「大阪保険医雑誌」の8・9月号合併号掲載

この原稿が読者の目に触れるころ、アテネ五輪が賑やかにくり広げられていること
だろう。地理的に中東に近く「テロリストの標的にされるのでは?」と危惧されてい
るが、オリンピックが発祥の地に戻った今回こそは起源の精神に立ち返ってほしいも
のだ。

ギリシャで「古代オリンピック」が始まったのは、記録に残る競技会としては紀元前
776年のことである。それからほぼ4年ごと、1000年以上にわたって「ゼウスの神に
捧げる祭典競技」が行われた。毎回祭典が催される前後3か月間、すべての都市
国家が「休戦」している。

血で血を洗う「戦争」ではなく、ルールに沿った「競争」によって人間が内在的には
らむ「闘争本能」を解放したといえようか。あるいは、あまりに盛大な民族的行事
だったために戦争などしているひまがなかったのかもしれない。いずれにしろ、開催
中の「平和維持」こそ古代五輪存続の鍵であった。

ところが、皮肉にも勝者にもたらされる「富と名声」によって古代五輪は崩れてゆ
く。回を重ねるにつれ競技場が大規模化し、盛大になり、優勝者は故郷に凱旋すると
多額の賞金や優遇措置を受けるようになった。買収、八百長が頻発し、五輪の権威が
失墜。加えてキリスト教を国教とするローマ帝国の威勢がギリシャにも浸透し、他の
宗教が禁じられる。

紀元393年の第293回大会をもって古代五輪にはピリオドが打たれた。

フランスの青年貴族ピエール・ド・クーベルタン男爵の提唱でオリンピックが甦る
のは1896年。第一回近代五輪大会がアテネで開かれている。
「歴史はくり返す」のだろうか?  近年の商業主義と手を携えての大規模化、プロ化
が進む五輪は、古代五輪がたどったコースと同じ危機に直面しているといえなくもな
い。

スポーツは、しかしトップ・アスリートと呼ばれる人々の独占物ではない。
信州では来年2〜3月にかけて、心身障害者たちによる「スペシャルオリンピクス」
が開かれる。こちらは「勝利」よりも大切なものが核になっている。

数年前、シアトルで開催されたスペシャルオリンピクスではこんなシーンが展開された。
選手9人が、100ヤード競争のスタートラインに立った。全員が心身障害者である。
以下、屋久島在住の星川淳氏を中心とするグループが翻訳出版した『世界は変えられ
る』(七つ森書館)から引用する。

『号砲とともに、全員がスタート。
全力疾走とはいかないものの、ともかくゴールを目指し、勝つために走ろうという
意欲が感じられた。
ところが、一人の少年がアスファルトにつまずき、二回も転んで泣き出した。
残る八人は、少年の泣き声を聞くと、スピードを落として振り返った。
そして全員が向きを変えて、コースを戻っていったのだ。
八人の選手全員が……。
一人のダウン症の少女は、かがんで少年にキスをし、「こうすると痛くなくなる
わ」と言った。そして九人で腕を組んで、ゴールまで歩いた。競技場にいた人たち全
員が立ち上がり、声援がしばらくの間やまなかった』

その場に居合わせた人たちは、いまでもこのエピソードを口にするらしい。
なぜか?  との問いかけに、こう文章は続く。

『心の奥深くで、だれもが次のことを知っているから。今生で大切なのは、自分が勝
つなどという小さな目標ではないこと。
 たとえそのために、自分のペースをおとし、進路を変えることになろうとも、他者
の勝利を助けることこそが大切だということを……(中略)。
ろうそくが別のろうそくに灯をうつしても何も減りはしない』

4年前に始まった介護保険の利用者は年々増え、現在では約290万人。発足当初
から倍増したという。

健常者も歳月とともに老い、体が不自由になっていく。人間共通の宿命を保険によっ
て支えようとするこの制度は、早くも財政的な壁にぶつかっている。初年度3兆6千
億円だった総費用が04年には6兆を超える見通しだ。
財政基盤の安定化のため、保険料の徴収対象を「20歳以上」に引き下げることや自己
負担割合の見直しが検討されている。
議論の的になりそうなのが、「要支援」と「要介護1」という介護必要度が低い高齢
者の急増をどうとらえるかである。

厚生労働省は、「要支援」「要介護1」の人たちの半数が2年後には状態が悪化して
いると指摘している。「認定状況の変化」というデータによれば「要支援」だった人
の48・2%が2年後に状態が悪化。「要介護1」の34・8%が同じく悪化している。
このデータは、現在の介護内容が高齢者を「自立支援」するのではなく、本人ができ
ることまで他人が手を出し、身体機能を衰えさせている、との根拠になりそうだ。
それを必要としない人が、車椅子や電動ベッドなどを使えば、寝起き、歩行の能力が
奪われる。「要支援」「要介護1」は介護保険給付から外すべきとの意見が出されて
いる。

しかし逆に言えば「要支援」の10%(認定外から死亡を除く)の状態が改善され、
30%以上が状態を維持している。

「要介護1」では認定外と要支援に改善された人が10%、状態を維持した人が40%。
この現状をもって介護内容が「自立支援に効果を上げていない」と言い切れるだろうか。

数字は見方によって正反対の意味を持ち得る。同じスポーツを素材とするアテネ五輪と
長野スペシャルオリンピクスが、まったく異なるように……。複雑な現象を数字に置
き換えることで私たちは「分かった」ような気にはなる。だが、大切なのは数字の裏に
ある個々の「状況」を洞察することだ。そのためには現場の声がもっともっと集めら
れねばなるまい。
 

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