「教育医事新聞」04年11月25日  おかげさまで 創立20周年特別号 一面

〜過疎の村人 金持ちより ”心持ち”〜

高齢化まっ只中、農村医療第一線報告


長野県の山あいにたたずむ小さな南相木(みなみあいき)村。
鉄道も国道もない無医村だったこの村に、色平(いろひら)哲郎さんが家族とともに移り住んだのは1998年。
今では理想の農村医療、地域医療を実践する医師として知られている。
その色平さんを招いて「第33回草の根歯科勉強会」がこのほど東京医科歯科大学構内で開かれた。
その瞠目する講演内容を紹介する。


「医者は高給取りで、格好いい職業と思われているかもしれないが、そうではない」―、
開口一番、色平哲郎さんはこう言った。

色平さんは、60年生まれ。東京大学在学中からアジアを中心に世界を放浪したことが、
その後の人生に大きな影響を与えたと言う。

南相木村は村民の40%弱が65歳以上のお年寄り。
過疎の村で、50年後の日本の平均的な姿をほうふつとさせる高齢社会だ。
色平さんの家族以外はみんな身内。
濃密な人間関係の中で、時には嫌気もさすこともあるそうだが、
「よそ者の私が、しかも44歳という若造が、医師として村人のニーズに応えているか、
責務を果たしているか、役割を担っているか、試されているのだと思います」と語る。

村では、人の死を看取ることでご飯を食べている坊さんと医者は、
持ち上げられているけれど実は嫌われる存在なのだとか。
そういうことも十分に認識した上で、色平さんは診療所に座って、
向こうからやってくる患者を診ているだけではない。
診察後に患者を家まで送り、気になるお年よりを往診して回る。
村人と一緒に農作業をし、暇を見つけては長老の家に出かけて世間話をし、村の歴史などの話を聞く。

「村人は外から来た私の行動をじっと見ています。
長老が認めてからはじめて、村人も、診療所を預かる私を認めてくれるのです」

地域医療を担う医師の仕事は、保健師の仕事に近い。
村人と信頼関係を結べないと何もできない。
肩書きや白衣ではない付き合いが大切だ。
病気になる前のその人の生活を見つめる、普段の暮らしを知ることが農村医療の第一歩だと、色平さんは言う。

「お年寄りの家の場所を知っておくことは、私にとって絶対に必要なこと。
夜中でも雪の日でも往診をしなくてはいけないから。
一人暮らしなのか、日中独居なのか、知ることが必要なのです」

色平さんは、自分のことを「やぶ医者」と言う。

「今の医療は薬と機械に任せる医療ですが、山の診療所ではそれができません。
お年寄りたちは入院したくない。
大きな病院で検査を受けることを望んでいません。
自分が自分である生活を失いたくない。
家で格好良く死んでいきたい―。
村では最期を看取ってくれる人を求めているのです。
そういう思いを尊重すれば、何回も患者さんに電話したり、
家まで様子を見に行くしか方法がないのです。
家族のように接しているが、家族ではない。
あやふやな立場ではあるが見守るしかない、これが地域医療の姿です」

盆や正月になると、都会に出た子どもや孫たちが帰ってくる。
彼らは、豊かな自然と人情味にあふれる村のいいところだけを感じ取って、また都会へ帰る。
村に留まって墓を守らなくてはいけない長男と内孫の抱く思いは、また別のところにある。
故郷を捨てることこそ最大の贅沢なのかもしれない…、
そういう村の持つ二面性も十分に知った上で、
「一人も敵に回してはいけない。一人の面子もつぶしてはいけない。
医者は人気商売です。
人間関係が一番難しい」と色平さん。

「今、日本中であまった食料がどんどん捨てられています。
そういうことを考えていくと、目の前の快楽を追うより、
もっと目を向けなくてはいけないことがあるのではないか。
“金持ち”よりも“心持ち”。
心豊かな人たちが村にはたくさんいるのです」と、
過疎の村の持つ不思議な魅力も語った。

色平さんのHPは、http://www.hinocatv.ne.jp/~micc/Iro/01IroCover.htm

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