「バブさん」に学ぶ

「読売新聞」都民版 05年4月7日


東京で久方ぶりにWHO(世界保健機関)のスマナ・バルア医務官と会った。
医療関係者は彼を「バブさん」の愛称で呼ぶ。
バブさんとは20年ちかい付き合いだ。
1980年代後半、フィリピンのレイテ島で、バングラデシュ出身の彼に出合った。
そのときの衝撃は忘れられない。

医学生だった私は進路に迷い、アジアを放浪していた。
友人の勧めでフィリピン国立大学医学部レイテ校を訪ねた。
そこでやはり医学生だったバブさんに出合い、医療の学び方の違いにがく然とした。
彼は、週の半分は校舎を出て、村々に出かけて診療し、簡単な治療に取り組んでいた。


その内容が、私にはさっぱり理解できなかった。
同じ医学生としてショックだった。
日本では医師国家試験に合格してから身につける技術が、
レイテ島では医学生にも共有され、実践的に民衆のために使われていた。
貧しいレイテ島は交通事情も悪く、医学生もまた、できる限り地域医療や「ケア」の一翼を担うのである。

当時、すでにバブさんは助産師として200人もの赤ん坊をとりあげ、看護師資格も取得。
その働きぶりが村人に評価され、医師国家試験の受験コースに籍を置いていた。

その後、彼は試験に合格して医師となり、93年に東京大学医学部大学院に入学。
修士号、博士号を取り、現在はWHOマニラ事務所に赴任。
環太平洋37か国の感染症対策を担当する。
バブさんは言う。

「『なぜお医者さんになりたいの?』と問われ、しっかり返答できる日本の医学生さんは少ない。
『成績がよかったから』なんて言えば、外国の人に笑われます。
ビジョンや使命感が弱いのか、”人間として人間の世話をして差し上げたい”という動機づけの問題でしょうか」

彼は最近、中国でハンセン病対策を指導して歩いた。

「途中訪ねた超高層ホテルでは毎日が盛大なパーティー。
そこからほんの数分のところに、医療にかかれない患者さんがおいでになる。
すごい貧富の格差です。
東京は、大丈夫でしょうか…」

日本とは「逆コース」で医師となったバブさんは、第二の故郷・東京に経済的な”弱肉強食”
の空気がたちこめているのを、憂えていた。

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