「ふたつの森」と患者視点


日本の各地域を大雑把に分けると「都市」及び「都市周辺のベッドタウン(衛星都
市)」そして「田舎」になろうか。各都道府県にこれらの地域が鼎存している。

「顔と顔の関係」ゆえの厳しさ

都会と田舎をつなぐものとは何か。

答えはなかなか出ない。都会の医師に、信州の南佐久地方の「地域医療」を語ると、
たいてい「街ではコミュー ニティーが崩壊してしまっていて、とても真似できない」

と言われる。「顔と顔の互助の網」が残っている地方ならばこそ可能な「手厚い医療」

と映るらしい。 しかし、現実の田舎では、「顔と顔の関係」が重要な支柱なだけに
都会とは異なる厳し さがある。概して、田舎は、外から来た者への警戒心が強く、
医師を「先生様」と持ち上げる一方で、診療さえまっとうにやってくれれば十分、村
の決め事などに余計な口出しをするな、といった一線を引く傾向が強い。そこで、ハ
イ、そうですか、と診療所に閉じこもっていられるほど甘くはない。

へき地の医師一人体制の診療所では、時間内の診療だけでコトが済むことは、まず、
ない。一年365日、フルタイムの医療提供を求められることすらある。地域のニーズ
に応えようとすれば、必然的にコミューニティーに立ち入らざるをえなくなるのだ。
そのとき、田舎には「ふたつの森」があることに気づかされる。

ひとつは、実際の緑あふれる森林。もうひとつは「人間関係の森」である。こちら
は、分け入るほどに木々、枝葉が複雑に絡み合っており、容易には把握できない。下
手に奥まで入ろうものなら二度と抜け出せなくなる。青雲の志に燃えてへき地に赴任
した若い医師が、行政と衝突して去るのは、この「人間関係の森」に行く手を阻まれ
てのケースが少なくないのではないか。

じつは「地域医療」とは、医学に確立された一分野というより、行政、教育、防災、
介護などと並ぶ地域の一役割なのだ。過疎の小さな村だからといって、医療者の思う
ようになると考えたら大間違いである。医療同様に、冬の雪かきこそ村人の死活問題
なのだ。

あくまでも謙虚に「村での役割をになう」姿勢で「人間関係の森」と向い合わなけ
れば
先は開けてこないのだが、これが、口で言うほど簡単ではない。体験して初めて、そ
の地域への対応が見えてくる。一人診療所長にとって、地域との関係は「心理的格闘
技」である。

「患者の目線」に立った臨機応変な医療を

戦前、7対3の割合だった田舎と都市の人口比率は、半世紀を経て、3対7に逆転した。
短期間に農林水産業が衰退し、労働者が商工業に集中。この人類史上例をみない急速
な都市化が、都会のコミューニーティーの網を切り刻んだのだが、歳をとるとともに
死に近づく「人間の運命」は、田舎であれ、都会であれ変わるものではない。どこに
住もうが「急患への対応」や「日々の介護」が「社会全体の網」として準備されてい
ること(憲法25条の生存権)が重要になってくる。それを実現するには「どの医療機
関が、どんなサービスを提供するか」役割を明確にして、合理的に配置されることが
大前提。人間が加齢で障害を背負っていくプロセスがいかに複雑であれ、状況に応じ
た「受け皿」が用意されていなければなるまい。

医療は、診療所などの一般外来で医師と患者が最初に接する「一次」、専門外来と
一般入院に対応する病院での「二次」、高度で特殊な専門医療の「三次」の三層構造
になっている。患者と家族には、臨機応変、必要に応じた、一次から三次までの受診
ニーズがあろう。が、現実はどうか。

たとえば人口29万人(昼間は流入者で数倍に膨れあがる)東京都新宿区の場合、わ
ずか18平方キロの区内に大学病院が3、総合病院が4、病院が8あり、診療所などの 医
療機関は約700。高度な医療機関と一次の診療所は多いが、高齢者の療養型病床や施
設サービスが整っておらず、家族介護も困難な地域とあって、訪問介護の利用率が極
めて高い。新宿で高齢者ケアに取り組む医師の話では、事業所がそれぞれの「機能」
に徹し、状況に応じて迅速に患者を医療機関に移す「クリニカルパス」の作成が試み
られているという。都会では「情報」をうまく得られるかどうかが、生活の質を左右
するので、高齢者の情報弱者をつくらないことが大切。ITの活用が、懸案事項になっ
ているのだそうだ。

これに対し、佐久病院とその分院ほか関連院所がカバーする信州の南佐久地域では、
状況が一変する。まず医療圏が、やたらと広い。人口1300人の南相木村でさえ、広さ
は66平方キロで新宿区の3・7倍。佐久病院が本拠を置く臼田町は面積83平方キロ。高
原野菜の産地で知られる川上村に至っては209平方キロと新宿区の11倍以上の広さだ。

さらに佐久市、小海町、八千穂村、南牧村、北相木村、佐久町などを併せると、山林
原野の占める割合が高いとはいえ、新宿区の50倍以上の広さになる。人口は、これら
市町村を合計しても12万人足らず。

この広い範囲で病床数821の佐久病院本院を「中核病院」とし、美里分院(120床)、
小海分院(100床)、佐久老人保健施設(94床)、老健こうみ(59床)ほかの地域拠
点と、小海、北相木、南相木、川上、南牧、野辺山など、行政立の国保診療所群が、
地元の開業医とともに一次医療に当たる。住民にとって二重、三重のバックアップ体
制が、なんとか維持されている。手前味噌だが、構築途上の「安心のネットワーク」
と呼んでみたい。

情報も大切なのだろうが、医師と患者が接する「機会」をいかに確保するかが最優
先されている。新宿区と南佐久地域、どちらの医療が優れているかは比較できない。
人間が大勢流動し、経済力に富む大都市と、住人が定着してはいても過疎化と少子高
齢化が急速に進む農山村では、条件が違いすぎる。住民の医療へのニーズも微妙に違っ

ている。

とはいえ、生存権に照らせば「臨機応変、必要に応じて、一次から三次までの受診
ニーズ」は共通のテーマ。医療への国民の不信・不満が高まっているなか「患者の目
線」で、この課題を克服できるかどうか。「患者の立場で考えること」が都市と地方、

その双方に求められている。

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