出会い  目指す医師像、レイテに見る


一冊の本と一人の人物をご紹介申し上げたい。

本は英語の本で「Where There Is No Doctor(医者のいないところで)」。
日本語訳はないが、世界の八十数ヶ国語に訳されている。
人物は、バングラデシュ出身の医師で、スマナ・バルアさん(通称バブさん)だ。

本は、デービッド・ワーナーというアメリカ人の生物学者が、
メキシコ西部の山中の村に暮らして書き上げたスペイン語を英語に戻したものだ。

日本と北アメリカの一部、ヨーロッバの一部を除いて、
地球上のほとんどの街や村に医者はいない。
医者がいない環境の中で、文字が読めない人であっても
きちんと使いこなせるようにと著者自身がイラストを描き、
「こうれば安全に出産ができる」「こうすれば骨折の治療ができる」、
あるいは「このような薬の使い方はいけない」と、
細かくやさしい言葉で説明してある。

生きた英語の勉強に最適で、私も中学生のころに
この本に出会えていたら、もっと熱心に英語を勉強した、と思う。
世界の紛争地や農村保健の現場では、
この本に記された程度の英語がしゃべれれば「十分」だ。
日本の医師のほとんどが、この本の存在すら知らず、
日本語訳もないということは、日本が医療に恵まれているからである。

バブさんは、私が無医村で働く医者になろうという気持ちを固める
きっかけを作ってくれた人だ。

医学生だった時、フィリピンのレイテ島で出会った。
レイテ、サマールの両島は、
フィリピンでも最も貧しい地域として知られている。
こうした地域からは、
なけなしの人材が都市や海外に流出してしまうものだ。
「頭脳流出」に悩んだフィリピン政府は、レイテ島に医学校を設立、
バブさんはそこの学生だった。
もっとも彼は、その時点ですでに看護士で保健士で、
地域の助産士としても200人以上の子どもをとりあげる活動に加わっていた。

バブさんの活動に同行した私は、同じ医学生ながら、
レイテ島では、全然人々の役に立つことができず、ただ見ているだけだった。
私の力は、設備の整った日本の病院でこそ多少は生かせたが、
島では、一冊の本(「医者のいない〜」)にも及ばなかったのだ。

「もっと学びたい」と思って、バブさんにいろいろ尋ねてみた。
すると、彼が学んでいたこのフィリピン大学医学部レイテ校は、
日本の佐久病院の若月俊一院長(当時)が提唱した
農村医科大学構想がフィリピンで結実したものだ、と教えられた。
そして、「日本で医者をやるのなら、佐久病院で修行するのががいい」
と勧められた。

佐久病院は今から50数年前に設立され、
農民のための医療に農民とともにとりくんだ。

この頃の農民は医療保険も縁がなく、
普段ほとんど現金を持っていなかった。
盆、暮れの節季には、病院職員が治療費の集金に回るが、
結局子どもにアメ玉をやって、
請求書を出せないまま帰ってくることがたびたびだった
――退職した事務職員におききしたことがある。

レイテ島から戻った私は、
佐久病院の門をたたき、そして今は山の村で診療所長をしている。

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