対談  地域医療と外国人受け入れ  現状と未来を考える

色平哲郎
(長野県南佐久郡南相木村診療所長)
春原憲一郎
((財)海外技術者研修協会日本語教育センター長)


間もなく、外国人看護師・介護士の受け入れが
始まろうとしています。
その背景には、日本やフィリピンの
どのような社会事情があるのでしょうか。
長野県南佐久郡南相木村在住で
僻地診療や外国人支援に携わる色平哲郎さんと、
財団法人海外技術者研修協会で
技術研修生の日本語教育に携わる春原憲一郎さんに、
地域の現状とこれからを話し合っていただきました。


外国人受け入れ
第四期へ
春原 第二次世界大戦以降、日本が国策としての外国人を受け入れたのは、八〇年代のインドシナ難民と中国帰国者が最初です。国策として受け入れたので、外務省や当時の厚生省が音頭を取って、日本語支援、生活支援をしました。一方、八〇年代後半に入ってきた外国人配偶者や労働者については公的な支援はなく、地域のボランティアが支えてきた。九〇年代になると、南米の日系人と技能実習生が来た。実習生は技能実習制度で来ているので、日本語教育を一五〇時間程度やって企業に送り出す。でも、日系人は日本語ができるだろうということで、日本語教育は公的にはしない。国策として受け入れた人と、自分で来た人への対応は使い分けられています。今度、EPA(経済連携協定)やFTA(自由貿易協定)の中で、フィリピン人の看護師や介護福祉士を、国策として受け入れることになりましたね。これを、現場の医者としてどう思います?
色平 福祉職には報われるだけの給料を出せないし、看護師も多くの患者を相手に長時間働かなければならない。恵まれた職場じゃないから、日本人がなかなか来ないし、来ても長続きしません。だから、団塊の世代が高齢になるのに備えて、外からの人が必要だという議論が起こるのも、わからなくはない。でも、僕のところには、フィリピンから抗議の声が届いてます。フィリピンでは、二〇年前からアメリカへの頭脳流出が問題になっています。日本が受け入れを始めると、なけなしの人材をさらに引っ張られることになる。実は、十数年前に外国人を介護の現場に、という話が持ち上がったことがあります。ある私企業が、ちょっとお金がある老人をフィリピンに送って現地の人に介護させ、日本語ができるようになったら日本に呼んで、介護に当たらせようとしたんです。ところが、周囲からは老人の棄老計画のように受け取られた。どこかの県の医師会が進めようとしたけど、政府から止められたいきさつがあるんです。FTAの話が出た時には、アジアとの本当の和解のきっかけになればいいと思ったけれど、その十数年前のことや、頭脳流出のことが引っ掛かります。
春原 現場では、本当に人材が足りないんですか。
色平 いい人、熱意のある人をきちんと遇することができていません。人数的にも足りないですね。介護福祉士というのは、ヘルパー二級・三級の上にある肉体労働職なんですよ。それゆえに燃え尽きちゃう人が多いんです。以前、老人のケアをして、母国に送金していた日系人もいたけれど、なかなか難しいんじゃないかな。
 医療の話になりますが、国際比較をした場合、日本の医療パフォーマンスは悪くないし、看護師を含め、現場は頑張ってるんです。ただ、OECD三〇カ国の中では、医師数が非常に少ない。それなのに外来の患者数は多いし、先進国の中では医療費が非常に安い。今になってやっと、医師数が少ないのは、医師会が数を抑えさせてきたからだとか、介護福祉士が足りないのは福祉にいくべきお金を医師会が医療に誘導していたからだとか、いろんな問題点に少しずつメスが入れられるようになってきたところです。

グローバル化と
地域の空洞化
春原 色平さんは本の中で、教育熱心な家庭ほど、子どもが地域を出ちゃうと書いてるでしょう。近代の教育制度は子どもたちを家や地域から離陸させ、地域が空洞化していくという状況が確かにありますよね。これと同じことが、日本とフィリピン、インドとアメリカなどの間でも起きている気がします。グローバル化の中で、優秀な人材とか労働力が移動するという、「地域」の階層化・周縁化が起きているんじゃないでしょうか。
色平 確かにそうです。農村のおばあさんたちは、娘に自分と同じ苦労をさせたくないから都会へ出したい。でも、息子には嫁が来ないと困るというジレンマを抱えてる。村では、「長男は利口に育てちゃいけないよ」と言うんです。会合で意見など言ったりしたら、村の中で浮いてしまうわけですから。そんな息苦しい村社会から皆が都会に出たのは、必然なんですよ。
春原 地域社会では、特に少子高齢化が進んでいますよね。そういうところのケアを担う人材が、経済のグローバル化と規制緩和によって自由に移動できるようになる。少子高齢化とグローバル化が、構造としてつながっているということはあるでしょうか。
色平 イギリスのブレア政権のブレーンでもある社会学者のアンソニー・ギデンズは、グローバル化によって四つの変化が起こると言ってます。その一つが「家族の変容」ですが、これは家族の形が変わったり、国際結婚が増えるということです。家族の形が変わって女性の社会進出が進み、シングルマザーでも働ける社会になると、子どもの数は増えるんです。でも、日本はそういう構造になっていない。どうしたら女性が子どもを産んでくれるか、根本的なディスカッションもされていない。それから、グローバル化でカネやモノは簡単に国境を越えられるが、人は超えられない。ある種の人だけ超えさせてあげるという差別の構造が、ますます強くなるかもしれません。今までも外国人労働者は周縁化されてきたけれど、日本は何も対策を取ってこなかった。その場限りで外国人を受け入れて、大変なところは民間ボランティアがやってきたんです。
春原 長野オリンピックの建設ブームで外国人労働者がたくさん入ってきたころ、色平さんは佐久国際連帯市民の会(ISSAC)を立ち上げ、地域で外国人支援を始めましたね。
色平 一五年前に活動を始めた時には、外国人のHIV感染などの問題があったのに、行政はそっぽを向いていたんです。彼らは性感染症を広げる悪い連中だと、差別や偏見が広がっていました。僕たちは、そういう人の「医・職・住」を支援してきたんです。でも、田中県政になって、状況は全く変わりましたね。田中知事は、「国民ではなくても、信州の人間というアイデンティティーを大切にしてほしい」というようなことを言っています。NGOがやってきたことは本来、県がやるべきだったという位置付けになり、県が相談業務を積極的に引き受けてくれるようになりました。ただ前県政では、オリンピック関連施設や新幹線を作った後に彼らを追い出し、金持ちの国の人を招いてオリンピックを開いて国際交流といってみせたのだから、どうしても差別感はぬぐえませんけどね。
春原 一九九六年、ISSACが企画して、タイから僧侶のパイサーン師を呼び、佐久地方のタイ・コミュニティーを行脚してもらいましたよね。その時のことを色平さんは「魂のケア」と言ってるけれど、これはどういう意味でしょうか。
色平 ケアというのは、人間として人間の世話をすることです。タイ人の仏教徒としてのケアは、医療ではなくお坊さんがやってくれたほうがいい【注】。タイの人たちが拝んでいる姿をテレビで見た私の父は、「生きてる仏教だ」と言ったんです。これを表現するには、「メンタル」を超えたもの、英語で言うなら「スピリチュアル」になると思うんです。日本ではお寺が権力を持った時代もあったけど、今は医者が権威ですよね。ほんとに痛い時は、お医者さんは神様の次に偉い(笑)。日本人は、目に見えないものを見て、聞こえないものを聞くような精神世界を失っちゃったんですね。
春原 今の教育でいちばんできていないのは、その部分かもしれませんね。

「風の人」が
村から学ぶもの
春原 僕は日本語教師に、教室の中の学習者という姿しか見ないのはダメだと言うんです。仕事の現場に行くと、研修生の目付きは全然違うし、教師との力関係が逆転する。そういう現場を見ない限り、教師と学習者という教室内の力関係は変わらないんですよ。色平さんのところには、医者や看護師の卵たちが、年間百数十人、研修に来るそうですね。そういう人たちに、仕事をしている老人や村人の姿を見せていると聞きました。
色平 かっこいい老人に接して、彼らのプライドやこだわりを聞き取る作業をしてもらいます。患者という弱者になってしまった老人を医療現場で見る前に、長い人生をたどってきた人の中には達人・名人がいることに気付いてもらいたい。学生にとっては、自分はそういう人間になれるのかと問う、アイデンティティーの問題を考える機会になっているようです。
春原 一九四七年には九割の人が自宅の畳の上で死んだけど、今は逆転して、九割が病院で死ぬそうですね。
色平 自宅で人を看取るのは大変で、嫁が嫁であった時代だからできたことです。医療現場では、ごくたまに、亡くなっていく人の本音が聞けることがあります。第一に「おらっちは家にいたい」と言う。「好きな人と好きな所で暮らしたい」という万人の願いですね。次に「痛み苦しみは取ってくれ」、そして「治るもんなら治してくれ」(笑)。この矛盾した命題を日本人全体に実行するためには、医療職だけでなく、膨大な数の、しかも他人のつらさや痛みに共感する能力に優れた福祉職が必要になります。EUでやっているように雇用形態を変えて、どんどんシングルマザーを雇用するべきですよ。
春原 色平さんは本の中で、「緊急医療」が医療のメタファーになってしまったと書いていますね。それと同様に、教育のメタファーは「受験教育」で、競争して順番をつける、友達は敵だということになっています。僕は、医療や教育のメタファーを変えていく必要があると思うんです。医療なら地域医療という日々の快食・快眠・快便のこととか、教育なら日常の中で周りのお年寄りや友達と遊びながら学ぶというような、新しいメタファーをつくるのが大事だと思うんです。グローバリゼーションの競争原理の中で勝つ人間ではなくて、地域の中で根を生やして、地域づくりをしていく人間を育てる必要があるんじゃないかなあ。
色平 そのご指摘は正しいと思います。目的意識を持って生きるのは、実は、まずい部分があるんですよ。目的というのが、中学生にとってはいい高校、高校生にとってはいい大学、サラリーマンには仕事の成功になってしまう。成功することは大事だけれど、成功しても次々に壁が出てくる。自分の価値観でなく、皆の価値観に突き動かされていると、最後には自殺したくなっちゃう。そうではなくて、流されながらも、その場の役割を担っていくこと、それに手ごたえを感じることが、今後、大事になると思います。村のおじいさん、おばあさんは、炭焼きや子育てという自分の役割を担って、一〇年、二〇年かけて技を身に付けてきた。それは、庶民として埋もれていく生き方ではあるけれど、その中に素晴らしさがあるという考え方が江戸時代にはあった。それを取り戻さなければならないと思うんです。でも、僕は「風の人」だから、思っても実行するのは難しい。僕の役目は、「土の人」(村の人)がやっていることの素晴らしさを外に発信していくことです。
春原 色平さんの奥さんは、その間にいる「水の人」って気がします。
色平 彼女は翻訳者ですね。僕は土の人の言葉、「村語」が本当に理解できているかどうかわからない。でも、彼女はうまく聞き分けてる。「医者語」「行政語」「村語」を翻訳できる人、それぞれの人の気持ちに沿ったスピード、ギアで話せる人。そういう人こそ福祉の中で求められるんです。僕は、医療と福祉では福祉のほうが難しいと思います。医療は、膨大な知識が要求されるけれど、だれでも同じことができる必要があるから、マニュアル化されている。でも、福祉は相手によって変わってくることがすごく多くて、これという正解がないのです。

【注】……日本では祭壇の死者に向かって読経しますが、タイのお坊さんは生きている人に向かってお経をあげ、語りかけます。生きている人々の「魂のケア」に取り組む宗教なのです。タイでは寺と出家者であるお坊さんの存在が、村人の生きる拠り所であり、善悪の基準の要になっています。(色平氏のHPより)

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