読者交論=高齢障害者の激増

医療と福祉の一体化を

医師 色平(いろひら)哲郎 44歳
長野県南相木村

信州の山村で診療所長をしている。
日々患者さんに対応していて、実感させられることがある。
それは医療技術の進歩により、ひとまず病態が改善されたにもかかわらず、
その後さまざまな障害を抱えつつ老後の時間を過ごさねばならない人が、
いや応なく増えているという実態である。

現在、経済界を中心に提唱されている、医療への市場原理導入論は、この
「普通の人が高齢障害者になっていく」という時代の大局的見地を欠いている。

高齢社会の障害者ケアは、医療と福祉が一体となってかかわらなければ、
立ちゆかない。
にもかかわらず、市場原理至上主義派は、医療の企業化で高度医療への
ニーズを満たせば、医療の質が向上するかのように主張し、
医療は病人を治すもので老人介護は福祉の枠に収めればよしとする、
古い発想から脱していない。

医師で医事評論家でもある川上武氏はその著書で、
高齢障害者が増え続ける現況を分析している。

それによると、戦後直後の第一次医療技術革新は結核などに飛躍的な
治療効果をもたらし、結核病床は激減、医療費は減少した。
その後1960年代から、人工透析、心臓のバイパス手術など大きな進歩があったが、

この第二次医療技術革新は中間段階。
診断はつくが完治はせず、「寿命の壁」に阻まれて医療費の増大を招いている。

川上氏は、医療技術の進歩が、多くの高齢障害者を生んでいく
技術論的な背景を、解き明かしている。

都会では想像もつかないだろうが、私の村には、重い糖尿病で寝たきりに
近いおじいさんを、腰痛もちのおばあさんが「あたしがガンバル」といって
入院に抵抗するケースがある。
巌(いわお)のような愛情だけでなく、医療費負担へのプレッシャーが背後に見え隠れする。 

一方都会の病院では、ベッドに空きがないといって、重い障害を持つ高齢者を
在宅に押し込む。
あるいは医療的な処置が必要な高齢者を福祉施設に押しつけているケースがあるようだ。


「治療行為」が、「治癒」との相関関係を見通せない段階で、80年代には
第三次医療技術革新が到来。
しかしこれら臓器移植、遺伝子操作技術なども、倫理問題とともに「死の壁」に阻まれている。

「患者の命は救えなかったが、がんは退治した。医学の勝利だ」などという発想で、
医療と老人介護を切り離していては、それこそ「患者切捨て」につながってしまう。

医療技術の発展段階が中間段階にとどまっている現在、障害を背負って晩年を
生きることに、もっと社会全体が想像力を働かせ、医療と福祉を一体的に運用する
システムを作り上げていくべきではないだろうか。


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