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懐かしのメロディーと「対話」の成立


軽いボケ症状が出たおばあさんがいる。
急な冷え込みでカゼをひいたというので往診に行った。

彼女は、頭のなかのスイッチがオンになったり、オフになったり、
いわゆる「まだらボケ」の状態。
人の名前などの固有名詞がなかなか出てこない。
喋りたいのにうまく言葉にできない……失語症だ。
そんな欲求不満が高じてか、顔から「表情」が消えている。
介護をしている五十代の娘さんが
「わたしにも、アンタだれ? なんて顔してることがあるんですよ。
このままどんどんボケちゃうんでしょーかねぇ」とため息をつく。

おばあさんは、戦争体験者である。
とっておきの唄の一節を彼女の耳元で歌ってみた。
「♪キゲンハ、ニセーンロッピャクネン……ああ一億の胸はなる」。
おばあさんのノッペリしていた顔に、感情の小波が立った。
驚いたことに失語症の彼女が声をあげて、歌い始めた。
「♪キゲンハ、ニセーンロッピャクネン……」。
言葉を発せないはずなのに唄を歌えるなんて――横で娘さんが目を白黒させた。

「提灯行列がきれいだったねぇー。
東京の神田で奉公してたんだけど、ノボリ、電飾、アーチで賑やかだった。
それでね……あたし、好きな人がいたのさ」――

数年前、失語になる以前の彼女から聴き取った青春の一幕である。
そのとき彼女は、一九四〇年十一月に催された、
(西暦紀元前六六〇年を日本国の始まりとする)神武天皇紀に基づく
「紀元二六〇〇年奉祝祝典」の有り様を、
自身の「ハイティーン」の淡い恋の想い出とともに語りだしたのだった。
横で娘さんが言った。
「へぇ、こんな話、一度もしなかったくせに……」。
日本が戦争へのめりこんでいく「狼煙(のろし)」となったイベントであり、
国威発揚を目的に大々的なお祭りが開催された。
しばらく彼女の「唄ものがたり」を聴き、注射をうって、往診を終えた。

一般に、右利きの人の大脳では、左脳が論理や言語、計算を司り、
右脳は共感や常識、人間関係、インスピレーションを司るといわれている。
左脳は「冷静なアタマ・知性の脳」、右脳こそ「温かいココロ・感性の脳」といえよ
うか。
脳の神経系は後頭部で交差しているから、脳血管障害などで左脳がやられた人は、
利き手の右半身が麻痺して、大きな不都合が出る。
右脳は大丈夫なので会釈もできるし、表情も豊かなのだが、
(左脳の)言語野に障害が及んだ場合、発語や書字が難しくなって、
失語症に陥ることが多い。

一方、右脳がやられた右利きの人は、左半身に運動麻痺が出現する。
この場合、利き手は動く。
しかし、右脳の障害から、対人関係で重要な他人との心理的な距離感の
とり方で混乱をきたしてしまうなど、
周囲に「性格変化」と感じ取られるような変容をきたすこともある。

ちなみに、左利きの人では、日常動作から右脳に運動性言語中枢
が発達してきて、いわば両利きとなっている。
両側に言語野が存在するので、失語症を発症しにくいとの観察もある。

病気や障害で言葉を失った人であっても、
そのことだけで痴呆であるわけでは決してない。
対話ツールをひと工夫することで、コミュニケーションは十分に可能であり、
豊かな「表情」が回復してくる。
言葉の代わりとなる「絵」や「音楽」、耳元で節をつけて「唄」を歌ったり、
「地図」で示したり、表情とジェスチャーなど、ノンバーバル(非言語)な
「コネクター」を使うことで、意思疎通の回路を十分につなぐことができるのだ。

他者との共感を醸しだし、コミュニケーションを司る右脳の能力にこそ、
隣人との対話を回復する「潜在力」が潜んでいるのではないか。
共感をともなった「対話」を成立維持させる要件は、
論理的で計算可能な世界を司る左脳的能力だけでは決してない。
脳科学が専門でない私だが、これだけは言える。
「対話」とは、言葉だけでなく情感をこそうまく「キャッチボール」し、
他者との距離感を適正に保ってお互いの納得を得ることだ、と。

ところが、この重大な対話能力が、現代日本で急速に退行しつつあるようなのだ。
「イラクへの自衛隊派遣」という、極めて高い「対話能力」によって
議論されるべき問題をいとも簡単に結論づけようとする小泉政権。
母親とニコニコ会話をしていた高校生が、いきなり包丁で親を刺し殺し、
弟までも刺す。
電子メールでしかコミュニケーションが図れない上司と部下。
町で見かけた少女を、一方的かつ暴力的にクルマに連れ込む男。
ホームレスを襲撃する少年。
携帯電話のメールがほとんど唯一の意思疎通手段となった若者たち。
そして妻との会話を「フロ、メシ、ネル」で済ませる企業戦士……。
「話せばわかる」という言葉は死語になりつつあるのか。

「話したら殴られる」――たまに山から下りて訪れる東京の街には、
そんな見えない緊張感が充満し、
人をして休息が許されない競争社会に駆り立てることで、
軽症の「慢性うつ状態」さえ蔓延しつつある。
どこに原因があるのだろう――
一人一人が、じっくり考えてみる必要がある。


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