震災直後の支援



私の故郷新潟県では、いまだ余震が続いている。
この原稿は、新潟県中越地震の発生から9日目に書いている。
まだ7万人以上の方々が避難しておいでになるという、、、心が痛む。

全国の皆さまから寄せられる温かいご支援に心から感謝申し上げたい!

私が所属する長野県佐久総合病院は、現在当院なりの支援活動を展開中だ。
そのようすを記したい。

佐久病院は、まず、震災翌日、救急処置ができるスタッフを中心に先発隊を送り込
んだ。

活動の要点は、次のとおりだ。

●出発前に現地医療機関と直接連絡をとって何が必要かを把握。
●人命救援が最優先。ライフラインの破壊で生存の危機に直面している人への援助、
具体的には180名の2日分の給食を持参した。
●二次災害は絶対に避けねばならない。ヒロイズムや使命感に自己を埋没させず、
退却する「勇気」を持ち、生命を尊重する人間を責任者として選任した。
●佐久病院本院内に「対策室」を設置。客観的な状況判断や印象を、携帯電話で現
地班と随時交換できる体制をつくった。

先発隊は3台の発電機も持参し、停電中だったので明かりついて喜ばれた。
プロパンガスとコンロも持参し、ガスが止まっていることに対処した。

そして、時間の経過とともに内科的疾病への対応ニーズが高まることから、高齢者
の在宅ケア経験が豊富な第2陣、次いで第3陣が編成され、現地入りした。

佐久病院の災害救援における初動哲学は、「橋頭堡」づくりにある。
生命を支える基地としての地域病院。
その診療体制を担う現地スタッフを支えることで
彼らが過労に陥ることを避け、継続して支援し続けていくことこそ
今後重要なのだろう。

今回は小千谷市の厚生連魚沼病院の診療体制づくりをサポートした。
隣県の同じ「農協病院」であって、いわば、佐久病院の「兄弟病院」である。
病院の診療体制に一応のメドが立ってから、そのうえで、いわゆる「避難所めぐり」をはじめた。
現地は各々の病院が責任担当する被災地域を決め、網羅的な
「地域医療」を展開しはじめる段階に差し掛かりつつあるという。


私は、被災後7日目、全村避難を余儀なくされた山古志村の隣村、守門村の
健康センターに旧知の保健師を訪ねた。

大勢のお年寄りが、避難しておいでになった。

95年の阪神淡路大震災後の支援体験でも感じたことなのだが、避難所での健康管理
のあり方を日ごろからもっとアナウンスしておけば……と感じることが少なくなかった。


一般論として震災後の2週間、余震が続く間は心血管イベント、とくに夜間発症の
心筋梗塞、脳梗塞などが増加する。その後は、尿路感染症、肺炎などが多くなっていく。


●水分を多く摂取できるようにする。
●マスクを速やかに配布する。
●夜間、十分な睡眠がとれるようにする。

これらの対策が不可欠なのだが、避難所の環境整備は遅れがちだった。

中長期的には、高血圧と糖尿病の患者さんの血圧と血糖のコントロールが乱れてくる。

インスリンやワーファリンを使っていた患者さんでは、薬の中断によって体調が悪化する。

自宅ではないから、特にお年寄りはオシッコを面倒がるかもしれない。
そのために、「トイレに行かずにすむようにしよう」と考え、水分を摂りたがらない、、、
 これは、危険(!)、
特に高齢者では、血液の流れを良く保持するためこそ、十分な水分の補給が
(心血管イベントの予防に)重要だ。

夜ともなれば避難所は深々と冷えこむ。
各自の県民健康手帳を作り、各避難所が重複のないように気配りをしながら、インフ
ルエンザの予防接種を一刻も早く手配しなければならないだろう。

ワクチンの有効性は時代と共に変ってきている。数年前から新型の予防接種が普及
し、副作用がほとんど出なくなった。高齢者の冬季の死亡率を大きく引き下げている。


予防接種は、すぐはじめないと流行に間に合わない。ある避難所では全員接種して
冬のインフルエンザ流行を免れ、あるいは最小化できた。
一方で、ほかの避難所では予防接種が遅れて大流行、、、そんな状況だけは避けたい。


被災地という修羅場でこそ、正しい知識に基づく迅速な判断と継続的な配慮が求められている。

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