「良薬は口に苦けれども病に利あり……」


長野県南佐久郡南相木村診療所長 色平哲郎


長野県南佐久郡南相木村診療所長 色平哲郎


互いを認め合う間柄から「患者−医者関係」に

「……先生、検査を受けるよ」
 あれほど入院を頑なに拒んでいたIさん(83歳・女性)からそう告げられたと
き、医師として肩の荷がやや軽くなった一方で、言いようのない虚しさを感じた。そ
れまでIさんは村でも一、二の「元気者」で、冠婚葬祭などの行事では先頭にたって
働き、女衆を引っ張っていた。
筋金入りの「医者嫌い」であった。
 たまには診療所で血圧のひとつも測ってごらんよ、と水を向けても、
「ウチの家系は母親も、祖母さんもピンピン・コロリの大往生でした。あたしもお迎
えがくるまでお天道様の下で働かせてもらいます。だいいち、病院なんて辛気臭くて
嫌だね。病気でなくても、病気になっちまうだよ」とツッパった返事がかえってくる
ばかり。言うことを聞かない婆さんだなぁ、小うるさい若い衆だね、と互いを「認め
合う」間柄だった。

それが、数ヶ月前「お腹の具合がおかしい」と珍しく診察室に入ってきた。
我慢強い人が「痛い、つらい」と漏らすようになったら、かなり深刻な状態が予想さ
れる。案
の定、体重減少と貧血所見、そして低栄養状態が見つかった。すぐ本人にガンの疑い
がある、とは告げな
い。Iさんと息子夫婦、縁者との人間関係などを想いうかべながら、どの「筋」から
告知をし、いかに療養体制をつくるかを思案した。まずは病状をしっかり把握しなけ
ればならない。どこが原発か、転移はあるのか、だがIさんは検査入院を拒みつづけ
た。

息子夫婦に事情を話して「外堀」を、本人には「ピンピン・コロリ」をまっとうする
には「いま、どうなのか」を知ることが大切さだと噛んで含めるように語って「内
堀」を埋め、冒頭の返答に至ったのである。
これからは「患者と医者」の関係を前面にIさんと向かい合わなければならない。村
で暮らしながら、村の一役割としての医療を担ってきた身には、ある日突然「頑固な
婆さんvs小うるさい若い衆」の関係を断ち切らなければならないのは、じつに虚し
い。医療提供側から見て「向こう側」にいたIさんも「こちら側」にきたIさんも同一
人物なのに、今後は「患者」という側面だけを肥大化させて接してゆかなければなら
ない。一対一の対応ではなく、そこから先は、医療のシステムがIさんを支えること
になる、が……。


「支配の三角形」と”裸の王様症候群”

 以前、学校関係者の集りで講演をした。
「子どもたちがノビノビ、イキイキ、ハキハキ、ニコニコ、ドキドキ過ごせる教室に
したいですよね。だから先生方、皆さん、ノビノビ、イキイキ、生徒を導こうとな
さっている。ノビノビ、イキイキが大切だと考える校長先生が、また、先生方を支え
ている。さらには教育委員会が、それを促す。では、目を病院に転じてみてくださ
い。どうして患者さんや家族の方々は、ビクビク、オドオドしているのでしょうか
?」
 と、皮肉をこめて質問を投げかけた。
もちろん、機能がまったく異なる学校と病院を同一視できないが、専門職である教師
や医師が「ノビノビ、イキイキ」振舞うほどに、その「サービスの受け手」である生
徒や患者が「ビクビク、オドオド」してしまう矛盾。これは医師や教師が「小さな三
角形」による支配構造をつくっているからではないかと指摘した。「三角形が悪だ」
というのではない。ひとりひとりの専門職を頂点とする小さな三角形が、有無を言わ
さぬ支配の手段に使われている。それが、改革への一歩を踏み出せない大きな壁に
なっていると申し上げた。
医者や福祉施設の所長は、往々にして「専門的に善き道に導くのだ」という気概が空
回りし、何の疑いもなく、イキイキ、ノビノビ、振舞うほどに危険な罠に絡めとられ
る。
「裸の王様症候群」に罹ったトップの下では、三角形の底辺に位置する患者や施設に
収容された人々は、依存的で「仕方ない」と諦めにちかい心境でサービスを受ける。
頂点に立つ人、中間に位置する看護師さん、寮母さん、ヘルバーさんに対して、彼ら
は反論できないため、声にならない声が「沈黙」を強いられる。それが当たり前にな
ると「組織」は硬直化し、取り返しのつかない事態を招く(三菱自工の一連のリコー
ル隠し事件などは、小さな三角形の連鎖による機能不全と組織全体の硬直性が招いた
悲劇であろう)。
 たとえば、知的障害者施設へ行くと、言葉のおぼつかない青年が「じつはね。あの
先生はね……」と私に本心を訴えてくる。知的障害を持っていても、彼は自らの身の
安全について真剣に考えているのだ。
ところが、ドアの外に誰かが近づく足音が聴こえてくると青年は急に黙り込む。外か
らきた私のような人間に「アドボカシー(代弁者)」として、三角形を支配するトップ
に忠告を与えてほしいと願っていた青年は、たちまち貝のように口を閉ざす。
何らかの「報復」めいた仕打ちを怖れているのがありありと伝わってくる。


「声なき声」こそ次代と切り拓く”キーワード”の集合体

 冷静に考えれば、小さな三角形にとって、「じつはね……」とこの青年が吐露しよ
うとした声なき声こそ、組織が生き延びるための「道しるべ」に他ならない。もっと

えば、サービスの受け手側の不平不満をも含めた声は、潜在的なニーズを探し当てる
ために不可欠な「財産」なのである。大がかりなマーケティング調査などをしなくて
も、現に施設にいる人たちの「本音」こそ、次代を切り開く「キーワード」の集合体
だ。しかし支配の三角形がジグソーパズルのように組み合わさったなかで、底辺を構
成する人々は「ノビノビ、イキイキ」と本音を述べたりできないでいる。

 彼らの声なき声を聞き届けるには、福祉や医療のサービスに対する第三者の評価機
関がきちんと機能しなくてはならないだろう。アドボカシーであり、「オンブズマン
(北欧の言葉で「真実の人」の意)」の制度である。
 第三者の厳しい評価は底辺の救済ばかりではなく、その小さな三角形が生き延びる
ためにも不可欠なのだ。孔子いわく。
『良薬は口に苦けれども病に利あり、忠言は耳に逆らえども行いに利あり』
 医者自らが、この箴言をかみしめたい。
 

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