「東京異聞」―1  「互助の網」を選んだ爺 

     読売新聞・都民版 連載  2004年11月11日掲載


先日、東京で生活する長男宅に引き取られたはずの爺(じい)が、村の診療所にフラリと現れた。
彼は腰とヒザに激しい痛みを抱えていて、自力で歩けないはずなのだが、、、。
ふだん口数の少ない爺が、診察室で私と向き合うと、胸のつかえを吐き出すようにしゃべった。

「脱走してきた。
街じゃ、たき火もできねぇ。
せがれのマンションの中庭でたき火をしてたら、警官が飛んできて消された。
川は汚くて、魚取る気も起こらねぇ。
パチンコなんて、つまらねぇもんだ。
このまま狭苦しい部屋にいたらボケてしますうと思ってな、逃げてきただよ」

「飯は食ってるだかい。
買い物どうしてる」と私は聞いた。
客観的には村での一人暮らしが継続困難なのだ。

「、、、それでも、村がいいな」。
爺は目の前の困難を振りきるように言う。

私はヒザに痛み止めの注射を打ち、「痛くなったら、電話してな」とひとまず帰した。


再び、爺の一人暮らしが始まった。
隣近所の村人、保健師、役場の職員、そして村医者の私が連携をとりつつ、
ギリギリまで彼の生活を支えることになるのだろう。

高齢者が都会の息子や娘に引き取られるケースは珍しくないが、
爺のように自力で脱走してくる人はまれだ。
たいていは魂の危機に直面しつつも、自分を殺して都会に埋没する。
その姿は、村からは見通せない。

村には顔と顔の関係でつながれた「互助の網」がある。
一方、都会には経済性を中心とする「管理の網」が存在する。
爺は人生の終盤で村の網を選んだ。
見方を変えれば、もうひとつの選択ができた彼は幸せなのかもしれない。
不便で過酷な生活が待っているにしても、、、。

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色平哲郎さん(44)は長野県の佐久総合病院内科医で、98年から同県
南相木(みなみあいき)村に出向、村の診療所長を務める。
超高齢化が進む過疎の村から見た東京について、報告してもらいます。

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「東京異聞」―2  「都会の村」 医療の鍵は、、、  04年11月25日掲載

「東京に村を感じた」と言ったら当事者には失礼かもしれないが、
お許しいただきたい。

過日、都市問題に詳しいノンフィクション作家・山岡淳一郎氏から
「東京近郊の団地の高齢化」事情を聞いた。

「バブル崩壊後の”都心回帰”住宅政策で、東京圏の新築マンションの立地は、
平均すると毎年、距離にして1キロずつ、十年間で十キロも都心に近づいた。
若い購入層は真ん中に集まる。
一方、経済的余裕のない高齢者が郊外の団地に残された。
高齢化率30%の団地もある」とか。

わが南相木(みなみあいき)村と同じようにお年寄りが集中する地域が、
東京の外縁に点在すると知り、冒頭の感を抱いたわけである。

私は、村でお年寄りと向き合う際、それぞれの「人生の物語」に耳を傾ける。
人生の背景を知ることは、ケアに直結する。
コミュニケーションの原点である。

「満蒙は日本の生命線なんて言ってたども、誰のための生命線だったかね。
ソ連が攻めてきて、収容所に入れられてね、三歳の末娘はそこで死んだよ」

「昔、選挙ともなると村を半分に割った大騒動があっただ。
選挙ではふだんは表に出ない因縁が、頭をもたげてくる」

あるいは「禁断の恋」の話もある。
村人は、つい昨日のことのように過ぎ去りし日々のことを語ってくれる。
そのなかで、人間関係の勘所が分かり、「この人の病状が悪化したら、
この人脈から説得して入院させよう」「あの人の状況はこの人に聞け」
など、村医者なりの”心理戦”が展開されることになった。

東京近郊の、高度成長を支えたかつての企業戦士たちが集う団地では、
人生の物語は、どのように聴き取られているのだろうか。
そんな余裕などない、と言われるかもしれない。

しかし、人は誰しも「原風景」を胸に秘めているものだ。
コンクリートジャングルに慣らされた感性の壁を超えて、
個々の原風景を引き出すことこそ、都会の高齢者福祉医療の
鍵を握っているような気がしてならない。

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