お人よしの医療従事者と「長野モデル」

色平哲郎
Irohira Tetsuro
長野県南佐久郡南相木村診療所 所長


いろひらてつろう:1960年生まれ.東京大学中退後,世界を放浪し,医師を目指し京都大学医学部へ入学.1990年同大学卒業後,長野県厚生連佐久総合病院,京都大学付属病院などを経て長野県南佐久郡南牧村野辺山へき地診療所長.1998年より南相木村の初代診療所長.外国人HIV感染者・発症者への「医職住」の生活支援・帰国支援を行うNPO「アイザック」事務局長.

 長野県は長寿県で,都道府県別の平均寿命で男性が全国1位,女性は3位で,かつ医療費も少なく抑えられています.高齢者の就業率も高く,「優れた健康指標を低医療費」で実現していることから,先進的な医療像と見なされ,しばしば「長野モデル」という言葉がメディアに登場します.
 逆に,長寿県として名高かかった沖縄県は,女性の平均寿命は第1位ですが,男性は2000年の調査で4位から26位に転落,「沖縄クライシス(危機)」という言葉が生まれました.
 「地域特性と平均寿命の関係」は,複雑な因子が絡んでいて一概に断定できないのですが,手前みそを承知で言えば,長野県の平均寿命が高いのは,医師や保健師,看護師が,コツコツと展開した保健予防活動が影響していると考えられます.
 じつは,高度成長が始まったころ,長野県の平均寿命は全国でも下位でした.村人たちは現金収入が少なく,病気を恥じてガマンする傾向が強く,病院にきたがりませんでした.そこで医師や看護師が町や村に出かけ,田んぼのあぜ道で血圧を測り,保健講座を開いて啓発活動を展開したのです.そんな実践的な積み重ねが,徐々に長野県民の保健意識の高さに結びついたようです.
 たとえば,僕が信州の山あいの診療所に赴任した当時,大変お世話になった人のなかに菊池智子さんという元保健婦(保健師)さんがいます.
 彼女は,1969年に無医村だった南佐久郡南牧村で保健婦としての第一歩を踏み出しました.
 当時,まだ子育ての経験もなかった菊池さんに,村の若妻たちは育児の厳しさ,中絶のつらさなどを切々と訴えたそうです.根強い家父長的な価値観,嫁姑の関係,経済的な苦しさなどが,その背景に横たわっていたのです.
 菊池さんは,こう語ります.
 「私は妊娠中絶の実態を把握するために,45歳未満の女性にアンケートをしました.すると流産経験者が24パーセントもいて,4分の3は中絶でした.その回数は,もっとも多い人で7回と,驚くべき結果でした.何とかしなければと考え,若妻グループの発足を働きかけました.彼女たちが親しい人間関係を築くなかで,悩みを共有し,学習を通して相互に解決していくことが必要だと考えたのです.そして,『妊娠中絶をなくして,自分たちのからだを守ろう』をスローガンに,農閑期に月1回,保健婦との学習会を始めました.その輪は2年間で全村10地区に広がり,グループによる若妻会,今の愛育班が発足しました」(『地域文化』No.71,八十二文化財団発行より)
 愛育班の活動は,子どもの病気への対処,コミュニティのネットワークづくりなどに加えて,環境負荷の少ない粉石けんの共同購入や,アルミ缶のリサイクル活動などにも広がっています.
 アルミ缶のリサイクル作業は,障害者の共同作業所に引き継がれています.
 「私はいろいろな人に出会い,智恵を出してもらい,教わりながら学ばせていただきました.地域に長期戦で取り組み,自分の足で歩いて住民の本音やニーズを把握しないと,よいサポートはできません.いまの時代は,市町村や個人の責任だけでは健康を守ることが困難になっています.これからの若い保健師には,社会や地域全体を見る目を養ってもらいたいと願っています」と菊池さん(前出同).
 僕は,村の診療所に赴任したばかりのころ,彼女から「とにかく,村人たちの生活の背景を知ってください.村人の話に耳を傾けてください」と耳にタコができるくらい言われました.そして,実際に村人たちの語りを聞くほど,診療をスムーズに行うにはその人が背負っている「個人史」や「人間関係」を知らなければならないと実感したのです.
 百の薬を処方するよりも,一のコミュニケーションを深めたほうがはるかに癒しの効果が高まることが現実でした.
 相手の話を受け止めるには,それなりの準備が必要です.あらかじめその人が,どんな時代を生きてきたのか,簡単な歴史年表くらいには目を通しておきたいものです.これからの保健・医療・福祉にかかわる人には,コミュニケーション力が問われます.
 さて,菊池さんたちのような先人の地道な実践で,長野県は長寿県の仲間入りをしたわけですが,「長野モデル」のもうひとつの特徴である「低医療費」の背景となると,じつのところ,よくわかっていません.なぜ,長野の医療費が低く抑えられているのか.不可解なのです.
 一般に,その県の医療費は「病院間の患者獲得競争」が激しいほど,高騰すると言われています.
 お互いに競争で最新の医療機器を揃えようとしたり,施設を新しくすれば先行投資が増えます.それを回収するために病院は収益をあげようとして,必然的に地域の医療費は高くなる,という理屈です.なんとなく,軍事力の拡大競争にも似ていますね.
 では,長野県では病院間の患者獲得競争が激しくないのかと言うと,そんなことはない.どの病院も自らの存続をかけて,患者さんに来院してもらおうと必死です.医療費が高騰しても,おかしくはありません.
 でも,低く抑えられている.
 どうもその背景には,自然環境,食生活,日常の習慣,所得水準,医療提供側の抑制心理,保健予防活動などなど,さまざまな要因が絡んでいるようです.
 つまり,信州の低医療費は,意図してのことでは全くなく,「たまたま」ニーズにあわせて取り組んでいたら低医療費になったとしか言いようがないようなのです.
 ただひとつだけ言えるのは,医療提供側が,「効率重視」で,儲かる分野に重点的に「ヒト,モノ,カネ」を投入していたら,信州の医療費もきっと他県並みに高騰してだろう,ということでしょうか.
 ある意味,信州の医療従事者たちには「お人よし」が多いのかもしれません…….

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