「大阪保険医雑誌」10月号掲載


医師への『道』はこれでいいのか?


村の診療所には、毛色の変わった医学生がしばしば実習にやってくる。

毛色の変わった医学生の声に耳を傾けよう

 数年前、テレビ取材を受けていた時にたまたまやって来たのは、元銀行員の医学生
だった。彼は大学の経済学部を卒業して大手銀行に入り、数年間、外国為替関連の職
務を経験したが、“志ここにあらず”と医学部に入り直したという。
 「なぜ、医者になりたくなったの?」
 と聞くと、
 「数字だけを扱う業務でなく、生きている人間と向き合う仕事をしたくなったから
です。子どもの頃、僕は身体が弱くて、近所のオジイさんのお医者さんに、随分とお
世話になりました。そのジイちゃん先生のことが、強く印象に残っていて、医学部に
入り直しました」
 との返答。
 あるいは、「海外帰国子女」と呼ばれる女子医学生たちも、よく村を訪ねてくる。
 ドイツ暮らしが長かった学生は、幼い頃、原因不明の尖足で何度もドイツで手術を
受けた経験を持っていた。彼女にとって、医者は「優しいオジさん」だったが、日本
に戻って、「医師がやたらと威張っているのにびっくりした」と言う。そんな彼女
は、
小児科医志望だった。
 東南アジア生活が長かった女子医学生は、久しぶりに帰ってきた東京の様変わりに
愕然としたと訴えた。建物や道路、景観の変化に驚いたのではなく、人間の「たたず
まい」の変わりように、「日本は、とんでもない国になる」と感じたようだ。
 彼女は、半分諦めたような顔で言った。
「茶髪、金髪はまだしも、若い子が地べたにデレーッと座っていて、誰もそれを注意
もしない。深夜、繁華街を、幼い子を連れた親たちが飲み歩く。オトナたちに覇気が
なくて、『ああ、こんなオトナになりたいな』と思えるような人に出会えません。エ
ラそうな人は、ますますエラそうにして、弱い人や少数派の意見など聞く耳をもたな
い感じ。子殺し、親殺し。日本は、わたしが小さかった頃よりどんどん悪くなってい
る」

「種の多様性」は生き延びるための要諦

 私自身、大学の工学部を中退し、日本各地、世界を放浪して医者になった変わり種
だからかもしれないが、彼らの「現状批判」や「日本観」に耳を傾けることは、非常
に重要だと感じる。
 ことさら自己を正当化するつもりはないが、「異分野」「異文化」を体験した人々
が医療界に入ってくることは、「白い巨塔」の何がダメなのか、日本の医療の構造的
問題は何かを知る貴重な“視点”を増やすことになると思う。視点が増えれば、医療
界が自らを相対化する力を持てる。
 もっと社会的にいろんな経験を積んだ人たちが、医者になればいいと感じる。「種
の多様性」は、自然界においても、人間の社会においても生き延びるための要諦だ。
だが現実は、高校三年のたかだか十八歳で、受験競争の順番によって「きみは医学
部」
「きみは○○学部」と振り分けられる。果たして、この旧態依然たる選抜方法で、人
間として患者さんと一対一で向き合える医者を育てられるのだろうか……。

米国の医師の選抜、教育方法に学ぶこと

 友人のH医師から「米国の医療制度は問題が多いのですが、こと医師の選抜制度に
関しては公正で、多様な人々に門戸が開放されていますよ」との助言を受けた。
 H医師によると、米国の医師選抜には、
? 米国では高校卒業時点で学生が「自分は医師に向いている」と判断することは困
難とするコンセンサスがある。だから一般の四年制大学を卒業後、選抜の資格審査を
受けてパスした学生が、医学部に入学。その際、対話能力が重視される。対人コミュ
ニケーションは、チームでの活動、後輩を育てるうえでも重要だと見なされている。
? 選抜の審査において、本人の「学部長推薦状」などが大いにものをいう。面接審
査の際、人種、家族の収入、親の職業、年齢、性別、未・既婚などについては一切質
問してはいけないとされている。より広い範囲から医師に向く人材を選ぶためだ。
? 米国の外科における卒後研修は、五年目の医師が単独で手術ができることを目的
として行われる。研修先を決めるマッチング面接では、その病院の教育担当医師、研
修医、患者、一般市民などが、研修を希望する新卒医師と対面。面接官がこれだけ多
様なのは、医局や学会に都合のいい医師ではなく、「社会が求める医師」を育てよう
との考え方に基づいているからである。
 といった特徴があるらしい。
その医療保険制度にこそ大きな問題があるとしても、米国の医師の選抜、教育方法に
は、社会のニーズに合った医師をいかに育成するかという背骨がしっかり通っている
ようだ。特に、対人コミュニケーションの能力や、患者さん、一般市民との対話力が
問われる点は、日本でも大いに参考にしたいところ。

社会的経験は“ケアとしての医療”の前提

 そこで、社会人にも医師への門戸を開くべきだと言うと、
 「社会に揉まれた医者が増えれば日本の医療が変わるというのは大きな誤解。大学
そのものが変わらなければダメだ」
 との反論も寄せられる。
 もちろん、一般社会で働いた人なら誰でも医者にすればいいというわけではない。
医師としての適正を備えていなければなるまい。
 何度も言うようだが、十八歳で偏差値だけを唯一共通の選抜基準として医師への
「道」を設定する方法が、果たしてこのままでいいのか。そこを真剣に考えなければ
ならない。
 社会的な経験を積むことは、簡単に言えば、患者さんにもさまざまな人生があると
いう現実に前もって触れることだ。患者さんと「初めに病気ありき」ではなく、まず
人間として向き合う。そこから“ケアとしての医療”が始まる。
 ごく当たり前のコミュニケーションのスタート地点に立つには、社会的経験は決し
てマイナスにはならないはずだ。

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