医師教育に大切なもの



遅い春の訪れが、しかし山の村にはまだ届いていない、そんな春休み。
医学生たちが、休暇を利用して、信州の山の村へ合宿実習にやってくる。
ことしは県の看護大学の大学院生、また自治医大生と京大生らの「合同合宿」が、
その皮切りになりそうだ。
私が彼らのために準備できるのは「村人と接していただく」ことに尽きる。
村人が、医師に何を期待し、何を聴き届けてほしいと願っているのかを、
「体感」してほしいからだ。

今春から医師国家試験に合格した新人医師に、二年間の「臨床研修」が必修となる。
しかも全員が、内科、外科、救急、産婦人科、小児科、地域医療など多くの現場を巡る

「全科ローテート」が実施される。
これは、明治期に西洋医学が導入されて以来の医師教育の大転換だ。

かつて、米国にならって、医学部を卒業し国家試験を受けるまでの一年間、
無給の「インターン(実地訓練)制度」があった。
が、身分保障がなく、指導体制も不十分、インターンたちは「白い巨塔」の底辺で酷使

されたことから、大学闘争の焦点となり、廃止されたときく。
その後、新人医師は臨床研修を回避することも可能となった。
受ける場合でも臓器別の循環器内科、脳神経外科といった特定の「医局」内での
研修が常態化した。

ところが医療の高度化、専門化にそったこの教育システムが、国民一般の
「ニーズ」に合わなくなってきたようだ。
極端な例をもちだせば、乗り物のなかで急患が出ても、「専門が違う。
救急対応は知らないから」と手当てをしりごみする医師が増えてしまったのだ。
医療事故の報道とともに、国民からの不満はつのる。
そこで「鉄は熱いうちに打て」とばかり、研修医が幅広く診療科目をまわる
今回の制度改革となった。

私自身は、国家試験合格後、佐久総合病院に入り、二年間の全科ローテート
研修を体験した。
この研修は、精神的にも肉体的にもハードであったが、「医師とはこういうものだ」
とのバックボーンは、あのころ形成されたと感じている。

臨床研修必修化は時代の必然ではあろう。
だが、研修医を受け入れる医療現場は混乱している。
学生の研修希望と、受け入れ病院を「コンピューター見合い」のようにして決める
「マッチング」が、その一因だ。
学生の「人気」が集中する病院と、そうでない病院に大きな隔たりが生じた。
東京の武蔵野赤十字病院に定員の三十倍もの学生が応募する一方で、
岐阜大学病院が関連病院とともに設けた七十四人の定員枠でマッチングに
よって決まった研修医は八人。
決定率わずか一一%である。

地方の山の中で医療に取り組んでいる者にとって、この隔たりは大問題だ。
大学が若い人材を山間へき地や島に派遣しようにも、コマ不足。
いきおい不便で採算の合わない地域医療は切り捨てられる、、、。
「早く技を身につけよう」と新人医師が都市部で評価が高いとされる一般病院を
目指す気持ちが分からないわけではない。
しかし、医師教育のグランドデザインを描く立場の方々は、いま一度考えていただきたい。
医療の質を高める教育の根本とは何か、、、。

村にきた医学生に「なぜ医者になろうと思ったの?」と訊くと「エッ?」と驚き、
たいてい口ごもる。
私も同じだった。
医師を志す強い動機など持ち合わせていなかった。
むしろ流されるままに村にやってきて、人々のなかに入り、ある役割を期待されている

のを肌で感じて、その役割を担っているうちに医師として生きる手応えをつかむことになった。
狭い村にも「世間」があった。
あちこち放浪ばかりして、人間関係を保つのが不得手だった私にも、
生きるスペースが、担うべき役割とともに与えられたのだった。

大学に入る十八歳で、医者になろうと決めること自体大きな無理がある。
なかには医師として天性の資質を持つ青年もいるかもしれないが、
大多数は「知的好奇心」と「偏差値」によって形作られた短視眼的な
目的意識で医学部を目指す。
だがその目的意識は、自分がものがたりの主人公であって一方的なものである。
メディアでつくられた「いい医者」「やさしい医療」像は仮のイメージでしかないのだ。

医療の現場は、患者さんと向き合う一対一の「関係性」のなかにこそある。
相手はさまざまなものがたり、プライドとこだわりを背負っている。
そこを読み解くには「世間」を知らねば難しい。
技術だけで、目の前の患者さんのニーズは把握できないのだ。

だから、十八歳ではなく、二十歳を過ぎてある程度、社会的経験を積んだうえで
医師への進学コースが選べる、そんな欧米では当たり前の制度がここ日本にも必要だ。

医師教育改革を唱えるなら、「世間」の波にもまれた人が医師となる制度を
立ち上げるべきではないだろうか。

医療に、そして人生に正解などない。
意識は急には変われない。
しかし思いがあれば技術はあとからついてくる、と私は思う。

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