身内意識」が強いといわれる。
知っている人以外は「赤の他人」として無視を決め込む。
しかしそれでは、人と人の接点の積み重ねである教育や医療福祉は成り立たなくなる。


多くの人が「好きな人と好きなところでずっと暮らし続けたい」と願っている。
だが、齢をとって体が弱るにつれて、それがかなわなくなり、「他人」の手によるケアが求められる。
小児科医としての実践と深い洞察力で「医療界の良心」といわれた故・松田道雄ドクターは、
「ケアの本質は親しい人の心のこもった世話だ」と語った。
他人と他人とが最初から親しいはずがない。
ケアする側には、相手に親しみや真心を感じてもらえるまでチャレンジが続く。
その第一歩は、相手を他の誰でもない素のままの「あなた」だと認めることであろうか。


職場や世代、出身校、出身地といった属性によって群れたがる人も、
年をとれば集団から距離を置かざるをえなくなる。
すると、肩書という仮面の下から素顔が現れてくる。
それをどう受けとめるかが重要だが、難しい。
素顔の個人を受け止めるには、こちらも個人としてシャキッと自立していなくてはなるまい。
いずれにしても、ケアでは嫌でも他人と付き合わなければならない。
普段から「他の誰でもない自分」「そんな自分だからこそわかる大切なあなた」と意識化できているだろうか。

昔は、不特定の他人の集まりを「世間様」と言って大切にしたものだった。
ところが、いつのまにか「世間」とは、大会社や官僚組織が一般に迷惑をかけた時に
引っ張りだすお手軽なコトバに変わった。

「世間をお騒がせして申しわけありません」。

いったい誰に謝っているのだろう。
他人が目に入っていないのか……。

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