「混合診療」先進国アメリカの惨状

長野県南佐久郡南相木村診療所長 色平哲郎


朝夕、めっきり冷えこむようになった。
秋、美味しいマツタケを村人から頂戴する季節がやってきた。
マツタケ山は、「入会地」の名残なのだろうか、村人が共同で管理している。
毎年、春先に、どの山のマツタケを誰が採るかが、「競り」で決まる。

マツタケの生育は、晩春から夏、秋口にかけての天候によって左右される。
天候を見越 しての競りとなる。
ギャンブル性がなきにしもあらず。
そこがまた村人を熱くする。

秋の長雨とその後の冷え込みがマツタケの成長を促すことから、
「雨が降ったらカネが降る」と採取権を手にした人はしばしば言う。
昨年は、長雨のあとに旱魃がきて、胞子が干からび、
わが村のマツタケは壊滅状態になったが、今季はほどよく雨が降り、
まぁまぁの収穫だとか。
ただし、去年は他県から「盗み」にくる者も皆無で、平穏だったのだけれど、
今年は虎視眈々と狙っているよそ者の気配が……。
2年ぶりに「夜回り」の自衛団が復活した。
いずれにしろ、マツタケ山は村の「共同資産」として手厚く、守られている。
これは、ムラという「共同体」を維持するための、大いなる実践といえるのではないか。


秋の臨時国会が開幕した。

小泉純一郎首相は、所信表明演説で「混合診療の解禁など規制改革を推進する」
と草稿を棒読みで表明した。
背筋が寒くなった。

言うまでもないが、混合診療を強く推すのは、政府の
「規制改革・民間開放推進会議」である。
同会議の議長は、プロ野球の合併問題で選手会をストに追い込んだ急先鋒
といわれるオリックス会長・宮内義彦氏。
オリックスが、医療分野で事業拡大を目論んでいるのは広く知られている。

「推進会議」は、一定水準以上の病院なら病院側の判断で混合診療を解禁する方針を示した。

さらに、@「一連の診療行為の中で行う予防的措置」、
A「保険適用回数などに制限がある検査」、
B「患者の価値観によって左右される診療行為」、
C「診療行為に付帯するサービスや不妊治療」など、
医療現場や患者のニーズが高い分野の混合診療についても「直ちに解禁するよう」求めている。

表向き、混合診療は「患者の選択肢を広げる」「ニーズを充たす」とされているが、
推進派の本音は、オリックスやセコムに代表される民間企業の医療市場への参入にある。

「公」の視点から辛うじて守ってきた国民皆保険の制度を「市場原理」によって解体し、
その残骸に「儲け」を狙って私企業が群がろうというわけだ。

推進派は、米国型の医療保険制度をモデルにしている。
政府には「在日アメリカ商工会 (大手外資企業の団体)」からも強い圧力がかかっているようだ。

「官」は、国が負うべき医療費を参入企業に肩代わりさせられるとあって、
この流れに乗っている。
しかし、米国の例をみても実際は医療費総額は増えて、参入企業なる「民」は負担から逃亡、
国民負担なる弱者の「民」負担ばかりが間違いなく大きくなるのだ。

郵政民営化に世間の耳目が集る一方で、混合診療という極めて危険なアクセルが、
医療の内実や社会保険に暗い首相によって、いま、踏み込まれようとしている。
このままでは日本の医療は暴走してしまうのではないか。

そんな危機感から、山を降り、東京・御茶ノ水まで日帰りで、李啓充さんの講演を
聴きにいった。
李さんは80年に京大医学部を卒業し、臨床医としての経験を積んだ後、
90年からハーバード大学医学部の研究員となる。
以後、ハーバード大学講師、助教授を経て、2002年から文筆業に専念しておいでになる。

混合診療推進派が奉る米国医療の第一線で仕事をしてきた李さんの
「混合診療批判」は、実に説得力があった。
アメリカでは市場原理を振りかざす民間保険会社が、いかに医療現場を牛耳っていることか。
たとえば保険会社は、総支出のうち実際の医療にかかる支出を低く抑えるため、
病院や医師に対して、病名や手術ごとに治療行為の「標準」=枷をはめる。
心筋梗塞の手術に対しては4日間の入院。乳がん手術の入院は2日まで、などなど。

乳がんの手術を受けた患者は、体液を排出する管をからだに挿入したまま、退院させられる。
その後、1日2回の点滴は、在宅で看護師が行うが、
ガーゼ交換などは自分か、家族がしなければならない。 
さまざまな負担が「外部化」されて、ここでも「コスト・シフト」が行われていることに気づかされる。
李さんは、混合診療が「患者の選択肢を広げる」というのはマヤカシだと看破する。

「日本で、46歳の男性が、クモ膜下出血で緊急手術を受けました。
米国では死亡につながりかねない術後の脳血管攣縮を防ぐためにニモディピンが
使われるが、日本では不認可。
これを使ったら、すべての治療行為の費用が自己負担となる。
とても使えない。
この患者にはつらい後遺症が残りました。
家族は、日本でもニモディピンが認められていたら……と悔しがる。
だから混合診療を認めるべきなのだ、と推進会議の人たちは言います。

しかし、米国の大手企業社員が入っている(低価格設定の)民間保険でも、
ニモディピンは1カプセル50j(1日12カプセル=600j)。
3週間飲めば、約140万円。
無保険者(米国人の7人に1人)が服用したら、べらぼうな額になるのだ。  

日本の製薬会社は、この薬1カプセルに10万円の値段さえつけかねない。
3週間飲めば、2500万円。
混合診療によって、この額を支払える人だけが恩恵にあずかる、それが固定化される。

おかしいでしょ。
いい薬なら、保険診療の枠に入れて、誰でも使えるようにするのが本来の姿。
金持ちだけがいい目をみるのは、皆で助け合う医療保険の制度を崩壊させる。
ちなみに46歳のクモ膜下出血で緊急手術を受けた男性とは、わたしの弟です……」。

李さんの話を聴いていて、胸が詰まった。
全米の自己破産のうち、高額の医療費負債によるものが、クレジットカード破産に次ぐ、第2位。
99年のニューズウィーク誌では「民間医療保険地獄」なる特集が組まれたという。

日本の政官財界は、それでも混合診療を強行するのだろうか。

医療保険制度は、クニという共同体を維持するために不可欠な「共同資産」である。

信州の村の人が里山を守り育てる、その洞察をすら、彼らは持ち合わせていないのか……。


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