〜旬言〜 医療費と「常識のウソ」 

山梨日日新聞 05年1月16日掲載

  色平哲郎 いろひら・てつろう


長野県厚生連佐久総合病院内科医師、同南佐久郡南相木村国保直営診療所長。
著書に「大往生の条件」(角川新書)など。


「常識のウソ」が定着すると厄介だ。

多くの人が、それを頭から信じてしまうと、ウソと指摘する者がごく少数となり、
下手をすれば「差別」の憂き目をみる。

地動説を唱えたガリレオが、天動説を固守する異端審問官から断罪されたように……。



しかし「それでも地球は動く」のである。

コペルニクスやガリレオが地動説を主張しなかったら、自然科学はここまで発展しなかっただろう。

いま、多くの人が「巨額な医療費は日本の財政を圧迫している」と信じ込んでいるのではないだろうか。

日本の年間総医療費(患者さんの自己負担と、国や自治体の公的負担、
会社などの事業主負担の総計)は約30兆円。

数字だけ見れば、大きな金額との印象を受ける。

ところが、先進国の集団とされるOECD(経済協力開発機構)のデータ(2000年)では、
日本の医療費水準は他国に比べて「非常に低い」。

日本のGDP(国内総生産)、つまり国としての「稼ぎ」に対する総医療費の割合は7.6%。
OECD内で下位三分の一あたりだ。

先進国のなかでは、唯一、英国が7.3%と日本より低かったが、2000年、ブレア首相は
「長年の医療費抑制策で公的医療が第三世界レベルにまで荒廃した(緊急手術を要する


患者が何ヶ月も待たされて死亡、医師の人手不足と長時間労働、モラル低下など)。
これを立て直すため、05年までにドイツ、フランス並みのGDP比10%まで
医療費を拡大する」と宣言し、「医師1万人、看護師2万人増員」のプランを示して実行。

英国政府は、この5年間で医療費総額をじつに「1.5倍」に増やそうとしている。
統計はまだ示されていないが、現時点で日本は英国にも追い越されているだろう。

国際的にみて、日本の医療費水準は非常に低く抑えられている。
にもかかわらず、国民が医療費は「高い」と感じる。

なぜか?

国民一人一人の負担が大きいからだ。

30兆円の内訳をみると家計負担(保険料支払いと窓口負担)が45.4%、
公的負担が32.4%、事業主負担は22.3%。

国民の自己負担率は、最近、韓国のそれが急上昇するまで、世界で最も高かったが、
公的負担、事業主負担は極めて少ないのである。

この「事実」は、医療改革論議の前提として、各人が共有したほうがいいのではないか。



だが、日本政府は、「巨額な医療費」という常識のウソを前提にしたまま、
「高齢化が老人医療費を押し上げる」という、これまた根拠の曖昧な一側面のみを強調し、
ますます、公的負担から国民負担へとシフトしようとしている。

そして、規制緩和の大号令のもと、医療に市場原理を導入。
民間企業への門戸開放の地ならしを進める。

「混合診療解禁」「株式会社病院」……すべて「モデル」は米国にある。

国民の七人に一人が無保険者、病気になっても、とても気楽な気持ちでは医者にかかれない、
そんな米国の民間保険主導型医療を、本気で目指そうというのだろうか。

ハーバード大学医学部助教授を経て文筆業に専念する李啓充氏(ボストン在住)
は、市場原理と競争の国、米国の現実をこう伝える。

「デューク大学フランク・スローン教授によると、1984年から95年の間に非営利


から株式会社に経営が変わった133病院を調査したところ、株式会社に変わった後
の1〜2年で入院患者の死亡率が2倍近くに増えたという。
利益を優先するあまり、病院チェーンが違法行為に手を染めることも珍しくない」

「最近では、02年に、健康な患者多数に心臓手術を施行した疑いでテネット社の
病院がFBIの取り調べを受けた。
02年、HCA社は組織ぐるみの診療報酬不正請求を認め、罰金1000億円に加え、


不正請求返還分7500億円を米政府に支払うことで示談した」
(いずれも「日刊ゲンダイ」04年12月16日付)。

医療への野放図な市場メカニズムの導入は、人としての基本的な権利を破壊する
危険性をはらんでいる。

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